しぶしぶ一階にたどり着くと、そこには案の定というか駿人さんが待ち構えていた。
彼は艶やかなネイビーの襟付きカバージャケットに黒のパンツというシンプルな格好で、それが妙に様になっていて、なんとなく悔しくなる。
「おはよう」
「……おはようございます」
それ以上に話すこともなく、わたしたちは歩き出した。
駿人さんはホテルを出て、わたしを近くのカフェへと誘った。
ちなみに、駿人さんがいくつかピックアップしてくれたうちのホテルに決めたため、現在宿泊しているホテルはそれなりに値が張る。
そのため素泊まりプランを予約したため、外に出るのは願ったりだった。
「仕事辞めたんだったらタイミング的にもちょうどいいし、本気で結婚に向けてお互いに考えようか」
店員にオーダーした途端に本題に入るのはやめてほしい。
とはいえ、避けては通れないことでもあるわけで。
「考えるも何も。昨日も言いましたけど、わたしたち付き合った経験ないですよね」
わたしは語気を荒げた。
「でも、結婚願望はあるんだろう?」
対する駿人さんはわたしに合わせることもなく、省エネモードで相槌を打つ。
「わたしが想定しているのは恋愛結婚です。適当な相手とは結婚したくありませんっ!」
「サヤちゃん、婚約者を前に言うね」
「婚約者じゃありませんから」
「あのね、サヤちゃん。結婚と恋愛は別だよ。そういうこと言ってると行き遅れるよ」
なぜだか諭された。しかも、だいぶ上からモードだ。解せない。
恋愛結婚ってそんなにも特殊だっただろうか。
「俺にしておきなよ。お互いに家族のことも知っているし、むしろ俺たちが結婚をすることを望んでいてくれるわけだし」
さらに彼はそう続けた。
と、絶妙なタイミングで朝食が運ばれてきた。野菜とハムとチーズの入ったサンドウィッチとカフェラテ。駿人さんも似たような皿が目の前に置かれてある。
わたしは返事の代わりに「いただきます」と言ってサンドウィッチにかぶりついた。
そもそもの発端は、わたしと駿人さんの祖父同士が友人という関係から始まった。
父方の祖父は羽振りのよい人間で、人の集まるにぎやかな場が好きだった。
それは彼が結婚してからも変わらず、子供が生まれて成長して、孫が生まれて。いつしか仲の良い友人たちは家族ぐるみで付き合うようになっていた。
わたしが駿人さんと知り合ったのもそういう集まりの場でのことだった。
五歳差は子供には大きいけれど、大人の輪の中にいるよりはまだ年は近いし、話も合う。
学校も住む場所も違うけれど、夏休みになれば駿人さんの祖父の持つ田舎の別荘に呼ばれることもあった。
土地をいくつか持っている祖父は交友関係が華やかで、駿人さんの祖父も似たようなところがあった。
わたしたちの許嫁話が出たのは大学三年生の時。二十歳を過ぎた頃のことだった。祖父母から一緒にミュージカルに行かないかと誘われて劇団四季の公演を観に行ったときのことだった。
公演前のロビーで祖母が友達を見つけて、あらあなたもお孫さんと一緒なの、奇遇ねえうちもなの。せっかくだからあとで夕食でも、とかいう流れになった。というかあれは絶対に祖父母同士示し合わせていたに違いない。
さも偶然を装っていたけれど、その公演あとの夕食の席で婚約話が出たのだ。祖父母同士が意気投合して。口をはさむ隙も無かった。
「……駿人さんはおじいさんのためにわたしと結婚をするって言うんですか」
昔のことを思い出したら、今更ながらにイラっとしてわたしは口を開いた。
「確かにそれはあるかな」
「正直ですね~」
「きみを待たせていることが申し訳ないって気持ちがあるらしくて。最近特にうるさいんだよ」
それで仕方なしに結婚ですか。その考えにカチンとくる。
「何年も日本に帰国しないくらいにはお忙しそうですもんね」
「あれ、やっぱり責められている?」
「まさか。あなたがどこで仕事していようと、赤の他人のわたしにはまったく関係のない話ですし、べつにあなたに貰ってもらわなければいけないほど、わたし切羽詰まっていませんし」
駿人さんが外資系の金融会社。新卒で東京支社に採用され、その数年後にドイツへ赴任となり現在に至っている。東京の有名私大に在籍していたときに彼女がいたことだって一応知っている。
顔だって悪くはないし、むしろかっこいい部類だし、本気を出せば妻候補の一人や二人すぐに見つけられるに決まっている。
「ちょっと言い方が悪かった。俺自身もそろそろ身を固めようかな、とは思っている」
「じゃあ、誰かいい人見つけたらいいじゃないですか」
わたしは乾いた声を出す。
「俺はサヤちゃんとならいい家庭を築けると思うよ。家庭環境も似通っているし。サヤちゃんもいまからあてもないのに結婚相手探すくらいなら俺で手を打っておいたほうが手っ取り早いと思うよ。一応俺、お買い得だと思うし」
まだ言うか、この男。
わたしは無言でサンドウィッチを食べ進める。せっかくの美味しい食事もこの男の結婚談義のせいで台無しだ。
彼は艶やかなネイビーの襟付きカバージャケットに黒のパンツというシンプルな格好で、それが妙に様になっていて、なんとなく悔しくなる。
「おはよう」
「……おはようございます」
それ以上に話すこともなく、わたしたちは歩き出した。
駿人さんはホテルを出て、わたしを近くのカフェへと誘った。
ちなみに、駿人さんがいくつかピックアップしてくれたうちのホテルに決めたため、現在宿泊しているホテルはそれなりに値が張る。
そのため素泊まりプランを予約したため、外に出るのは願ったりだった。
「仕事辞めたんだったらタイミング的にもちょうどいいし、本気で結婚に向けてお互いに考えようか」
店員にオーダーした途端に本題に入るのはやめてほしい。
とはいえ、避けては通れないことでもあるわけで。
「考えるも何も。昨日も言いましたけど、わたしたち付き合った経験ないですよね」
わたしは語気を荒げた。
「でも、結婚願望はあるんだろう?」
対する駿人さんはわたしに合わせることもなく、省エネモードで相槌を打つ。
「わたしが想定しているのは恋愛結婚です。適当な相手とは結婚したくありませんっ!」
「サヤちゃん、婚約者を前に言うね」
「婚約者じゃありませんから」
「あのね、サヤちゃん。結婚と恋愛は別だよ。そういうこと言ってると行き遅れるよ」
なぜだか諭された。しかも、だいぶ上からモードだ。解せない。
恋愛結婚ってそんなにも特殊だっただろうか。
「俺にしておきなよ。お互いに家族のことも知っているし、むしろ俺たちが結婚をすることを望んでいてくれるわけだし」
さらに彼はそう続けた。
と、絶妙なタイミングで朝食が運ばれてきた。野菜とハムとチーズの入ったサンドウィッチとカフェラテ。駿人さんも似たような皿が目の前に置かれてある。
わたしは返事の代わりに「いただきます」と言ってサンドウィッチにかぶりついた。
そもそもの発端は、わたしと駿人さんの祖父同士が友人という関係から始まった。
父方の祖父は羽振りのよい人間で、人の集まるにぎやかな場が好きだった。
それは彼が結婚してからも変わらず、子供が生まれて成長して、孫が生まれて。いつしか仲の良い友人たちは家族ぐるみで付き合うようになっていた。
わたしが駿人さんと知り合ったのもそういう集まりの場でのことだった。
五歳差は子供には大きいけれど、大人の輪の中にいるよりはまだ年は近いし、話も合う。
学校も住む場所も違うけれど、夏休みになれば駿人さんの祖父の持つ田舎の別荘に呼ばれることもあった。
土地をいくつか持っている祖父は交友関係が華やかで、駿人さんの祖父も似たようなところがあった。
わたしたちの許嫁話が出たのは大学三年生の時。二十歳を過ぎた頃のことだった。祖父母から一緒にミュージカルに行かないかと誘われて劇団四季の公演を観に行ったときのことだった。
公演前のロビーで祖母が友達を見つけて、あらあなたもお孫さんと一緒なの、奇遇ねえうちもなの。せっかくだからあとで夕食でも、とかいう流れになった。というかあれは絶対に祖父母同士示し合わせていたに違いない。
さも偶然を装っていたけれど、その公演あとの夕食の席で婚約話が出たのだ。祖父母同士が意気投合して。口をはさむ隙も無かった。
「……駿人さんはおじいさんのためにわたしと結婚をするって言うんですか」
昔のことを思い出したら、今更ながらにイラっとしてわたしは口を開いた。
「確かにそれはあるかな」
「正直ですね~」
「きみを待たせていることが申し訳ないって気持ちがあるらしくて。最近特にうるさいんだよ」
それで仕方なしに結婚ですか。その考えにカチンとくる。
「何年も日本に帰国しないくらいにはお忙しそうですもんね」
「あれ、やっぱり責められている?」
「まさか。あなたがどこで仕事していようと、赤の他人のわたしにはまったく関係のない話ですし、べつにあなたに貰ってもらわなければいけないほど、わたし切羽詰まっていませんし」
駿人さんが外資系の金融会社。新卒で東京支社に採用され、その数年後にドイツへ赴任となり現在に至っている。東京の有名私大に在籍していたときに彼女がいたことだって一応知っている。
顔だって悪くはないし、むしろかっこいい部類だし、本気を出せば妻候補の一人や二人すぐに見つけられるに決まっている。
「ちょっと言い方が悪かった。俺自身もそろそろ身を固めようかな、とは思っている」
「じゃあ、誰かいい人見つけたらいいじゃないですか」
わたしは乾いた声を出す。
「俺はサヤちゃんとならいい家庭を築けると思うよ。家庭環境も似通っているし。サヤちゃんもいまからあてもないのに結婚相手探すくらいなら俺で手を打っておいたほうが手っ取り早いと思うよ。一応俺、お買い得だと思うし」
まだ言うか、この男。
わたしは無言でサンドウィッチを食べ進める。せっかくの美味しい食事もこの男の結婚談義のせいで台無しだ。