ドラマの定位置である『脇役』のドラマ撮影をこなし、

スタジオを出た時は既に夜の九時を過ぎていた。

私はそのまま小田急線に乗り、自宅へと帰った。本厚木駅に着く。

駅から歩いて二十分くらいの所にある我が家は、よくある建て売り住宅の中の

一軒家。父と私、そして紀州犬のフェオと過ごしている。

小学生の頃、私はこの家の近くにある市営団地に住んでいた。

一人っ子だったせいもあって、自部屋は与えてもらってはいたものの、

あまり大声を出しては隣近所に迷惑が掛かるとよく母親に叱られてた。

その叱る母親の声も迷惑だと当時思ってはいたが、それを言ったら火に油を注

ぐと思い、言わずに我慢した記憶がある。

そして小学四年生の時、父と母は念願のマイホームを手にし、この家に越して

きた。その時の二人の喜びようは今でも瞼に焼き付いている。

子供である私が今思い出しても微笑ましいものだった。

新しい畳の匂い、梁の木の匂い、小さな庭に咲く雑草の匂い……

大抵の人間がする一番大きな買い物は『家』なのだから、喜ぶのは当然よね。

「ただいまー」


明かりの灯った玄関から居間へ来る。すると、そこには誰もいなかった。


一階の階段横、父の部屋を覗く。

パジャマ姿の父が布団を敷いている所だった。

「ただいま」
「おかえり。食器は洗っておいたから。風呂涌かそうか?」
「ううん、自分でやるわ」


私はお風呂場へ行き、自動で設定温度までお湯を涌かしてくれるボタンを押

す。二階にある自分の部屋に行き、バスタオルと下着を取りに行った。

父・竹内修司は一昨年勤めていた自動車関連のネジ工場を定年退社した。

現在は家事なども手伝う女性からしてみれば使える男なのだが、

それは今年からの言葉である。

というのも、定年退社したその日から約二ヶ月が経ったある日、

母は突然他界してしまったのだ。交通事故だった。

相手は罪を認め、交通刑務所に入っている。もうすぐ出てくる頃だろうか?

それからである

車で言うバッテリーが切れたように父は心が以前のように動かなくなった。

やる気が全くなくなってしまった。

父がハンドルとするなら非力だけど辛抱強く走るエンジンの母がいなく

なったのだ、動くまい。


かの世代で言う、父がドライバーとするなら、

助手席で地図とにらめっ子して「こっちを左よ」「もうすぐで高速よ」と、

こと細かく言うナビゲーターがいなくなったのだ。

どの道に行ったらいいのか迷う父は当然動くまい。

カーナビに頼ればいい、と今の時代なら言うのかもしれないけど、

自分の行く道をコンビューターに任せるほどバカじゃない。

朝起きてご飯食べて、ぼうっとして、寝っころがって、昼ご飯食べてて、

昼寝して、起きたらぼうっとして、テレビ見て、夕ご飯食べて寝る……

その繰り返しが一年ぐらい続いた。

私もそれまでは東京のマンションに住んでいたけれど、さすがにそんな父が心

配になり、ここ厚木から通うことになったのだ。