ライブが終わると俺たちは引換券でジュースを貰って外に出た。お互いにライブで興奮した疲れとあの余韻で無言だった。ジュースを飲み終えるとお互いに顔を見合わせて「飯でも食べるか」と近くのファミレスに入った。その席でやっと会話らしい会話をしだした。

「さっきのライブ良かったよね」

 美咲が伺うようにそう聞いた。

「うん。良かった」
「ね!最高だった!」
「本当に最高だった!」

 その「最高」という言葉を皮切りに俺たちは夢中になってあのパフォーマンスが格好良かったとかあの歌い出しに痺れたとか自分たちがあのとき覚えた感情をお互いに拙いながらも語り合った。
 デザートを食べ終わってもドリンクバーのジュースを飲みながら俺たちはバンドの話で延々と盛り上がった。結局どんな話をしても「かっこいい」という話になってしまうのだけれども、それだけでもこのバンドが好きという気持ちは通じ合えた。
 そうやってお互いにバンドの話に夢中になっているときだった。

「申し訳ございません。夜十時以降、高校生の方のご滞在はご遠慮させていただいております」

 店員の人にそう言われてそんな遅い時間になっていることに気がついた。

「わかりました。すみません」

 と言って俺たちは会計を済まして店を出た。
 地元の駅の近くだと夜十時を過ぎれば人通りは少なくなるがやはり都会はそんな気配はなく、これからが夜本番とでも言わんばかりであった。テレビがよく言う「眠らない街」という意味がわかった気がした。自分たちの街に帰ろうと駅に向かって歩いているときに。

「私、まだ話し足りないよ」

 美咲はファミレスで話を切り出したときのようにしおらしかった。

「さすがに姉が心配する」

 そう言うと彼女は立ち止まって俺のワイシャツの背をギュッと掴んだ。

「今、この瞬間を私忘れたくないの」

 この言葉の真意はわからなかったけれども、言葉にはできない美咲の気持ちがわかった気がした。俺は返事をするのを忘れていた。でも、お互いに無言で来た道を引き返した。

 こんな都会のど真ん中を明らかな十八歳未満が歩いていると警察に補導されてしまう。俺たちは駅から離れて人通りの少ないとところを目指した。とはいえ、お互いに見知らぬ土地ということで何か当てがあるわけでもなかった。
 怪しい路地裏、煌びやかなホテル街をただただ歩いた。変な客引きに「高校生か」と声をかけられたりもした。風俗店の前に停まっている黒塗りの高級車に頭を下げるボーイたちを見てゾッとした。
 そうして見知らぬ街を彷徨っていると中心部から外れたところに小さな公園がありその中に入った。滑り台もブランコにも誰もいない。砂場にはおもちゃのスコップやバケツが残っていた。子どもたちがあれで遊んでいたのだろう。

「昼間の楽しさが忘れられているみたいだ」
「君が詩的なこと言うなんてなんかギャップ萌えだね」
「褒めているのか…」

 そんな話をしながら俺たちはベンチに腰掛けた。

「そういえば今の飛鳥くんって随分性格丸くなったよね」
「急に何だ?」
「あんな学年一の不良が少しは素直になってくれて嬉しいんだよ」

 美咲はふざけて涙を拭うようなふりをしてみせながらそう言った。

「そういうお前も最初は未来が見えるって言い出してやばい女かと思ったわ」
「お互い様だね」
「屋上で初めて会ったとき俺じゃなくてもっと違うやつだったら付き合うのも楽だったろうな」

 俺が笑いながらそんなことを言うと美咲は少し唇を噛んだ。

「それは違うよ」

 小さい声で彼女は反論した。そしてすぐにまた笑顔を浮かべ出すと。

「でも君にとって私はもったいないぐらいでしょ?」

 人差し指を唇に当ててかわいこぶってそう言った。

「自惚れすぎだ」

 そうツッコむと美咲は声を上げて笑った。それにつられて俺も笑っていた。
 そのとき、ポケットに入れてあるスマホが振動した。通知を見るとソーシャルゲームのお知らせだったのだが、表示されている時刻を見て驚いた。

「十一時十三分って、この時間は怒られやしないか」

 そう聞くと美咲は焦るどころか余裕な表情を浮かべた。

「どうせ世界が終わるんだからちょっとぐらい寄り道したって神様は許してくれるよ」

 神様の許可。その言葉に俺は鼻で笑ってしまった。

「心強いけど何だか感じが悪い」
「ふふっ。どうして?」
「世界を終わらせて俺らを死なせる存在に見張られていなきゃいけないなんてな」
「それじゃあ、もっと悪いことしようよ。タバコあるでしょ?一本ちょうだい」

 美咲は嬉しそうに足をぶらぶらさせながら俺の顔を覗き込んで言った。

「散々それで俺を脅していたのに吸うのよ」
「どうせ死ぬならね」

 美咲は静かに笑っていた。返事をせずに俺はポケットからタバコを一本取り出して彼女に渡した。

「吸い方教えてよ」
「ああ、わかった」

 もう一本タバコを取り出して口に咥えてライターで火を点けようとした。ライターは火が点かず一瞬の火花を放つだけだった。何度も試している内にやっと咥えているタバコに火を点けることができた。けれども、それからは何度試みても掠れた音を出すだけで閃光を発することはなかった。

「悪い、火なくなっちまった」
「火、まだあるじゃない」

 美咲はそう言ってタバコを咥えたまま顔を近づけた。俺は深く息を吸い込んだ。肺に熱い空気が流れ込む。思わず咳き込みそうになったが我慢した。小さく輝く火玉を咥えたまま差し出されタバコの先端にくっつけた。煙と美咲の香水の混じった匂いがした。くっつけた部分の橙が大きくなっていく。そして二つの小さな火玉が微かに夜を照らし出した。

「点いたね」
「吸ってみてどうだよ?」

 そう聞くと、美咲は俺の真似をするように深く息を吸い込んだ。直後に彼女は咳き込んだ。

「大丈夫か?」
「うん…大丈夫だよ」
「一気に吸いすぎだ」

 俺は美咲の心配をすると、美咲はこちらを不思議そうに見つめた。

「飛鳥くんはこんなの吸ってて平気なの?無理してないの?」

 その言葉を聞いた瞬間、俺は思いっきり咳き込んだ。何で。さっきまで普通に吸えていたはず。喉が灼けて痛い。今までこんなこと当たり前のことで気にならなかったことなのに。
 咳はより激しさを増した。こないだ変な吸い方をしたときはすぐ収まったにも関わらず今日は中々止まってくれない。なんでこんな苦しいんだ。

「もう。飛鳥くんったら」

 美咲は咳き込み続けている俺の背中をさすりだした。それでも咳は止まってくれない。呼吸もままらならず、胸が苦しい。しばらく苦しい思いをしたが彼女にさすってもらっている内に咳は落ち着き始めた。

「苦しかった」

 思わず呟いた。今までタバコは快楽だと思っていた。自由に近づけると信じていた。けれど、実際はそうじゃなかった。本当は苦しかったんだ。今、俺は落ち着いていると自分に言い聞かせて自分を騙していただけなんだ。今まで気づかなかった。自分のことなんて考えようとしなかった。
 けれど今になってはっきりとはしないけどやっと俺は少しだけわかったのかもしれない。自分の内側を。そしてこれから何を俺は見ていきたいかを。

「死ぬ前に俺は何かを見つけたい」
「何かって?」
「まだわからない」
「そうなんだ」

 美咲は俺のこんな取り留めのない話を先ほどのようにからかわないで穏やかに微笑んで聞いていた。気づけば、さきほどまで感じていた咳き込んだ苦しさはもう落ち着いていた。
 いつしか夜の暖かい空気が身体を包み、街のざわめきはどこか遠くに感じていく。