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 今日も私は朝から学校でビールを飲む。指先が黄色くなったり、手が震えだしてしまうほどアルコールを欲しているわけではない。かといって、中年になって反抗期がぶり返したわけでもない。ただ飲みたいだけなら退勤まで我慢すればいいだけの話。それなのに私は飲み続ける。あの少年を待ちながら。

「おはようございます」

 ドアが開かれ、その少年が入って来た。

「また飲んでるんですか」
「ああ、そうだよ」
「酔いつぶれて、また自分だけが作業ってのは勘弁ですからね」
「武蔵くん。大丈夫。それは反省しているよ」

 一気に残りのビールを飲み干し、私たちはこの社会科準備室の整理作業に着手し始めた。
 もう作業は大詰めで部屋は作業を始めた当初と比べて無造作に書類が散らばっているということもなく、すっきりとしていて後はもう整理したものの確認ぐらいで済みそうだった。
 反省していると言ったが、しばらく作業をしていると先ほどの一気飲みの酔いが回って来ていた。古びた書物を手に取り、舞い上がった埃で咳き込むとガンガンと脳が揺れるような頭痛がした。
 ああ、これは今日も彼におんぶにだっこか。置いてあるパイプ椅子に深く腰をかけた。少しだけ休むか。腰をかけた際に軋んだパイプ椅子の音で少年は振り返った。

「まさか、今日も酔っぱらって?」
「大丈夫。少し休めば復活するから」
「岡ちゃん、前科ありますよね?」

 疑惑の目を向けられ、返す言葉もないので「はははは」と声を上げて笑っておこう。大人はずるい生き物だからさ、少年。 

「そういえば、宿題の答えは見つかったかい?」
「話逸らしてますよね。まあ、考えてはみているんですがわからなくて言葉にできないんですよ」

 こちらのずるい大人の策を看破されてしまったが、少年は積み上げられたダンボールの一つに座ったので逸らした話を続けることにした。

「あやふやでも試しに話してみておくれ。もしかしたら、何かわかるきっかけになるかもしれないよ」

 そう言うと、少年は何か悩むように髪をかき上げてから少しずつ話し始めた。

「他の生徒はみんな真面目にサボらずに授業を受けて、素直に先生の言うことを聞きます」
「うん。そうだね」
「俺もそんなこと多分できたんだと思います。それでも、俺はやらなかった。自由が欲しかったのか、一度サボってしまってサボり癖がついたのか、途中で行動を改めることだってできたと思います。そして、どこが始まりかわからないんです」
「そうか、そうか。でも、いつかはその反抗の終わりが来るんだろう?」

 そう聞くと、少年は一瞬険しい顔を見せた。そして考え込むように腕を組んだ。

「その終わりもわからないです」
「始まりと終わりのないものだったりしてね」
「そんなことはきっとないと思います」

 少年は強く真っ直ぐに何かを覚悟しようとしているような目つきで私を見つめた。なぜ、何か強い思いをその目に宿していたのかはわからない。ただ、この少年の今までの人生を全てを背負っている、そんな思いのような気がした。

「今、俺がここに生きて存在しているから反抗してしまっている。その逆に生きて存在しているなら従順にもなれる。それでも、俺は反抗の方を選んでしまっているのが自分でもわからないんです。なんでしょうね。生まれてしまったのが俺だからなのかって変な話ですよね」

 少年は笑ってはいたが、先ほどの強く宿した思いは消えていなかった。ああ、そうか。きっとそういうことなんだ。

「確かに変な話だ」

 私は大声を上げて笑っていた。少年は酔っぱらった私のことを冷めた目で見ていた。ひとしきり笑っていると酔いも少しは覚めてきたので私たちは作業を再開した。


 昼ごろにはもう本棚は空っぽになり、必要なものとそうでないものの仕分けが完了した。作業開始初日のようなゴミ屋敷の面影はなかった。後は山積みになっている移転用のダンボールを新しい社会科準備室に運ぶだけだ。
 夏休みももう終わる。一番面倒な作業は終わり、後は自分一人でどうにかなる。

「武蔵くん、今日まで手伝ってくれてありがとう。後は向こうに残りを運び入れるだけだから酔っ払いの私一人でなんとかなるよ」
「わかりました。了解です。あんまりお酒飲みすぎないでくださいよ」
「ははは。気を付けるさ」

 少年はカバンを肩にかけると、こちらに向かって深く頭を下げていた。

「こちらこそ今までありがとうございました。色々お話しさせていただいて勉強になりました」

 お世辞にも一般的な意味での模範的な高校生というわけでもない生徒のこんな改まった態度に言葉に迷った。ただ、彼の目には先ほどの強く宿した思いがあった。
 ああ、やっぱり私の知らないところで彼は何かと闘っているに違いない。何かはわからないけども、それはとても強大で私の想像の及ばないものなのだろう。かける言葉なんかはわからない。でも、私が言える言葉は一つだけだった。

「それではお疲れ様でした」

 そう言葉を残し、部屋を後にする彼に私は言う。

「ありがとう。がんばれ」
「こちらこそ。どういたしまして!」

 私はその不良少年を見送った。武蔵飛鳥の後姿は寂しくも誰よりも立派に思えた。

 そして私はもう一杯缶ビールを開けた。
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