午後の始業チャイムが鳴り響き、お弁当を食べ終えた私は父に帰ることを告げ

ようと職員室へ向かった。しかしそこに父はいなかった。

「もう帰ったんですか」と職員の方に訊いたら授業の補佐を行ってると言っ

た。補佐? 私は興味津々で、案内された第一実習室の廊下のドア窓から授業

を覗き見した。

するとそこには20人ぐらいのつなぎの作業着姿の生徒さんたちが、

2メートルほど高くジャッキアップされた車の下に潜り込み、

見上げた格好で男性の方(多分担当教師なのでしょう)とその横にいる父から

その構造の説明を受けていた。

父はネジ工場に勤めていたと前に言ったけれど、同時に車の整備士の免許も持

っているのだ。

よって車に詳しいし、父は以前から教え上手という評判を母から聞いていたの

で、これも天職なのかしら、と私はこっそり笑ってしまった。

そういえば子供の頃、よく河原に行っては、野球好きの父は女の子である私に

スライダーやらナックルやら、指が痛いって言うのにフォークボールなんて言

うレヴェルの高い変化球を私に教えてた。

あいにくフォークボールはマスターできなかったが、女の子なのにキャッチボ

ールは完璧にコントロールできるようになったし、ナックルなんて言うプロで

も使わないような変化球もマスターしてしまった。そういう意味では本当に教

え上手なのかも知れない。

熱心に質問してくる生徒に、真摯な態度で質問に答える父を見ながら、2年前

のあの状態からよく立ち直ったよねぇ、と拍手を送っていた自分がそこにい

た。


2年前、事件は父が一本の電話を受けた時から始まった。

「こちら警察です、竹内さんお気を確かにお聞きください。竹内恭子さん、ええ、お宅の奥さんが事故に遭いまして今意識不明の重体です」


母はその日、高校時代からのお友達2人と温泉へと出かけていた。

一晩泊まったその帰り道、友達が運転するワンボックスカーの後部座席に乗っ

ていたが、反対車線で衝突事故があり、それを避けようとしたトラックが斜線

を越え突っ込んできた。

前の二人はシートベルトを締めていても重傷、母は後部座席ということもあっ

てシートベルトをしていなく衝撃により後部ガラスを突き破り、冷たい路地に

叩きのめされた。

漆黒の夜に照らされたアスファルトに赤い母の涙が流れた。

一報を聞いた呆然自失の父を奮い起こし、私と父は病院に急いで駆けつけた。

でも時は待ってくれなかった。

横たわっている母の顔には白いそれが掛かっていた。