カフェから帰宅して自宅の扉を開けると「おかえり!」と大きな声と共に秋穂が玄関まで来た。声の調子、何よりわざわざ玄関まで出迎えに来るってことはかなり上機嫌な様子だ。

「ただいま。何かいいことでもあったのか?」

 大した興味はないけれども、どこで秋穂が機嫌を損ねるかわからないので相手の調子に合わせおいた方がいいのは自明の理。姉がいる身として心得た処世術をいかんなく発揮した。めんどくせえ。

「実はね、こないだの企業から内定もらえたの」
「おめでとう。よかったじゃん」
「うん、ありがとう。でね、今日はお祝いでステーキ肉買ってきたの」
「おおっ!ありがとう」

 思いがけない幸運。昨日までの甘ったるいカレーとは打って変わって豪華な夕食だ。
 自室に行きベッドの上でイヤホンをつけて音楽プレイヤーに入っている音楽をストリーミングしながらいると今日のカフェでの約束をふと思い出した。あの中二病女の脅迫に屈してしまった。これからもあいつと関わらなきゃいけないことの煩わしさに再び腹立たしくなった。向こうが俺に脅迫してきたようにこちらも強気に恫喝気味に迫ればあの写真を削除できたのかもしれない。けれどもあの空野美咲って女は俺の調子を狂わせる。次に会ったときは絶対にあの写真を消して二度と俺にこんな舐めた真似はさせてやるものか。
 そんな苛立ちの中、二階の自室まで肉の焼ける匂いがしてきた。ずっと横になっているのも落ち着かなくなりイヤホンを外してベッドから起き上がり一階のリビングに降りた。

「やっぱ、俺も手伝うわ」

 フライパンで慣れぬステーキ肉と格闘している秋穂は驚いた顔をしたが「ありがと」と返し俺はサラダのレタスを引きちぎるように言われた。すぐにレタスを引きちぎり終えた俺は今度はトマトを切るように言われてトマトを水で洗い、まな板で切ろうとしたが慣れない包丁でどうやって切ろうか考えているときだった。

「まさかあんたが手伝ってくれるなんて思いもしなかったよ。明日は雪が降るんじゃないの?」
「気まぐれだよ。さすがに秋穂の祝いなのに当の本人に任せっきりにするのも悪いし」
「あんたさ気が利くようになったじゃん」
「どうもな」

 そんな会話をしつつトマトに対してどう切るか試行錯誤のシミュレーションを終え角度を決めて刃先を押し当てたときだった。秋穂がテレビの方を指差した。

「ねえ見て!」

 そう言われテレビの方に目を向けると最寄り駅近くのデパートの屋上が映し出されていた。どんな内容なのか気になってお互いに手を止めて観ていた。
 屋上にある子供用の小さな遊園地の採算が取れないから廃業にしたいけれども文化として残しておきたいという経営者の葛藤をインタビューしている内容であった。

「懐かしいね。まだ、飛鳥が四歳ぐらいのときお母さんとお父さんも一緒で遊びに行ったことあるの思い出しちゃった」

 秋穂は穏やかに笑いフライパンの上で食欲のそそる音を立てるステーキ肉をひっくり返した。

「そうか」

 と短く返事をした。俺はそのときのことをほんの少しだけ覚えていた。母さんも父さんも秋穂も今となっては考えられないが全員で笑っていたことだけはぼんやりと覚えていた。

「私さ。飛鳥の手を引っ張って歩いたときにね。私ってお姉ちゃんなんだって思えたの」

 秋穂は楽しく誇らしげにそしてどこか少し悲しげにそう話していた。
 そんな過去の出来事に思いを巡らせながらトマトの表面に刃を食い込ませてそのまま押し込むように力を入れた。まな板に勢いよく包丁が当たり、金属を打ち付けた大きな音が響き果肉は弾けるように潰れ、酸っぱい匂いが鼻を撫で果汁が飛び散った。

「ねえ!こっちまで飛んで来たんだけど!あんた下手すぎ!テーブルでも拭いてて!」
「申し訳ない…」