チョコレートケーキを頬張りながら空野美咲は満面の笑みで「美味しいね」と同意を求めて来た。一体どうしてこうなった。なぜ屋上で脅迫気味に連れてこられて俺は木造のこじんまりとした洒落たカフェで呑気にお茶をしているのだろうか。

「なぜお前と食事をするんだ?」
「このお店気に入らなかった?」
「そういう問題じゃねえよ」

 熱い紅茶をすすり、ひとまず店の中を見渡した。天井は木組みの母屋や小屋梁が隠されずに、木造建築の趣が全面に押し出された設計だ。心なしか木材の香りもほんのりと感じられる。
 他の客は老夫婦、外回りらしきサラリーマン、女子大生などそれなりに人で賑わっていた。今までの人生でこんな洒落た場所に来たことはあまりなく物珍しげに眺めていると目の前の女子が言う。

「実はずっと前からこの店気になってたんだよねえ。だから今日君を連れて来たの」
「それだけなのかよ」

 あまりにも普通すぎる理由に唖然とした。

「一体何を考えてたんだか」
「俺はその証拠写真をネタにした何か金でもゆすられるのかと思っているんだぞ!」
「私がそんなことするように見えるなんてひどいねえ。せっかく来たんだから。このケーキ食べてみなよ。美味しいよ」

 そう促され自分のチョコレートを口に運ぶ。甘すぎずチョコレートのほろ苦さ口の中に広がる。美味い。

「ああ確かに美味いさ」
「じゃあ、よし。紅茶も飲んでみて」

 熱い紅茶を啜った。香りが良い。これも美味い。てか、なんで指示されて食事をしなきゃいけないんだ。俺はこいつの飼い犬か。

「そもそもなんで俺をここに連れて来た?」
「うーん。一人で寂しそうだったからかな」
「バカにしてるのか」
「冗談だって。冗談。細かいことは気にしない。だから女の子にモテないんだぞっ」
「おい…」

 この女のペースに乗せられまともに会話ができずに歯がゆい。あの証拠写真さえ消せれば早くこの場から立ち去りたいというのに。

「あっ、そういえば初めて屋上で会ったときのこと覚えてる?」
「寝ぼけていたから少ししか覚えていない」
「何でよお。せっかく二つも予言したのに」

 ああもう。予言予言っていつまでその設定引っ張るんだよ。子どもの妄想に付き合う幼稚園の先生や保育士の苦労が今わかった気がする。あの人たちはすごいよ。十年前以上に薄っすらとしか記憶の残っていない自分の世話をしてくれた保育士に今になって尊敬の念を抱いた。

「予言って『雨の匂い』のことだろ?」
「私は都会っ子だからそんなのわかりませーん!」
「ああ、そうかよ。後一つ何か言ってたっけか?」
「世界が終わるってことだよ」

 彼女は笑みを浮かべたままトーンを変えて少し真面目な声色で喋り始めた。確かにそんなことを言っていたような記憶はあるがあまりに突飛な話に眉をひそめた。

「今さらノストラダムスにでも影響受けているのかよ」
「信じられないのも無理ないよね。信じるか信じないかはあなた次第だよ」
「胡散臭えわ」
「とりあえず九月一日に前触れもなく世界が急に終わるの。だから今日ここに来たの」
「何が『だから』だよ。その世界が終わるってことと今日のカフェが何の関係があんだよ?」

 面倒くさく呆れたようにこの女の中二病設定に付き合ってやっているんだぞといった態度でそう聞くと、彼女はその態度に一瞬不満気な表情をしたが取り繕うように微笑みを浮かべた。

「世界が滅んだらこのケーキや紅茶がもう一度食べたり飲めたりできることなんてないじゃない?」
「それはそうだけれども、何も今じゃなくてもいいんじゃ…」
「ああっ!それっ!その考えがいけない!」

 彼女は俺の言葉を遮りティースプーンを突きつけた。

「世界が終わらなくても、もしかしたらお店が閉店してしまうかもしれない。ケーキの材料が手に入らなくなるかもしれない。私たちが明日事故に遭って死ぬかもしれないってことがあるじゃない!」
「いくら何でも考えすぎだろ」
「君だって安全と思ってた場所でのタバコが私にバレたじゃない!あのまま先生に報告してたら今ごろ停学だよ!」
「あー。それは…」

 言葉に詰まり誤魔化すようにケーキを口に入れた。痛いところを突く女だ。

「お金を払えば必ずいつでも紅茶やケーキを楽しめるなんて保証はないの!だから今じゃないとダメなの!おわかり!?」

 彼女は突きつけたスプーンをやっと戻し、紅茶を啜った。

「はいはい。ありがたい話どうもな。けど、未来が見えるならその心配は必要ないんじゃないか?」
「君さ、そういうところをツッコむからやっぱりモテないんだよ」

 やられっぱなしでいるのも癪に障るので、言い返してみればひどい指摘をされ「おい…」としか頭を抱えて言えなかった。そんな俺が惨めに見えたのかこの女は話題を変えようと「そういえば」と切り出した。

「あなたは世界が終わる前に何かしたいこととかないの?」
「あんたの盗撮した写真を消させることだな」
「もしかして何もやることがないの?」

 彼女はニヤニヤしながら煽るような言葉を俺にかけた。

「未来が見えて世界が終わるなんて話を信じられると思うか?」
「じゃあ、仮にあなたが三ヶ月後に死ぬとして考えてみて」

 そう言われ考えてみたが、言葉に詰まった。一週間後の宿題、一ヶ月後の期末テスト。そんなことがよぎったが与えられた使命もなければ生きがいもない。飯を食って学校で授業をサボり寝るような惰性的な生活。そんな俺には死ぬまでの三ヶ月でやることなんてものは思いつかなかった。

「やっぱりないんだねえ」

 からかうような口調で彼女は相変わらずニヤニヤとしている。そして「あ、そうだ」と言った。何かを思いついたようだ。

「ねえ、世界が終わるまで付き合ってよ」
「は?」

 驚きで思わず変な声が出た。何を言っているんだこの女は。

「あ、ごめん。言葉足らずだった。これからもどうせやることないだろうから、私のやりたいことに付き合ってっていうこと。あと、君みたいに学年で一番留年しそうな不良男子とか眼中にないからー」
「はっ倒すぞ。てか、何で留年しそうなこと知ってるんだよ?」

 彼女は「キャー恐いっ」と小声で冷やかすに呟き、紅茶を飲み干した。

「君って意外と有名人なんだよ。学年一の不良だとかって噂もあるし」
「そうか。それは随分と名誉な称号だ」

 鼻で冷たく笑い、彼女をねめつけた。

「もー、怒らないで。で、どうするの?私の誘いに乗らない?」
「却下」
「ええー、なんで?」
「めんどい」
「ノリ悪っ。だから友達あんまりいないんだよ」
「俺は独りが好きなだけだぞ」

 頬を膨らませたこの女子はこちらをじっと不満気に見つめている。俺はお構いなしに残りのケーキを平らげ、すっかり冷めた紅茶を飲み干した。
 そのとき彼女は再び何かを思いついたような表情をしだした。どうやら、今度はとっておきのアイデアを思い付いたのか、今日一番の笑顔を見せた。

「じゃあさ、私と一緒にやりたいことに付き合ってくれたらあの写真を消してあげる!」
「結局は脅迫かよ…」

 あの写真をバラされて停学にでもなったら時期によっては期末試験を受けることもできずに留年に王手がかかる可能性だってある。背に腹は代えられないというのはこのことか。しばらく悩んだ末に重い口を開いた。

「わかったよ。あんたの遊びに付き合ってやる」
「よっしゃ」

 ガッツポーズをしたあと、彼女は右手を俺の前に差し出した。

「それじゃ、世界の終りを知る者同士よろしくね。飛鳥くん」
「はいはい。了解」

 ため息を吐き出しながらその握手に応えた。本当に面倒なことになった。

「そうだ。あの写真はホーム画面に設定しておくねー」
「は?危ないからやめろ!」
「ふふ。冗談、冗談!」

 脅迫に屈しわけのわからない約束を取り付けられ、今日は散々な日だ。顔をしかめる俺に空野美咲は声を上げて笑っていた。