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「私の長所は目の前のことを諦めず最後までやり遂げようとする性格です!」


 私は最終面接で役員の方に訴えた言葉をふと思い出した。
 自分たちの番じゃなくて椅子に座っているからってこんなことを考えている場合じゃないということはわかっていた。
 会議室の前で大よそ五十人ほどの同期の前で立たされている五人組は皆緊張した面持ちであった。そんな顔を見ているとこっちも緊張してくるというのに。

「社会人五教訓!」

 バインダーを持った色黒の中年の男性社員が声を張り上げ、より全体の雰囲気が張り詰めた。

「一!受け身になりません!仕事を創造していきます!」

 左端の女の子が天井を仰いで胸を張り甲高く大きな声を上げた。その隣の体育会系のような大柄な男の子が同じように声を張り上げる。

「二!目標は常に高く!停滞は退化と心得ます!」

 さすが体育会系。声量はすさまじく離れている私の耳もキーンとするようだった。次は真ん中の気弱そうな小柄な女の子の番。前があんな優秀なパフォーマンスをしているからプレッシャーがすごいだろうな。

「三。意識を…」

 弱々しい女の子の言葉が詰まった。よく顔を見ると自信なさげで額に汗をかいているように見えた。ど忘れだ。私は息を飲んだ。
 このグループの他の四人は心配そうに三番目の女の子を見つめている。ただ体育系の男の子だけは心配というより怒ったような顔をしている。他の人たちから無言で見つめられ女の子はさらに気まずそうにして必死に思い出そうとしているけれど言葉は出てこなかった。このアクシデントに静まり返った会議室ではあの子の心臓の音が聞こえてきそうな気さえした。

 バンッ!

 乱暴な音が静寂を破った。先ほどの社員の人がバインダーを床に叩きつけていた。

「昨日覚えろって言ったよな!覚えてないの!?」

 マイクなど使わずに地声で広い会議室全体に大きな怒号が響いた。

「すいま、せん!」

 女の子は糸が切れたように急に顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら社員に謝った。

「あのさあ!俺じゃなくて!ここにいる全員の時間奪ってるんだよ!わかる!?」

 泣いている子に顔を近づけて鼓膜を破ろうとするような勢いでさらに社員は追い詰める。

「みな、さん!本当に!すいま、せんでした!」

 ほとんど内容が聞き取れないような大きな泣き声でこちらに頭を下げた。その様子を椅子に座っている私たち、そしてあの子以外の班員は助けてあげることもできずにただ呆然と見ているしかできなかった。それを見た社員の怒りの矛先は今度は他の班員に向けられた。

「お前らもボーっとしてんじゃねえぞ!ボケ!ちゃんと事前に全員で練習しろよ!バカか!」
「すみませんでした!」

 他の四人が声を揃えて頭を下げた。頭を上げると同時に体育会系の男の子は社員の方の前に一歩出た。

「もう一度チャンスをお願いします!」

 ここ一番の大声で再びあの人は頭を下げて懇願した。

「お願いします!」

 他の四人も同じように大きな声を上げて頭を下げた。この申し出に社員は腕を組み苛立った様子で考えると。

「これが最後だぞ!気合入れろ!」

 社員の方も大声を上げて彼らの申し入れを承認した。

 このグループが終わったら次は私たちの番。他のみんなに迷惑をかけちゃいけない。絶対間違えないようにしなきゃ。
 自分は特別な技能があるわけでもなければ要領も良い方ではない。だから就活で自分の取り柄を探すのに苦労した。かといって就活で訴えた諦めない性格が本当に自分の取り柄なのかはわからない。そのせいか、この長所を伝えた面接は内定をくれたこの会社以外では通用せずに落ちてばかりだった。でもこの会社は私の伝えたことを認めて褒めてくれた。

「武蔵さんの自己PRは何だか活力に溢れているよ」

 最終面接の役員の方がかけてくださった言葉を私は心の中で唱えた。会社のトップで社会人の大先輩が私を認めてくれたんだ。だからその思いを無駄にするわけにはいかないし、期待を裏切ってしまいたくない。
 今の私がどんな人間だろうともこれからでも私はどんなことでもやり遂げられる諦めない理想の性格になってやるんだ。
***


 俺は階段を駆け上がる。そこに向かったって何かが解決したりするかなんてわからない。ただ、足を踏み外し転びそうになっても上へ上へ必死に上った。
 上まで登り切り扉を開いた。息を切らしながら青空の下、真夏の太陽で熱せられた屋上に出た。グラウンドの野球部の声出しが聞こえるだけであたりを見回しても誰もいない。俺は立ち尽くした。

 屋上に来るまでもしかしたら彼女が待っているかもしれないと期待していた。冷静に考えて夏休みに入っているのに学校に来ることがあるだろうか。結局は俺の独りよがりの期待でしかなかったんだ。
 あいつにだってあいつの人生がある。世界が終わって死ぬのにこんなところにいるはずがない。もっと有意義なこと。いやでもあいつのことだからケーキをホールで食べたいとかバッティングセンターで百五十キロを打ちたいとかそういったことに挑戦しているかもしれない。あいつは突飛で気まぐれでつかみどころがないからさ。偶然に見つけた俺をからかって遊んでいただけだろうし、独りが多い俺にとっては本当に疲れるやつだ。かといって今思えば最初は変なやつに絡まれたと思ってうざかったけど段々と全てが嫌ってわけではなくなった。あろうことか楽しいとさえ俺は思っていた。
 なのに世界が本当に終わるってわかったとき俺はあいつにひどいことをした。謝りたい。あいつに許されたいなんてすごく自分勝手かもしれないけど俺はあいつに会いたいんだ。

「美咲!」

 自然と俺は彼女の名前を叫んだ。
 いつの間にか野球部の声出しも終わっていた。
 静寂の屋上で茫漠の青空に俺の叫びは溶けて消えていくようだった。

 いるわけないよな。

 最初から期待なんてしなければ良かったんだ。
 自分に無理矢理そう言い聞かせ屋上を後にしようと扉に向き直ったときだった。

「何だー。私の名前言えるじゃん」

 屋上の入口に制服に身を包んだ美咲が立っていた。美咲はいつも通り俺をからかうような笑顔で近づいた。社会科準備室のときのように泣きそうになった。

「あれ?泣きそう?よっぽど私に会いたかったんだねえ?」
「んなわけねえだろ!泣かねえよ!」
「はっはは。嘘へたくそ―」

 相変わらずこいつは俺をおちょくりやがる。俺らは顔を見合わせて笑い合った。

「けど、何で夏休みなのになんで屋上に?」
「私は未来が見えるんだよ。だから君がここに来るってのが見えて駆け付けたんだよ」

 美咲は腰に手を当て胸を張ってドヤ顔をした。

「そんなこともできるのか」
「でも、ここ最近はこの力も弱まってきちゃったけどね」
「いや、それでもすげえって」
「そんなに褒めても何も出ないよ」
「あのさ」

 いつも通り美咲のペースに乗せられていたけど俺は美咲に謝らなきゃいけないんだ。ここで謝らないと俺は死ぬときまで後悔するに違いない。だから今ここで。

「こないだはごめん。あんなことして。勝手かもしれないけど許してほしい」

 頭を下げた。そして恐る恐る顔を上げたときだった。

「えぇー。どうしようかなあ」

 美咲は口に手を当てて笑っていた。謝る方が言うのもあれだけど許す流れじゃないのか。美咲らしい。

「ごめんって。ごめん。何でもするから」

 慌てて手を合わせて再び謝った。

「あ、私にそんなこと言って大丈夫かなー?」

 思わず言った自分の言葉に驚いた。何でもするなんて美咲に一番言っちゃいけないことだってわかっていただろうに。

「何をしてもらおうかな?」
「勘弁してくれよ…」
「じゃ、これに付き合ってくれたら許してあげる」

 そう言って美咲はカバンから一枚のチケットのようなものを俺に渡した。そのチケットを見ると以前カラオケに行ったときに俺と彼女が好きだと話したバンドのライブのものだった。

「日付今日だから、今から行こう!」
「マジか」

 突然の誘いに驚いたけれどもやはり美咲はこういう人間だ。思いのままに動いていく。そうして美咲に腕を引っ張られて屋上を出た。