「結婚はお買い得とかそういう話じゃないんです。お互いにこの人がいいって思ってするものでしょう」
「少女漫画の読みすぎだと思うよ」
「失礼ね。わたしはべつに少女漫画は読みません!」
「じゃあドラマの見過ぎだ」

「……そういうことじゃなくって……。とにかく、あなたがなんと言おうとわたしはあなたと結婚する気もないし、ドイツに住む予定もないし、そもそも明日からはドイツを南下してオーストリアに行く予定だし」

「は……?」

 そこまで言うと駿人さんがぽかんとした。

「オーストリア?」
「ついでにスペインも行って最後はイギリスに住む友達のところでひと月ほど過ごす予定です。だからさっさと許嫁解消に同意してください」

「聞いてないんだけど」
「聞かれてませんしー。言う必要も無いですよねー」

「俺、サヤちゃんがこっちくるってことで三週間も休み取ったんだけど。一時帰国今年も断念してサヤちゃんのために三週間」

 三週間! こっちは日の有給取るのだって無理な職場環境だったのに。

「一時帰国しないのをわたしのせいにしないでください」
「一応サヤちゃんにフランクフルト生活なれてもらうために色々とプラン練っていたんだけど」

「わたし、頼んでいませんし」
「一人でドイツとオーストリアとスペイン? しかもイギリスひと月? 何考えているんだ」

「別にいいでしょう。母には言ってあります」
「いや、だからね。女の子が一人で旅行なんて」

「今時ヨーロッパ一人旅なんて普通ですよ。ブログでもそういう人たくさんいますし」
「それとこれとは話が別。その子はサヤちゃんじゃない」

 わたしたちはじりじりとにらみ合う。
 そもそも、目の前の駿人さんは何様なのだ。わたしの保護者でもなんでもないだろうが。

 わたしは二十歳を超えた成人だ。ブラックな職場環境で働き詰めだったおかげでお金だけは溜まった。

 通帳の残高を見て、ちょっと自分でもびっくりするくらい溜まっていた。一人暮らしをしているのに、だ。
 だから贅沢をしなければ十分二カ月ほどヨーロッパを周ることができる。後半は友人の家に泊めてもらうけれど。家賃と光熱費だって払う約束はしてある。

「そういうわけで、もう会うこともないと思いますが、お元気で」

 わたしはカフェラテを飲み干して、締めに入った。
 話が平行線をたどるのなら、逃げるが勝ちだ。言い逃げしてしまおう。

 どうせ駿人さんとわたしは日本とドイツという物理的な距離もあるわけだし。
 よし、日本に帰ったら婚活しよう。それで優しい旦那様を見つけてラブラブな写真を贈りつけてやる。

 じゃあ、と立ち上がりかけた時。

「ちょっと待て。まだ話は終わっていない」
「わたしはもう話すことはありません」
「俺も行く」
「どこへ?」
「サヤちゃんの旅行に俺も付いていく」

 一瞬耳を疑った。こいつ、何を言っているんだろう、と。

「はぁぁぁ?」

 数秒後、現実に戻ったわたしは大きな声を出した。
 近くに座っていた人がこちらを見たが、気にしている余裕はなかった。

「いや、ちょっと。なにその、ちょっとお魚買いに行きます的なノリ。いい迷惑なんでやめてもらっていいですか」

「サヤちゃんこそ、俺に感謝したほうがいいと思うけど。きみのお母さん、サヤちゃんがドイツとイギリスに行くだけだと思っていたみだいだよ。俺がちゃんと引率しますんでって言ったら感謝された」

「ちょっと。なに勝手に人の母親と連絡とっているんですか! ていうか、さっきわたしの旅行計画聞いていないって言ったくせに」

 こういうとき、家族ぐるみで付き合いのある幼なじみは嫌だ。色々なことが筒抜けだから。

「サヤちゃんからは初耳ってこと。まあ幸子さんからはきみがドイツの帰りにイギリスの友達のところにも寄るってところしか聞いていなかったから間のプランのことは今知ったけど」

「そういうわけで、サヤちゃんは今から俺に旅の日程を教えること。準備するから」
「なんでそんなにフットワーク軽いんですか。ていうか、全力で拒否します。来ないでください」

「出張とか割とあるしね。欧州間の移動なんて日本でいう国内移動とおんなじだよ」
「いや、だいぶ違うと思いますが」

「とにかく、幸子さんにも俺が面倒見ますって言ったわけだし。サヤちゃんだって日本に一度帰ったときグチグチ言われたくないだろう」

 ずるい。ここで駿人さんを振り切れば母に告げ口すると言っている。
 何そのせこいやり口。最悪だ。

 どうして許嫁解消しにきたのに、その相手と呑気に旅行しないといけないの。

 しかも相手は駿人さん。よりにもよって。

 わたしは頭を掻きむしりたくなった。このまま彼の言うことを素直に聞くということが悔しい。