それから僕達は、特急電車に二時間ほど揺られ、温泉街へと向かった。

 僕達が向かった先は、福寿温泉という温泉街だ。来夏がどうしてもそこが良いというので、ここに来た。海と山の間に作られた温泉街で、有名な観光スポットの一つだという。

 電車から降り、ホームから外に出ると硫黄の香りが漂ってきた。

「うわー! 本当に温泉街って感じの匂いだね!」

 僕の隣で、来夏が楽しそうにはしゃいでる。

 電車から降りた他の観光客に付いていくと、福寿温泉と呼ばれている地帯に辿り着いた。

 真ん中に川を一本挟んで、古い木造建築が立ち並んでいる。平日の真っ昼間だというのに、浴衣を着た観光客が辺りを練り歩いていた。

「わっ、凄いや! 見てよ! 川から湯気が出てるよ!!」

 来夏は欄干から身を乗り出して、楽しそうに川を指差している。

「ねね、ちょっと触りに行かない?」

 来夏の視線の先には、川に降りているカップルがいた。彼らは川に足を入れて談笑している。

「いいね」

 僕達は近くにあった階段を下って川へと降りた。ゴツゴツとした岩場を歩いて、川沿いに腰かけた。

「ちょっと指つけてみよーっと」

 言いながら、来夏は川に指をちょこんと付けた。

「ほどよくあったかいよ〜。これ、足入れたら超気持ちいいかも」

 今度は靴下を脱いで、両足を川へと入れた。

「ふぅ、すっごいあったまる。優太くんもやってみなよ!」
「そうだね、せっかくだからやってみよっかな」

 ズボンを膝までまくってから、僕も言われ通りに川に足を入れた。確かに、ほどよくあったかい。足だけしか入れてないのに、なんだか身体中がポカポカしてきた。

 僕はスマホを取り出して、時間を確認した。既に、来夏がこちら側に来てから三時間半が経過しようとしている。彼女のリミットは十時間。帰宅には二時間半はかかる。余裕を持って帰る事も考えると、後遊んでいられるのは三時間といったところだろうか。

「ねえ来夏。これからどうする? 行きたい場所とか、ある?」
「うーん。お昼ご飯も食べたいし、もちろん温泉には入るよね。あと、山の上にある神社にも行ってみたいかも」
「神社?」
「そう。神社だよ」

 そう語る来夏の表情は何故だか酷く険しかった。まるで、何かの覚悟を決めているかのような、そんな表情だった。

「なんで神社なの?」

 何となく来夏の表情が気になったから、聞いてしまった。

「健康祈願だよ。優太くんの体調が、良くなりますのうにっていう。後は……」
「後は?」
「何となく、死ぬなら神社が良いって思ったからかな」
「は?」

 思わず、聞き返してしまった。

「いや、今のなしなし! 冗談だから! 冗談冗談!!」

 彼女はあははっと満面の笑みを浮かべて笑っていた。だが、僕にはそれが冗談だとは思えなかった。

 その時だった。僕は服の裾をちょいちょいと引っ張られた。何だろうと思って振り向くと、そこには小さな女の子が立っていた。

 彼女は鼻水を垂らし、緩んだ顔で僕達を見ている。

 来夏がやって来て、ティッシュで女の子の鼻を拭く。すると、「すみません!」と彼女の両親と思しき夫婦がやって来た。

「あ、全然大丈夫ですよ。私、子ども大好きなんです」

 一緒に川で遊ぶー? と、来夏は小首を傾げて少女に聞いている。

「うん! あそぶー! お兄ちゃんはみててね!」

 そうして、来夏と女の子は川の中に入っていった。

 彼女達は、水を掛け合って楽しそうに遊んでいる。陽の光が、川で遊んでいる彼女達に降り注ぐ。水面がキラキラと輝いて、来夏達を照らした。

 その光景の一つ一つが、とても綺麗でまるで絵画の中にでもいるような気分になった。

 僕達はこれから、まだまだ沢山思い出を作るんだ。一日十時間しか会えないけれど、それでも、沢山の思い出を刻んでいくんだ。まだ、死んでたまるか。

「あー……死にたくない。本当に死にたくないな」

 つい、口に出してしまう。近くで彼女達の様子を眺めていた夫婦が、ギョッとした表情で僕を見た。

 だが、そんなこと気にしていられるか。僕は思い切り伸びをして、倒れ込んだ。ゴツゴツした石が背中に当たって、少し痛い。

 先ほどの来夏の言葉が、脳裏をよぎる。

 死ぬなら、神社が良い。

 あれはもしかすると、僕を思っての発言なのかもしれない。もしくは、呪いにも近い脅迫のような行為なのかもしれない。

 優太くんが死んだら、私も後を追うからね。彼女は、そんな事を言いたいのかもしれない。

「いきなり叫んでどうしたの?」

 僕の様子を不思議に思ったのか、川から上がった来夏が僕を覗き込んだ。

「いや、今の光景を見ちゃったらさ、あんまりにも綺麗すぎて、死んでも死にきれないなって思って……」
「何よそれ……バカなこと言わないで」

 言いながら、来夏は僕に手を差し出した。

「つーか、来夏が変なこと言うからだよ。死ぬなら神社が良いとか……訳がわからない」

 彼女の手を掴み、起き上がった。

「もー、だからあれは冗談だってば」
「はいはい。ちなみにさ、僕は死ぬんだったらこの近くにある福寿岬ってところが良いかな」

 頭の片隅に、あいつの顔が思い浮かぶ。

 起き上がると、両親に連れられた女の子が僕達に手を振っていた。僕は笑顔で彼女に手を振り返す。

「そんなの……聞きたくないよ」

 来夏は暗い顔で、僕を睨んでいた。