「どうせ幼なじみのほうが楽だから、とかそういう気持ちでしょ」
「三週間一緒に旅して、沙綾が隣で笑ってくれて、一緒に飯食って。これからも沙綾が隣にいてほしいって思った。幼なじみは関係なしに今は沙綾が好きだ」

「信用できない」
「どうしたら信用してくれる?」

 ばか。今更そんなこと言っちゃって。どうしてあのとき、行ってくれなかったの。
 駿人さんのばか。わたしは無言で目の前の幼なじみのことを罵った。

 この人を信じたい。けれども怖い。
 だって、ずっとわたしの方が彼を追いかけてきた。

「……だったら、わたしが駿人さんの言葉を信じてもいいって思えるように……。わたしに駿人さんを信じさせて」
「……わかった」

 少し間を置いた後、小さいけれど力強い声が聞こえた。

 * * *

 翌年の秋。連休に有休をくっつけた少し長めの休みを使ってわたしは初めて上海の地に降り立った。

 空港というのは基本世界どこも同じつくりだ。それでも初めて訪れる国や地域のパスポートコントロールは少し緊張してしまう。あと、ちゃんとスーツケースが運ばれてくるのかも。

 わたしは、ふわぁぁとあくびをした。昨日眠りが浅かったことは自覚している。

 離陸をして少しの間うとうとしていたら食事が運ばれてきて起きてしまった。もうひと眠りしようかな、と思っていたのに案外に早く着陸の態勢に入るアナウンスが聞こえてきて眠気が吹っ飛んでしまったのだ。

 たしかにフランクフルトに比べると上海は近い。約二時間半のフライトで事足りてしまうのだから。

 スーツケースが無事にターンテーブルの上をすいすいと泳いできて、それをピックアップして、わたしは税関を通って出口へ向かった。

 この扉の向こうは上海だ。いや、ここもすでに上海なのだけれど。
 この先に待っている人のことを思うと、どうにも胸がむずむずして、今すぐに反転して日本に帰ってしまいたくなる。
 だって、本物の彼と会うのは久しぶりで。画面越しではなくて、生身の駿人さんが待っているのだ。

 わたしはどうしたらいいの。会いたいのに会うのが恥ずかしい。でも、会わずに帰るとか、それも無理だと心が訴えている。
 騒がしい乙女心を宥めて、わたしはえいっと出口の自動ドアをくぐった。

「沙綾!」

 大勢の人が待ち人を出迎える中、わたしの耳が正確に彼の声をキャッチする。
 ドキン、と心臓が口から飛び出すくらいに勢いよく跳ねた。
 わたしの目の前に駿人さんがやってきた。

「久しぶり、沙綾」
「……久しぶり。昨日も会ったけど」
「画面越しにな」

 わたしの可愛くない返事に、駿人さんがくすっと笑ってスーツケースを奪っていく。

「ようこそ上海へ」
「まだ駿人だってお客さんでしょ」
「なに、俺に会えてうれしくないの?」

 そういう駿人さんはにやにやと口角を持ち上げる。

「俺は生身の沙綾に会えてうれしいよ」
「!」

 臆面なくそんなことを言うのだから、彼は変わったと思う。昔はこんな風にストレートに物事を言わなかったのに。
 これ、なんて返すのが正解なんだろう。いや、素直にわたしも会えてうれしいと言えばいいだけの話なのだけれど、わたしはまだ踏ん切りがつかない。

 信じさせてと言ったわたしのために駿人さんは手を尽くしてくれている。フランクフルトに帰ってしまった後も毎日メッセージを送ってくれたし、週末限定でテレビ電話で話をするようになった。

 最初の頃はぎこちなかったけれど、少し経つとわたしの緊張も解けていって、他愛もない話をして笑い合いあうようになった。
 駿人さんが上海に転属になってからは時差も日本とほぼ変わりなくて、最近では毎日夜にオンライン通話をするのが習慣になりつつある。

 画面越しではない、隣を歩く駿人さんを意識する。すぐに触れることができる距離に彼がいる。
 熱を持った生身の彼に会えてわたしはドキドキしているというのに、彼は平然と隣を歩いている。

「リニアモーターカー乗ったことないだろ」
 いや、たしかに乗ったことはないけれど。

「ん、どうした?」
「な、なんでも。リニア楽しみ……じゃなくて……その……」

 じっと見つめていると、わたしの視線に気が付いた駿人さんが柔らかな笑みを浮かべた。
 至近距離で視線が絡み、顔に熱が集まっていく。

 ずっと、決めていたことがあった。
 次に彼に会ったときに、ちゃんと言おうと決意した。

 わたしだって分かっている。駿人さんはきちんとわたしのことを想ってくれていることくらい。

 だから、わたしも返すと決めたのだ。正直にわたしの気持ちを彼に伝える。
 わたしはその場に立ち止まった。
 駿人さんも気が付いて隣でぴたりと足を止めた。

「駿人さん」

 わたしは少しだけ背伸びをして彼の耳に唇を寄せた。
 これは、あなたにだけ聞こえればいいから。