水煙を上げる夕立の激しい音が響く中、自室のベッドに寝転んだまま天井を見つめていた。眠くもないが目を閉じる。遥か遠くの方で唸るような雷鳴が耳に届くようで、わけもなく寝返りを打った。
今日行われた日本史、英語、古典の三つはきっと赤点ではないだろう。そして、まだ残っている科目も赤点を回避できるだろう。
自分が勉強に目覚めたわけではない。彼女からもらった予想問題があまりにも正確過ぎたのだ。と言うより今日のテストの全ての問題があのルーズリーフと同じ問題が出題されたのだ。最初はその正確さに歓喜した。けれど、問題を解いていくうちにその機械的な正確さは気味が悪くなった。
初日の最後の科目を終え、屋上の扉を開くとそこに彼女は立っていた。
「全部当たってたでしょ?」
曇り空の天気とは対照的にケラケラと当然の結果を出しましたと言わんばかりの笑顔でそう言った。
「確かに全部的中していた。けど…」
「あれ?元気ないな?ルーズリーフ貰ったときは嬉しそうだったのに」
自分が一体何をしたのか自覚がないのか。それともあの予想問題は必然的に的中するものでそれを不思議がる俺の方がおかしいのかとも思ってしまいそうだった。
テスト問題が作られる職員室はテスト期間の本番二週間前から生徒の出入りは禁止される。だからテスト問題の漏洩なんてことは起きることはない。ましてや複数の教科で同時多発的に起きることなんて。
あの的中率百パーセントの予想問題を作ることができるには俺の中で一つの仮説があった。現実的にありえないことだ。けれど今この普通じゃ考えられないことが起きている理由はきっと常識の範疇の思考でわかるものではない。俺は声を震わせて彼女に尋ねた。
「お前って本当に未来が見えるのか?」
自分でもバカな質問だと思う。十六歳になって非科学的でオカルトなことを尋ねているなんて。しかし、あの予想問題の正確さは本当に未来が見える力でもなければできないものだ。彼女は少しばかりあっけに取られた表情を浮かべたがすぐに笑顔に戻った。
「そうだよ。何度も話したじゃん。だからあんな予想問題も作れたってこと」
穏やかな口調で彼女はそう説明した。このとき俺は「ただの偶然なのに」とか「あんなデタラメ信じてたの?」と俺のことをバカにする言葉を期待していた。けれどもそんな期待はあっさりと裏切られた。
ただ、未来が見える力そのものは正直どうでも良かった。問題の一つひとつを不気味さを覚えながら問題を解いていたときから気がかりだったこと。固唾を飲み恐る恐る口を開いた。
「世界が終わるっていうのは本当なのか?」
彼女と初めて出会って言われたこと。カフェでケーキを頬張りながら聞いたこと。テスト中にこの話を思い出すまで無関心であった。心の中でこの目の前の女子のことを妄言を振りまく異常者だと思いバカにしていた。今だって俺は頭の中ではそんな風に思っている。いや、そうであってほしいという願望だ。今このタイミングで俺がこの質問をするのを予想して、彼女が未来が見える力を持っているのを信じ込ませた上でビクビクしながらこんなことを尋ねさせる壮大ないたずらであってほしいと。そうであれば俺は怒らずに「そうだよな」と何もかもを水に流して大笑いをしたに違いない。けれども、そんな淡い期待はすぐ裏切られた。
「そう。みんな死ぬよ」
笑顔を見せながらも彼女は淡々と話しているが、その事実に俺は言葉を詰まらせた。額から嫌な汗が流れ、七月の真夏日の暑さの中、足が震えているのがわかった。
「死ぬって、どうやって」
震え声でそう聞くと彼女は腕を組んで少し悩んだよう後に丁度良い説明の仕方を思いついて「閃いた!」というような素振りを見せた。
「大地震でも隕石の落下でも核戦争でもない。本当にただ九月一日に『終わる』ってこと。それが起きたときより先がない。なんだろう、物語を読み終えて本を閉じられるような感じ」
そう彼女は説明をするが理解ができなかった。理解したくなかった。こいつは未来が見えてその見た先に世界の終りがあった?俺たちはもう二ヶ月で死ぬ?そんなことがあってたまるか。いつも通り学校に行き授業をサボって教師に怒られ、反省したフリをして隠れてタバコを吸うような日々が終わることなんて信じられるか。例えそれが本当だとしても何で知らなくちゃいけないんだ。目の前に立っているこの女と出会わなければ。
「『終わる』って!一体何だ!」
右手で彼女の肩を掴み声を荒げた。心臓の音が脳に直接響くようだった。拍動の度に憎悪が膨れあがり全身を覆いつくすようだった。けれども冷静さを欠いた俺を彼女は恐がることなくじっと静かに見つめていた。
「きっと『終わる』ってこういうことなんだと思う」
そう言うと彼女は掴まれた肩の俺の右手を払いのけ同時に制服のポケットから何かを取り出しそれを力強く俺の手首の動脈に押し付けた。固くてとても冷たい。そしてそれがハサミの刃だということに気が付いた。驚きの声を上げて咄嗟に右手を引き抜こうとした。
「待って。そのまま」
彼女は暴れだした馬をたしなめるように穏やかにそして静かながらに力強く声を掛けた。いつもは知らないでいた手首の脈拍を強く感じた。冷たい金属の刃に身体の体温を吸い取られていくようだった。
「少しはわかった?」
彼女は手を離しハサミをしまった。その表情から感情は読み取れなかった。
「じゃあ明日のテストの対策があるからバイバイ」
俺が放心していると彼女はそう言って屋上を後にした。俺は顔から流れる汗をそのままに左手で右手を抑えて動脈をずっと凝視していた。そして脈を打ち生きた血が流れているのを感じていると全てが遠くに見え始めた。
身体が熱くなり、今になって俺は生まれて初めて「死」を意識した。車に轢かれそうになって、危なかったと思うような類とはかけ離れた自分が死に自身の存在が消えた後のことを。
死んだ後ってどうなるんだ。天国?地獄?生まれ変わる?本当にあるのだろうか。じゃあ、俺たちはどこに?彼女との会話も、今こう考えていることも一体何の意味が。俺の今あるこの意思は?昼休みに食べていたコッペパンの無機質な味。まずいワインを飲んだ二日酔いの頭痛。手首に刃物を当てられたときの恐怖。これら全てを知覚したこの意思というものはどこに行く?そして俺が今ここにいる理由は?
急激に思考が入り乱れ頭痛がした。呼吸が乱れ、胸が締め付けられるようで苦しい。心臓の鼓動がやかましく騒ぎ立てる。気持ちを落ち着けようと震える手でポケットからタバコを取り出し、口に咥えて火を点けた。ゆっくりと吸いこんだつもりが勢いよく吸ってしまったようで、灼けるような煙に咳き込んでしまった。
そのとき、ポツリと頭に水滴が降ったかと思うと滝のような豪雨が降り出した。あっという間にずぶ濡れになった俺は声にならない叫びを上げた。世界が夕立に音をかき消される中、弱々しく火の点いたタバコを投げ捨てた。
今日行われた日本史、英語、古典の三つはきっと赤点ではないだろう。そして、まだ残っている科目も赤点を回避できるだろう。
自分が勉強に目覚めたわけではない。彼女からもらった予想問題があまりにも正確過ぎたのだ。と言うより今日のテストの全ての問題があのルーズリーフと同じ問題が出題されたのだ。最初はその正確さに歓喜した。けれど、問題を解いていくうちにその機械的な正確さは気味が悪くなった。
初日の最後の科目を終え、屋上の扉を開くとそこに彼女は立っていた。
「全部当たってたでしょ?」
曇り空の天気とは対照的にケラケラと当然の結果を出しましたと言わんばかりの笑顔でそう言った。
「確かに全部的中していた。けど…」
「あれ?元気ないな?ルーズリーフ貰ったときは嬉しそうだったのに」
自分が一体何をしたのか自覚がないのか。それともあの予想問題は必然的に的中するものでそれを不思議がる俺の方がおかしいのかとも思ってしまいそうだった。
テスト問題が作られる職員室はテスト期間の本番二週間前から生徒の出入りは禁止される。だからテスト問題の漏洩なんてことは起きることはない。ましてや複数の教科で同時多発的に起きることなんて。
あの的中率百パーセントの予想問題を作ることができるには俺の中で一つの仮説があった。現実的にありえないことだ。けれど今この普通じゃ考えられないことが起きている理由はきっと常識の範疇の思考でわかるものではない。俺は声を震わせて彼女に尋ねた。
「お前って本当に未来が見えるのか?」
自分でもバカな質問だと思う。十六歳になって非科学的でオカルトなことを尋ねているなんて。しかし、あの予想問題の正確さは本当に未来が見える力でもなければできないものだ。彼女は少しばかりあっけに取られた表情を浮かべたがすぐに笑顔に戻った。
「そうだよ。何度も話したじゃん。だからあんな予想問題も作れたってこと」
穏やかな口調で彼女はそう説明した。このとき俺は「ただの偶然なのに」とか「あんなデタラメ信じてたの?」と俺のことをバカにする言葉を期待していた。けれどもそんな期待はあっさりと裏切られた。
ただ、未来が見える力そのものは正直どうでも良かった。問題の一つひとつを不気味さを覚えながら問題を解いていたときから気がかりだったこと。固唾を飲み恐る恐る口を開いた。
「世界が終わるっていうのは本当なのか?」
彼女と初めて出会って言われたこと。カフェでケーキを頬張りながら聞いたこと。テスト中にこの話を思い出すまで無関心であった。心の中でこの目の前の女子のことを妄言を振りまく異常者だと思いバカにしていた。今だって俺は頭の中ではそんな風に思っている。いや、そうであってほしいという願望だ。今このタイミングで俺がこの質問をするのを予想して、彼女が未来が見える力を持っているのを信じ込ませた上でビクビクしながらこんなことを尋ねさせる壮大ないたずらであってほしいと。そうであれば俺は怒らずに「そうだよな」と何もかもを水に流して大笑いをしたに違いない。けれども、そんな淡い期待はすぐ裏切られた。
「そう。みんな死ぬよ」
笑顔を見せながらも彼女は淡々と話しているが、その事実に俺は言葉を詰まらせた。額から嫌な汗が流れ、七月の真夏日の暑さの中、足が震えているのがわかった。
「死ぬって、どうやって」
震え声でそう聞くと彼女は腕を組んで少し悩んだよう後に丁度良い説明の仕方を思いついて「閃いた!」というような素振りを見せた。
「大地震でも隕石の落下でも核戦争でもない。本当にただ九月一日に『終わる』ってこと。それが起きたときより先がない。なんだろう、物語を読み終えて本を閉じられるような感じ」
そう彼女は説明をするが理解ができなかった。理解したくなかった。こいつは未来が見えてその見た先に世界の終りがあった?俺たちはもう二ヶ月で死ぬ?そんなことがあってたまるか。いつも通り学校に行き授業をサボって教師に怒られ、反省したフリをして隠れてタバコを吸うような日々が終わることなんて信じられるか。例えそれが本当だとしても何で知らなくちゃいけないんだ。目の前に立っているこの女と出会わなければ。
「『終わる』って!一体何だ!」
右手で彼女の肩を掴み声を荒げた。心臓の音が脳に直接響くようだった。拍動の度に憎悪が膨れあがり全身を覆いつくすようだった。けれども冷静さを欠いた俺を彼女は恐がることなくじっと静かに見つめていた。
「きっと『終わる』ってこういうことなんだと思う」
そう言うと彼女は掴まれた肩の俺の右手を払いのけ同時に制服のポケットから何かを取り出しそれを力強く俺の手首の動脈に押し付けた。固くてとても冷たい。そしてそれがハサミの刃だということに気が付いた。驚きの声を上げて咄嗟に右手を引き抜こうとした。
「待って。そのまま」
彼女は暴れだした馬をたしなめるように穏やかにそして静かながらに力強く声を掛けた。いつもは知らないでいた手首の脈拍を強く感じた。冷たい金属の刃に身体の体温を吸い取られていくようだった。
「少しはわかった?」
彼女は手を離しハサミをしまった。その表情から感情は読み取れなかった。
「じゃあ明日のテストの対策があるからバイバイ」
俺が放心していると彼女はそう言って屋上を後にした。俺は顔から流れる汗をそのままに左手で右手を抑えて動脈をずっと凝視していた。そして脈を打ち生きた血が流れているのを感じていると全てが遠くに見え始めた。
身体が熱くなり、今になって俺は生まれて初めて「死」を意識した。車に轢かれそうになって、危なかったと思うような類とはかけ離れた自分が死に自身の存在が消えた後のことを。
死んだ後ってどうなるんだ。天国?地獄?生まれ変わる?本当にあるのだろうか。じゃあ、俺たちはどこに?彼女との会話も、今こう考えていることも一体何の意味が。俺の今あるこの意思は?昼休みに食べていたコッペパンの無機質な味。まずいワインを飲んだ二日酔いの頭痛。手首に刃物を当てられたときの恐怖。これら全てを知覚したこの意思というものはどこに行く?そして俺が今ここにいる理由は?
急激に思考が入り乱れ頭痛がした。呼吸が乱れ、胸が締め付けられるようで苦しい。心臓の鼓動がやかましく騒ぎ立てる。気持ちを落ち着けようと震える手でポケットからタバコを取り出し、口に咥えて火を点けた。ゆっくりと吸いこんだつもりが勢いよく吸ってしまったようで、灼けるような煙に咳き込んでしまった。
そのとき、ポツリと頭に水滴が降ったかと思うと滝のような豪雨が降り出した。あっという間にずぶ濡れになった俺は声にならない叫びを上げた。世界が夕立に音をかき消される中、弱々しく火の点いたタバコを投げ捨てた。