次の日、朝起きると昨日より大分体調は良くなっていた。結局、昨日はスポーツドリンクを買ってきてもらったり、夕飯にうどんを作ってもらったりと一日中秋穂の世話になりっぱなしだった。
リビングに行くと、秋穂が朝食を準備してくれていた。
「おはよう。体調はどう?」
「かなり良くなったよ。昨日はありがとう」
「よかった。今日は私、出かけても大丈夫そうだね」
「遊びにでもいくのか?」
「ううん。会社の同期の人たちとの勉強会だよ」
「昨日、帰って来たばかりなのに?大丈夫か?」
「うん。会社の公式のじゃなくて、有志のイベントだからね。別に大丈夫だよ」
秋穂はやる気に満ち溢れたようにそうは言っているが、昨日より声が掠れているようだった。目の下のクマも目立つようになっていた。かなり疲れているというのは誰が見ても明らかだった。
「秋穂さ、昨日まで合宿で頑張ってて、帰って来てすぐにずっと俺のこと看病してたしすごく疲れてると思う。だから今日ぐらいさ、休んでもいいと思う」
そう言うと、秋穂は何かを言おうとしたが口をつぐんだ。一瞬お互いの間に沈黙が流れた。地雷踏んじまったか。そう思ったときだった。
「今、頑張らないとダメだから…」
いつもとは違い、聞こえるかどうかの小さな声でそう呟いた。
「私は大丈夫だから気にしないで。全然、無理していないから。じゃあ、少ししたらもう出かけちゃうからね」
気丈にそう言うと、秋穂は自分の部屋にいそいそと向かっていった。その後ろ姿を俺は黙って見ていた。本人が大丈夫だって言っているのだからこれ以上俺が何か言うことなどあるのだろうか。秋穂はもう大人なのだから。そう自分に言い聞かせ、秋穂が焼いてくれたトーストを一口かじった。
複雑な気持ちで朝食を終え、リビングでテレビを観ているときだった。スマートフォンが鳴り出した。美咲からの電話だ。
「今日暇?暇だよね?今日も付き合って」
開口一番にものすごく失礼な誘い方だな。苛立ちを通り越してここまで突き抜けた失礼さだと思わず笑ってしまいそうにもなってしまった。
「ああ、暇だよ」
「よし、決まり。それじゃあ、今日は…」
と、矢継ぎ早に今日の集合場所を伝えられた。病み上がりということを伝えようとしたが、電話は切れてしまった。まあ、多分大丈夫だろう。昨日よりはるかに体調が良い。昨日、ずっと横になっていたから丁度どこかに出かけにいきたい気分ではあったのだ。
待ち合わせは初めてあいつに連れて行かれた場所である「エスカタ」というカフェであった。歩いてここまで来たが、病み上がりでやばいかと思ったけれども意外と大丈夫そうだ。
店の中に入ると、以前来たときと同じような木造の匂いがした。店内を見渡すともうすでに美咲が席に座って紅茶を飲んでいるが見えるだけで、他の客はいなかった。店内が木組みということもあってか前回とは違い、街の喧騒とはかけ離れた静寂の森に来たようだった。店主も厨房に引っ込んでいるようだったから、案内がある前に俺は美咲のテーブルに着いた。
「待たせた」
「私が早く来ただけだから気にしないで。この雰囲気を感じていたかったの」
「前来たときはわからなかったけど、この場所いいよな」
「君にもこの雰囲気が伝わって良かった。きっとこれが最後だから」
美咲は静かに笑っていたが、どこか悲し気だった。
「最後って?」
「このお店、今日で閉店なの」
このカフェに特別な思い入れがあるというわけではなかったが閉店という事実にドキリとした。閉店するなんてこれっぽちも考えてはいなかったが、美咲と初めてこのカフェに来たときに彼女に言われた言葉を思い出した。
「お金を払えば必ずいつでも紅茶やケーキを楽しめるなんて保証はないの!」
本当にその通りだった。世界が終わる前にこのカフェはなくなってしまうのだ。バカみたいな話だけれども、世界が終わると信じていても心のどこかではお金を払えばこのカフェで紅茶やケーキを楽しめることを無意識に当然のものだと考えていた。例え世界が終わっても紅茶やケーキのサービスだけは永遠に存在するとでもいうかのように。
「やっぱり当たり前じゃないんだな」
そうポツリと呟くと美咲は俺を不思議そうな顔で眺めた。
「どうしたの?急に当たり前じゃないって」
「思い出したんだ。美咲が言っていたお金を払えばいつでも紅茶やケーキが楽しめる保証なんてものはないって話を」
「あー。初めてここに来たときそんなこと話したね。あのときの君は私の話なんか全く信じていなかったのにね」
「いや、何ならついさっきまで信じていなかった」
そう言うと、美咲は吹き出すように笑った。
「世界が終わるって信じているのに?」
「そうさ。世界が終わってもこの紅茶とケーキのサービスは永遠に続くと思っていたんだ。おかしな話だろ?」
吹き出している美咲に対して自嘲的に笑ってそう言うと美咲は紅茶を啜ると澄ましたような表情を浮かべた。
「永遠ってあると思う?」
美咲がそう尋ねると俺は迷わずに答えた。
「さっきなくなった」
紅茶とケーキの不変性は嘘に過ぎない。そんな幻想に俺は無意識にすがりついていただけだったのだ。目を背けていたのは怖かったから?無意識とはいえ、すがりついた幻想を失って俺はどうなる?わからない。
ただ、世界の終わりには例外なんてものは存在しないということだけがはっきりと理解できただけだ。
「飛鳥くんは何かが変わるって怖いと思う?」
「わからない」
「即答だねえ」
「わからないものはわからないからな」
そんな話をしていると、店主が厨房から出てきて俺に気づいて注文を取りに来てこの話題は途切れてしまった。俺は前回と同じように紅茶とチョコレートケーキを注文した。
しばらく待っていると紅茶とチョコレートケーキが運ばれてきた。紅茶をすすり、ケーキを食べた。無意識の幻想は静かに砕かれたけれど、この紅茶とケーキは前回と変わらずとても美味かった。
リビングに行くと、秋穂が朝食を準備してくれていた。
「おはよう。体調はどう?」
「かなり良くなったよ。昨日はありがとう」
「よかった。今日は私、出かけても大丈夫そうだね」
「遊びにでもいくのか?」
「ううん。会社の同期の人たちとの勉強会だよ」
「昨日、帰って来たばかりなのに?大丈夫か?」
「うん。会社の公式のじゃなくて、有志のイベントだからね。別に大丈夫だよ」
秋穂はやる気に満ち溢れたようにそうは言っているが、昨日より声が掠れているようだった。目の下のクマも目立つようになっていた。かなり疲れているというのは誰が見ても明らかだった。
「秋穂さ、昨日まで合宿で頑張ってて、帰って来てすぐにずっと俺のこと看病してたしすごく疲れてると思う。だから今日ぐらいさ、休んでもいいと思う」
そう言うと、秋穂は何かを言おうとしたが口をつぐんだ。一瞬お互いの間に沈黙が流れた。地雷踏んじまったか。そう思ったときだった。
「今、頑張らないとダメだから…」
いつもとは違い、聞こえるかどうかの小さな声でそう呟いた。
「私は大丈夫だから気にしないで。全然、無理していないから。じゃあ、少ししたらもう出かけちゃうからね」
気丈にそう言うと、秋穂は自分の部屋にいそいそと向かっていった。その後ろ姿を俺は黙って見ていた。本人が大丈夫だって言っているのだからこれ以上俺が何か言うことなどあるのだろうか。秋穂はもう大人なのだから。そう自分に言い聞かせ、秋穂が焼いてくれたトーストを一口かじった。
複雑な気持ちで朝食を終え、リビングでテレビを観ているときだった。スマートフォンが鳴り出した。美咲からの電話だ。
「今日暇?暇だよね?今日も付き合って」
開口一番にものすごく失礼な誘い方だな。苛立ちを通り越してここまで突き抜けた失礼さだと思わず笑ってしまいそうにもなってしまった。
「ああ、暇だよ」
「よし、決まり。それじゃあ、今日は…」
と、矢継ぎ早に今日の集合場所を伝えられた。病み上がりということを伝えようとしたが、電話は切れてしまった。まあ、多分大丈夫だろう。昨日よりはるかに体調が良い。昨日、ずっと横になっていたから丁度どこかに出かけにいきたい気分ではあったのだ。
待ち合わせは初めてあいつに連れて行かれた場所である「エスカタ」というカフェであった。歩いてここまで来たが、病み上がりでやばいかと思ったけれども意外と大丈夫そうだ。
店の中に入ると、以前来たときと同じような木造の匂いがした。店内を見渡すともうすでに美咲が席に座って紅茶を飲んでいるが見えるだけで、他の客はいなかった。店内が木組みということもあってか前回とは違い、街の喧騒とはかけ離れた静寂の森に来たようだった。店主も厨房に引っ込んでいるようだったから、案内がある前に俺は美咲のテーブルに着いた。
「待たせた」
「私が早く来ただけだから気にしないで。この雰囲気を感じていたかったの」
「前来たときはわからなかったけど、この場所いいよな」
「君にもこの雰囲気が伝わって良かった。きっとこれが最後だから」
美咲は静かに笑っていたが、どこか悲し気だった。
「最後って?」
「このお店、今日で閉店なの」
このカフェに特別な思い入れがあるというわけではなかったが閉店という事実にドキリとした。閉店するなんてこれっぽちも考えてはいなかったが、美咲と初めてこのカフェに来たときに彼女に言われた言葉を思い出した。
「お金を払えば必ずいつでも紅茶やケーキを楽しめるなんて保証はないの!」
本当にその通りだった。世界が終わる前にこのカフェはなくなってしまうのだ。バカみたいな話だけれども、世界が終わると信じていても心のどこかではお金を払えばこのカフェで紅茶やケーキを楽しめることを無意識に当然のものだと考えていた。例え世界が終わっても紅茶やケーキのサービスだけは永遠に存在するとでもいうかのように。
「やっぱり当たり前じゃないんだな」
そうポツリと呟くと美咲は俺を不思議そうな顔で眺めた。
「どうしたの?急に当たり前じゃないって」
「思い出したんだ。美咲が言っていたお金を払えばいつでも紅茶やケーキが楽しめる保証なんてものはないって話を」
「あー。初めてここに来たときそんなこと話したね。あのときの君は私の話なんか全く信じていなかったのにね」
「いや、何ならついさっきまで信じていなかった」
そう言うと、美咲は吹き出すように笑った。
「世界が終わるって信じているのに?」
「そうさ。世界が終わってもこの紅茶とケーキのサービスは永遠に続くと思っていたんだ。おかしな話だろ?」
吹き出している美咲に対して自嘲的に笑ってそう言うと美咲は紅茶を啜ると澄ましたような表情を浮かべた。
「永遠ってあると思う?」
美咲がそう尋ねると俺は迷わずに答えた。
「さっきなくなった」
紅茶とケーキの不変性は嘘に過ぎない。そんな幻想に俺は無意識にすがりついていただけだったのだ。目を背けていたのは怖かったから?無意識とはいえ、すがりついた幻想を失って俺はどうなる?わからない。
ただ、世界の終わりには例外なんてものは存在しないということだけがはっきりと理解できただけだ。
「飛鳥くんは何かが変わるって怖いと思う?」
「わからない」
「即答だねえ」
「わからないものはわからないからな」
そんな話をしていると、店主が厨房から出てきて俺に気づいて注文を取りに来てこの話題は途切れてしまった。俺は前回と同じように紅茶とチョコレートケーキを注文した。
しばらく待っていると紅茶とチョコレートケーキが運ばれてきた。紅茶をすすり、ケーキを食べた。無意識の幻想は静かに砕かれたけれど、この紅茶とケーキは前回と変わらずとても美味かった。