「ああ、今日の昼?大丈夫だ。駅前で待ち合わせ?了解。じゃ、また後でな」
「友達との約束かい?」
忠之からの電話を切ると岡ちゃんは缶ビールを飲みながらそう尋ねた。社会科準備室の整理中に当たり前のように酒を飲まないでください。俺たち二人以外は誰も来ないからと言って安心して缶ビールを飲むのは狂気の沙汰ですよ。
心の中で何度も愚痴っていたが不思議なことにこんなことが何度もあると口に出してわざわざツッコむ気が起きないものである。
「はい、そうです」
「それはいい。いくらこの学校が進学校だからといって、友達との遊びは大事だぞ。といっても君にはそんな学校のことなんかは関係ないか」
酔っぱらっているせいか岡ちゃんは大きな声で笑っている。こんなクソ真面目な学校でよく教師が務まるな。そこら辺はうまいこと立ちまわっているのだろうか。
「まあお手本とはいえない生徒ですよ。自分は」
「僕も勤務中に酒なんて飲んで教師として失格だけどね」
素直に笑っていいのか判別がつかないギリギリの自虐ネタに俺は渇いた笑いの相槌しか打てない。勘弁してくれよ。
「ここは治外法権なんだから君もタバコでも吸ったらどうだい?」
本気なのか冗談なのかわからない誘いに俺は戸惑った。戸惑ったというのは教師として、一人の責任ある大人としてありえない言動に動揺しただけで答えはもう決まっていた。
「タバコはもうやめました」
岡ちゃんは少し目を見開いたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻っていた。
「健康のためかい」
「いえ、吸う理由がなくなったんです」
「そうか。そうか」
それ以上、岡ちゃんは禁煙の理由を深く追求することはなかった。基本的に岡ちゃんは人の事情には踏み込まないタイプなのだろう。今日だって前回来たとき俺が泣いていたことを聞いてくることはなかった。その方が確かに都合が良かったのだけれども。
岡ちゃんがあのときのことをどう考えてるのかが全く見当がつかない分やきもきした気持ちだった。かといって、自分からあのときのことを伺う気は一切起きなかった。
「君は僕の出した宿題を覚えているかい?」
不意に聞いてきた岡ちゃんの言う「宿題」に一瞬、夏休みに倫理で何か課題があっただろうかと思ったが大分前にこの社会科準備室での俺個人への問いかけのことだと思い出した。
「俺が何で反抗するかって理由の話のことですか?」
そう聞くと岡ちゃんは深く頷いた。やべえ。美咲に振り回されていたり、世界の終わりのことばっかり考えていたせいで今日の今まですっかり忘れてしまっていた。
ただ、俺はこの「宿題」について考え出していた。考えている間、岡ちゃんは俺を急かすどころか一切話しかけもせず缶ビールを飲んでくつろいでいた。最初に聞かれたときとは違い、自分の内側の誰にも見えない深層。言葉にできないような自分でさえわからない、ましてや自分でも見ることができるのかどうかさえ、そもそもその部分が本当に存在するのか疑わしいような部分を深く考えた。
それでも何もわからなかった。時間が足りなかったのか本当のところは何も見ようとしていなかったのか。それでも何かを掴んだ気がした。大したものじゃなさそうだったけれども俺にとっては砂利の中に見つけた一粒の砂金のように輝いていた。
「まだわからなかったです。けど、後少しで何かわかりそうでした。それだけはわかりました。でもこの感覚がものすごく答えに近くなりそうなんです」
自分でも何を言っているのかわけがわからなくなりそうだった。そんな支離滅裂なことを岡ちゃんは嫌な顔一つせずにニコニコと聞いていた。
「そうか。もう少しだね」
「わかったときは真っ先に報告します」
「そのときを楽しみにしてるよ」
この約束を交わしたときには岡ちゃんは大分酔っぱらっていたけどこのときだけは真っ直ぐに俺のことを見ていた。
岡ちゃんの目の焦点が定まっていたのはこのときだけで後はもうぐでんぐでんになっていて仕事ができる状態じゃなかったから結局、今日の作業もほとんど俺がやる羽目になった。
作業を終えると呂律が回らなくなりだした岡ちゃんに「お疲れ様でした」と言って俺は忠之との待ち合わせ場所の駅へ向かった。
「友達との約束かい?」
忠之からの電話を切ると岡ちゃんは缶ビールを飲みながらそう尋ねた。社会科準備室の整理中に当たり前のように酒を飲まないでください。俺たち二人以外は誰も来ないからと言って安心して缶ビールを飲むのは狂気の沙汰ですよ。
心の中で何度も愚痴っていたが不思議なことにこんなことが何度もあると口に出してわざわざツッコむ気が起きないものである。
「はい、そうです」
「それはいい。いくらこの学校が進学校だからといって、友達との遊びは大事だぞ。といっても君にはそんな学校のことなんかは関係ないか」
酔っぱらっているせいか岡ちゃんは大きな声で笑っている。こんなクソ真面目な学校でよく教師が務まるな。そこら辺はうまいこと立ちまわっているのだろうか。
「まあお手本とはいえない生徒ですよ。自分は」
「僕も勤務中に酒なんて飲んで教師として失格だけどね」
素直に笑っていいのか判別がつかないギリギリの自虐ネタに俺は渇いた笑いの相槌しか打てない。勘弁してくれよ。
「ここは治外法権なんだから君もタバコでも吸ったらどうだい?」
本気なのか冗談なのかわからない誘いに俺は戸惑った。戸惑ったというのは教師として、一人の責任ある大人としてありえない言動に動揺しただけで答えはもう決まっていた。
「タバコはもうやめました」
岡ちゃんは少し目を見開いたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻っていた。
「健康のためかい」
「いえ、吸う理由がなくなったんです」
「そうか。そうか」
それ以上、岡ちゃんは禁煙の理由を深く追求することはなかった。基本的に岡ちゃんは人の事情には踏み込まないタイプなのだろう。今日だって前回来たとき俺が泣いていたことを聞いてくることはなかった。その方が確かに都合が良かったのだけれども。
岡ちゃんがあのときのことをどう考えてるのかが全く見当がつかない分やきもきした気持ちだった。かといって、自分からあのときのことを伺う気は一切起きなかった。
「君は僕の出した宿題を覚えているかい?」
不意に聞いてきた岡ちゃんの言う「宿題」に一瞬、夏休みに倫理で何か課題があっただろうかと思ったが大分前にこの社会科準備室での俺個人への問いかけのことだと思い出した。
「俺が何で反抗するかって理由の話のことですか?」
そう聞くと岡ちゃんは深く頷いた。やべえ。美咲に振り回されていたり、世界の終わりのことばっかり考えていたせいで今日の今まですっかり忘れてしまっていた。
ただ、俺はこの「宿題」について考え出していた。考えている間、岡ちゃんは俺を急かすどころか一切話しかけもせず缶ビールを飲んでくつろいでいた。最初に聞かれたときとは違い、自分の内側の誰にも見えない深層。言葉にできないような自分でさえわからない、ましてや自分でも見ることができるのかどうかさえ、そもそもその部分が本当に存在するのか疑わしいような部分を深く考えた。
それでも何もわからなかった。時間が足りなかったのか本当のところは何も見ようとしていなかったのか。それでも何かを掴んだ気がした。大したものじゃなさそうだったけれども俺にとっては砂利の中に見つけた一粒の砂金のように輝いていた。
「まだわからなかったです。けど、後少しで何かわかりそうでした。それだけはわかりました。でもこの感覚がものすごく答えに近くなりそうなんです」
自分でも何を言っているのかわけがわからなくなりそうだった。そんな支離滅裂なことを岡ちゃんは嫌な顔一つせずにニコニコと聞いていた。
「そうか。もう少しだね」
「わかったときは真っ先に報告します」
「そのときを楽しみにしてるよ」
この約束を交わしたときには岡ちゃんは大分酔っぱらっていたけどこのときだけは真っ直ぐに俺のことを見ていた。
岡ちゃんの目の焦点が定まっていたのはこのときだけで後はもうぐでんぐでんになっていて仕事ができる状態じゃなかったから結局、今日の作業もほとんど俺がやる羽目になった。
作業を終えると呂律が回らなくなりだした岡ちゃんに「お疲れ様でした」と言って俺は忠之との待ち合わせ場所の駅へ向かった。