スマートフォンのアラームが鳴り響き目が覚めた。眠い目を開けてアラームを止めた。カーテンの隙間からは朝日が漏れ、いつもどおりだったら爽やかな目覚めであるが今日は違った。
 頭が痛い。いわゆる二日酔いというやつだろうか。しっかり寝たはずなのに身体の節々が心なしか重い。十代で二日酔いを経験するとはもしかしたら将来有望なのはないだろうか。気だるさを覚えながらも、階段を降りリビングに入ると秋穂が朝食を作っていた。

「おはよう。今ちょうどできたところだから食べちゃって」

 椅子に座ると目玉焼き、サラダ、トーストのいつも通りのラインナップが並んでいた。ほんの少ししか飲んでいない俺でこんなにも苦しいのにこの酒豪は平気なのか。

「今さ二日酔いがひどいんだけど秋穂は大丈夫なのか?」
「うん。もちろん」

 本当に同じ人間か。あれだけ大量に飲んでひどく酩酊したというのに一日寝ただけで回復するというのは姉弟なのに不公平すぎではないだろうか。

「あんた、もしかして二日酔い?」
「ああ、大分頭痛い」
「それじゃあ二日酔いの特効薬あげる」

 さすが。先人の知恵というものはこういうときに役に立つ。秋穂は冷蔵庫を漁り、何かを手に取って「ほら」と手渡した。その秘薬が何かを確かめてみると例の星型デザインの缶ビール。

「二日酔いには迎え酒だよ」
「いや絶対それ迷信だろ」


 二日良いの頭痛と本調子じゃない日の特有の気だるさにボーっとしながら教室の中に入ると、クラスメイトたちが俺の方を見てザワザワしだしたことに気づいた。

「マジであいつが」
「信じられないんだけど」
「聞こえるからやめとけよ」

 と、断片的にあちらこちらから聞こえて来た。ビビりながら噂するぐらいなら最初からするなよ。顔と名前の一致しないクラスメイトたちに癪に障ったが突っかかると面倒なのでそのまま自分の座席に着いたとき後ろから肩を叩かれた。

「飛鳥、有名人になってるぞ」

 振り向くと忠之がからかいの笑みと同情の哀れみが半々の表情で立っていた。

「一体何で噂されてるか見当がつかねえ」
「君、身に覚えがないのか。場所を移そう」

 忠之に促され、俺たちは教室を出て少し離れた階段の踊り場に場所を変えた。忠之は場所を変えてから先ほどの哀れみの表情は消え失せ、からかいの笑みが全面に出ていた。

「いやあ、意外と君も隅におけないなあ」
「どういうことだよ?」
「昨日、空野美咲とデートしてたんだろ。複数人の生徒からの目撃情報があったんだよ。それでみんな噂してる」

 俺は思わず顔を押さえた。カフェには行ったがまさかこんな風に他の人間から思われることになるとは。

「デートじゃねえよ…」

 ひどい誤解に対して愚痴のように吐き出した。人にどう思われようが知ったことではないが、訳の分からない噂で嬉々として話題の対象になるのは気分が良くない。

「てか、なんでこんな噂になるんだよ?有名人でもねえのに…」
「いや君はともかく空野美咲は学年じゃ相当な有名人だ。なんたって、一年のときからずっと成績は不動の学年一位で天才と言われている。それが君みたいな学年一の不良と言われている生徒と二人きりで歩いているのを見たら噂になるぞ」
「不良の自覚はないが、あいつそんなに頭良かったのか」
「君、それも知らずに一緒にいたのか。本当に君は他人に興味がないというかなんというか」
「余計なお世話だ」
「すまない。すまない。で、結局のところ君らは付き合ってるの?」
「付き合ってないさ。あんなやつと」
「それじゃあ、君らはどういう関係なんだい?」
「それは…」

 忠之の問いかけに言葉が詰まった。俺こそ知りたい。あいつとの関係性について。付き合っているわけでもなければ、友達でもない。予言をする女とそれを聞いた俺。こんなことをバカ正直に話しても狂人扱いされるだけだろう。散々迷った挙句俺は言う。

「俺だってわからねえよ」

 忠之に対しても自分に対しても言い聞かせるように苦し紛れにそう言うしかなかった。

「そうか。わかったよ」

 これ以上の追求は意味を成さないと思ったのかはわからないが、忠之はこれ以上聞いてくることはなかった。


 昼休みになると、教室はいつもと変わらず騒がしいけれども俺の噂をする者もいなくなった。クラスメイトは来週の数学の授業で急遽行われることになった小テストのことで持ち切りだ。
 いつも通りならコッペパンやおにぎりを食べながら忠之と授業とは無関係な適当な雑談をしてるのだけども、俺の留年が現実味を帯び始めてきた今では俺たちも例外ではなかった。

「飛鳥は来週の小テスト何か対策でもしてるの?」
「いや、全く」
「相変わらずノーガードで能天気だなあ」
「対策のやりようがないしな」
「今からでもやればマシになるかもよ。卒業しても数学って結構使うらしいから勉強しておいて損はないよ」
「忠之まで教師みたいなこと言うなよ」
「まあでも実際お互い文系選択だからね。経済学部に行くなら結構使うみたいだけど飛鳥って行きたい学部あるの?」
「どうだろ」

 担任の斉藤がホームルームのときに進路のことをグチグチと言ってはくるがそんなに真面目に考えたことなんてない。なりたい職業、行きたい大学、学びたい学問なんて俺にはない。そんなことを考えようとも思えなかった。

「どっかの大学には受かるだろ。きっと」
「飛鳥らしいね」

 忠之と話しているとスマホのバイブレーションが鳴った。見ると彼女からのメッセージが来ていた。

『今日も屋上に来てね』

 そのメッセージと共に例の喫煙の証拠写真が添付されていたためため息を吐いた。

「どうした?ため息なんて」
「禁煙しようか迷ったところだったんだ」


 放課後、誰にも見つからないように屋上に向かって入り口の扉を開いた。けれどもそこにあの女はおらず肩透かしを食らったよう気になり腰を下ろして壁にもたれかかった。
 どうせあいつには知られているんだ。ポケットからタバコとライターを取り出して口に咥えて火を点けたときだった。

「ごめん!遅れた!」

 というあの女の声と共に勢いよく入り口の扉が開かれた。

「やっぱり今日も来てくれたんだね」
「お前が呼び出したんだろ…」
「あれ?飛鳥くんタバコ吸ってるの?」
「どうせお前にはもう知られているんだしな」
「まあそうだけど。何かひどい顔してるね」
「は?」
「うふっ!冗談!冗談!何でもないよ!」

 相変わらず彼女は満面の笑みを浮かべ、からかうような素振りを見せている。今日こそは彼女のペースに振り回されないようにしてあの写真を削除させなければ。

「そういえば昨日一緒にカフェに行ったことみんなにバレて先生に呼び出されちゃった」

 彼女は後頭部に手を当てながら舌を出してそう言った。

「お前もバレたのか?」
「あれ、君も何か噂されたの?」
「ああ、そうだよ。おかげで面倒だった。てか、呼び出されたってなんだよ?」
「先生にね、飛鳥くんに何か弱みを握られているんじゃないのかとか困ったことがあったらすぐ相談するんだぞって言われたんだよ」
「脅しているのはお前の方なのに、そこまで俺は教師たちから信用がないのかよ…」
「だからあの子はバカだけど悪い子じゃないって名誉は守っておいたよ」
「それは名誉を守るというより棄損しているぞ」

 やはりこいつと話していると調子が狂う。言いたいことも言えずに一方的に手玉に取られるようにからかわれるだけだ。メンタルがもたない。今日こそは証拠写真を削除させるという決意が揺らぎかけた。

「で、今日呼び出したのは何なんだ?」

 そう言葉を発すると同時に彼女は食い気味に返事をする。

「今日もさ、付き合ってよ」

 なんとなくこういう流れになるのは薄々予想していた。証拠写真の削除のためだ。カフェの次は一体どこに連れていかれるのだろうか。
 屋上の床にタバコを押し付け火を消した。そして吸い殻をティッシュに包み、ポケットに突っ込むと重い腰を上げた。