そんな失敗がありながらも無事に調理は終わり食卓には分厚いステーキ肉とサラダに白米が並べられた。いつもより豪華な夕食だ。いただきますの号令と共にナイフでステーキを切り、口に運んだ。近所のスーパーで買った肉でやっぱり筋っぽいところはあるけれども分厚い肉を食べる快感は気持ちの良い。

「こんな美味しいお肉にはあれを出す必要があるね」

 そう言って秋穂は席を立つと冷蔵庫からワインを取り出してワイングラス二つと共に再び席に戻った。

「秋穂さ、俺も飲むの?」
「もちろん。飛鳥ってお酒飲んだことなかったけ?」

 まさかと思い聞いてみたらそのまさかだった。

「いや、中学のときに友達の家で少し飲んだことはあるけど…」
「じゃあ大丈夫だね」
「いや、そういう問題じゃ…」
「細かいことは気にするな」

 俺の言葉を押し切って秋穂はラベルにアルパカのシルエットが施されたボトルを開け、それを自分と俺のグラスに注いだ。

「乾杯」

 と互いにグラスを触れ合わせて並々と注がれた透き通った真紅の液体が揺れた。秋穂はその文字の如く一気にワインを飲み干し、再びワインを自分のグラスに注いだ。
 俺もグラスを傾け、舐めるように口に含んだ。渋い。口に入れて真っ先に思いついた感想だ。はっきり言ってしまえばまずい。口の中全体にブドウの皮を貼り付けられたような不快感さえも覚える。並々の注がれたこのワインを捨ててしまおうかとも思ったが残すのももったいない。
 別に秋穂の顔を立てるわけではないが一応祝いの席であるため一杯は飲んでおくか。酒が進む毎に秋穂が饒舌になるのに対し一杯のワインを徐々に飲み進めていく俺の口数は減っていった。

 食事も終わり俺もなんとか自分のグラスの赤ワインを飲み干したときには身体が熱く、頭が少しボーっとし出していた。そして残りのワインは全部秋穂が空けた。なんで血のつながった姉弟なのに俺と違ってそんなに飲めるんだよ。

「飛鳥、あんた大分顔赤いよ。もしかしてあんたお酒弱いの?」
「ああ、そうだよ。中学のときもかなり度数が低い缶チューハイで結構酔った」
「それは大分弱いね。そんな無理しなくてもいいのに」

 秋穂はそう言ってコップに麦茶を注いで持って来てくれた。そしてもう片方の手には大きな星のマークが描かれた缶ビールも一緒に。この女は化け物か。プシュッと景気の良い音とともに秋穂は缶ビールを流し込むように飲みだした。

「やっぱ、ビールが一番美味しい」
「よくそんなに飲めるな」
「まあね。これぐらいは余裕だよ。あっそうだ。ビールならワインより度数低いから試しに飲んでみなよ。ほらっ」

 そう言って、秋穂は飲みかけの缶ビールを俺に差し出した。祝いの席だから。自分にそう言い聞かせて缶ビールを受け取り少し飲んでみる。苦い。まずい。結局すぐに缶ビールを秋穂に返すことになった。

「やっぱ無理だったかあ。でもこのビールが一番美味しくて飲みやすいと思うんだけどな」
「どれもみんな苦いだろ…」
「まだまだ子供だな。けどきっといつか飛鳥も大人になってビールの美味さがわかる日が来る」
「ああ、来ればいいな…」

 ビールについて熱弁を垂れ、怒涛の勢いで缶ビールを空けた秋穂は、さすがに飲みすぎたのだろうか。椅子の上でぐったりしだした。頼むから吐かないでくれよ。
 食べ終えた食器やグラスを下げて俺が洗い物をしたが何度か食器を手から滑り落としそうになった。かなり酔っているな。一方の秋穂は回復せずにテーブルに突っ伏していた。俺自身少しこの酔っぱらってる状態に慣れてきたのに対してあっちはひどい有様だ。
 今度は俺が麦茶を入れ、うなだれている秋穂に差し出した。秋穂は掠れた声で「ありがと」と言って麦茶を受け取り一気に飲み干した。一気飲み以外の飲み方を知らないのか。

「大丈夫か?」
「うっ」
「おい待て、ビニール持ってくるからまだ我慢してくれ」
「いや、大丈夫。まだ吐く五歩手前だから」

 親指を立ててそう言うが全くもって安心できないので俺はビニール袋を持って来た。

「ありがと。あんたやっぱり気が利くね。飲み会では一番重宝されるタイプだよ」
「そんな役回りごめんだわ」

 少しこの酩酊した姉を放置していると大分落ち着いてきたようでまた口数が増え喋り出した。就活でどれだけ自分が頑張ったのか。人よりもたくさんの企業に訪問したこと。圧迫面接にもくじけず自分の意思を伝えることができたこと。そんな苦労の中で自分自身がどう生きていくのかを見いだせたことをわめき出した。これ以上管を巻かれるのも面倒だからまた飲まして酔い潰そうか。だが吐かれたときに掃除の手間が増える可能性があるからやめておこう。

「いやでもね、私内定が決まってよかったよ」
「そうかい。そうかい。おめでとう。おめでとう。」
「あんた?姉が社会人への階段を上りだしたのに大分無関心じゃないの?いい、飛鳥?人ってのはね支え合って生きていくものなのよ。だから、私たちは人と関わり世界に貢献していかなきゃいけないの。その一歩をやっと踏み出したんだよおおおお!」

 秋穂の演説がピークに差し掛かり酔いがその熱弁に拍車をかけて足をジタバタさせながら自分の両手で髪をワシャワシャかき上げ出した。ああ、俺の身近には酒でどうにもならなくなる人間しかいないのかよ。

「はいはい。わかった。わかった。ありがたい講義拝聴できて光栄です」
「ほんとうにわかってんのかあ?」
「それじゃあ寝室に行きますよ。捕まってくださいね」

 以前テレビで観た介護特集でヘルパーの人が骨を折ったおばあさんをベッドに運ぶシーンのセリフを真似しながら秋穂の手を肩に抱え起こし上げた。ずしりとした重みが身体に掛かり思わず「重っ」と口に出た。

「殺すぞ」
「すみません」

 階段を上がり秋穂の寝室まで連れて行くと着替えもせずにベッドに糸が切れたように横になり出した。一仕事を終え、電気を消し部屋を出ようとしたときだった。

「飛鳥が大人になったらまた飲もうねえ」
「ああ、そうだな」

 部屋の暗闇を背にしてそう言うと二人だけの祝宴の後片づけを黙々と済ました。いつかあの渋いワインも苦いビールも美味いと思える日が来るのだろうか。