結局ベランダの上で朝を迎えた。東の空から見える朝焼けは、寝ずの晩を経た身体には焼けるような眩しさだ。骨の髄まで焦がしつかされた感覚を味わい、洗面台の鏡を見ると吸血鬼のような青白い顔をした自分が映っていた。目の下にはクマができ、心なしか頬もこけているようだ。
 リビングでは秋穂が目玉焼きを焼いていてくれてトーストとサラダがテーブルに並んでいた。秋穂には「ひどい顔!」と言われた。無気力に頷いて食欲はなかったが、せっかくの朝食を無駄にするのも忍びないので無理矢理胃袋に押し込んだ。気持ち悪い。さすがに徹夜明けにこのボリュームはきつかった。


 学校に着いても胃もたれは治らず気分が悪かった。下駄箱で上履きに履き替えるのも胃の不快感でやっとだった。気持ち悪い。徹夜のせいで身体が重く怠い。無理してあんな量を完食して本当に吐くような気がした。教室に着いて忠之から「おはよう」と声をかけられたが、返事をする気力が起きなかった。

「飛鳥、顔色悪くないか?」
「やっぱりそうか…」
「保健室に行った方が?」
「サボりを疑われるから保健室は使えない。屋上で横になって来る」

 朝のホームルームが始まるまで一人で静かに横になっていようと思い、屋上へ向かった。階段を一段ずつ上る度に胃が圧迫され内容物が逆流してきそうだった。さすがにトイレ以外の場所で吐くのは嫌だ。嘔吐の衝動に耐えながら階段を上り切り屋上の錆びついた扉を開けた。

「やっと来たね。飛鳥くん」

 澄ました微笑みを浮かべた女子生徒がそう尋ねた。その顔には見覚えがあった。「雨の匂い」の女。あのときの女子が目の前に立っていたのだ。

「は?」

 なぜこの女子はここに居るのだろうか。何で俺の名前を。そして屋上に出入りする扉に向かって待っていたのはなぜだ。まるで俺がここに来ることをわかっていたかのように。

「そんな驚かないでよ。ここは君だけの場所じゃないしょ?」

 目の前の女子はあどけなく無邪気に笑いながら俺に近づいた。このときに目の前の不可解な状況に胃の不快感なんて忘れてしまっていた。

「そういえば、まだ名前を教えてなかったね。私ね空野美咲っていうの」

 そう自分の名前を名乗っているが、状況の掴めない俺にこの空野美咲という女はその動揺を察したのだろうか。

「君がここに来る未来が見えたんだよねえ」
「一体何を言っているんだ?」

 未来が見える?ふざけているのか。ただ単に頭が電波なのだろうか。だとしたら関わってはいけないタイプの人間だ。思わずため息が出た。

「ま、そんな細かいことは置いといて。これを見てよ」

 そう言って彼女はスマートフォンを目の前に突きつけた。その画面には屋上で寝っ転がりながらタバコを吸っている俺が写っていた。

「盗撮したのかよ!」
「未成年喫煙より罪は重くないよ」

 その証拠の画像を消してやろうとスマホを取り上げようとしたが俺の動きを見通しているかのように彼女は避けた。俺がその素早い回避に転びそうになり体勢を崩してあたふたしている間に彼女はそのまま屋上の扉へ駆けていき階段の踊り場まで降りてこちらに振り返った。

「拡散してほしくなかったら今日の放課後、学校の近くの『エスカタ』っていうカフェに来て」

 階段下の彼女は大声でそう言うと足早に教室へ戻っていった。呆然としているとキーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。
 未来が見える力とかいう胡散臭さ。そもそもあいつは誰なんだということ。そして弱みを握られたこと。色んなことがありすぎだ。俺はただただ頭を抱えていた。


 そんな今日の授業はずっと上の空だった。普段から真面目に授業なんか聞いてはいないけれどもいつも以上にただずっと明後日の方向を見つめているだけだった。
 俺はあの女子の恨みでも買うことをしたわけではないはずだ。復讐される筋合いなんてない。俺のいた中学にあんな奴はいなかったし、俺が屋上で授業をサボっているときに初めて会ったんだ。だとしたら、あのとき俺がタバコを吸っているのを偶然見かけて金をゆするのにこれはいいネタだと思われたか。
 屋上なら誰も来ないと思って油断するんじゃなかった。クソったれが。今日わざわざ呼び出して「取引」というわけか。斉藤と村田に完全に敵視されている状態でこれ以上問題を抱えるわけにはいかない。放課後が正念場。女だからといって甘く見てはいけない。絶対に話をつけて削除させなければ。


 放課後になるとスマホの地図アプリを使って例の「エスカタ」という木を基調とした古風な店構えのカフェの前に着いた。正直本気で拡散まではしないんじゃないかとも少しばかり希望的観測もしていて、すっぽかしてやろうとも思った。
 けれどもあの写真を教師にタレこまれて停学になるのは代償が大きすぎるのでそうするわけにはいかなかった。そして扉に手をかけて深呼吸をすると覚悟を決めて店に入った。