「いいじゃない。重たいって思うくらい想われてて。わたしなんかイギリス駐在が決まった途端に振られたんだから! 俺よりも仕事の方が大事なのか、とか言いやがってあいつ。付き合っているときは仕事をバリバリしている真子ってカッコいいよな、とか言ってたくせに! なんなの、あいつ。ふざけんなー!」

 興奮した真子さんが空になった酒の缶をばきっと握りつぶした。彼女は迷子というより目の前の壁がぼこぼことグーパンチしそうな面持ちだ。

「わたしだって人並みに結婚くらいしたいだから! ロンドンで夜一人フラットに帰ったときに感じる寂しさがあなたにわかる? もう、ちょー寂しいんだからっ!」

 彼女はそのまま慣れない海外暮らしの中での孤独を語った。「そりゃあ海外で仕事をするのは長年の夢だったけれど!」と言いつつも赴任してきてひと月、それなりに鬱憤が溜まっていたらしい。

 仕事繋がりでないわたしたちに対して遠慮なく愚痴を吐いていく。

「でも、アーサーは真子に気がありそうだったけど?」

 リリーが水を向けた。確かに彼は真子さんに気がある素振りだった。

「あれはいや。タイプじゃないもん」
「じゃあ仕方ないか」
 リリーはあっさり話を打ち切る。

「わたし、もっと線の細いタイプがいいの」

 日本語オンリー飲み会での本音トークは容赦がない。たしかにアーサーはどちらかというとがっちりというか、線は細くない。お腹も……うーん、出ていたような。わたしもつい、彼の姿を脳内で再生してちょっと失礼な感想を持ってしまう。

「駿人はさ、大学時代からモテてたわけよ。遊び人ってわけでもないけど、暗くもないでしょう。面倒見もよかったし。ちょうど彼女と別れたってゼミの飲み会で言ってて……それで……だったら、わたしと付き合わない? って聞いたのよね」

 そうしてお付き合いが始まったのだという。

「へ、へえ……」

 わたしはじゃがいものスティック菓子をぽりぽり食べる。それをどうして今更聞かせるのか。

「ま、それなりに大事にはしてくれていたけどね」

 大事にってどれくらいだろう。わたしは駿人さんとお付き合いをしたことがないから分からない。今まで付き合った彼氏はわたしをどのくらい大事にしてくれていただろう。とはいえ、こればかりは人それぞれの基準があるから分からない。この話、どこまで続くのだろう。

「大学四年の時だったかなー。卒論の口頭試問時期で学校に行ったとき、駿人にメール来て」
「……」

 卒論の口頭試問っていえば年が明けた頃合いだろうか。

「なんか幼なじみが大学に見学にくるかも、とか言ってて。駿人感慨深げにもうそんな年かとか会うたびに大人っぽくなっていって俺が年取るはずだよとか言うわけ。その顔がさ、なんか優しくて。わたし平静を装っていたけど内心面白くなかったなー」

 だって、その子はわたしの知らない駿人の昔を知っていたから、と彼女は続けた。大体、バレンタイン近い日で、わざわざメールして大学見学を伝えてくるなんて。と彼女は続ける。待ち合わせまではしていなかったみたいだけど、いたずら心を発揮して駿人と戯れていたと言ったところで真子さんはわたし向かってにっこりと微笑んだ。

「その幼馴染って沙綾さんでしょう」
 わたしは息を呑んだ。まさかここで繋がっていたとは。

「いいなあ。親族公認じゃあわたしに勝ち目なんてないじゃん。しかも駿人ったらご飯に行こうっていうわたしの軽い誘いをきっぱり断ったし。なんて言ったと思う?」
「さ、さあ……」

「沙綾に誤解されたくないし、今は沙綾と大事な時期だから余計なことに煩わされたくないって。変われば変わるよねー。わたしにそんなこと言ってくれたことなかったのに」
「……」

 わたしは黙りこくって、缶チューハイを飲もうとしたら空だった。仕方なくチョコレートクッキーのパッケージを開けて中身を口の中に放り込む。

 口の中が甘さに浸食されていく。
 反対にわたしの心の中は塩辛いままだ。

「だって……駿人はわたしに最後まで、結婚は条件だって。一緒にいて苦にならないからとか。そういうプロポーズってあります?」

 あの日のことを思い出して、くしゃりと顔を歪めた。
 ダニエルがリリーに向かって放ったプロポーズの言葉のあとだからこそ余計に悲しくなった。あまりに違いすぎる言葉の数々に。

 わたしだって本当は、あんな風に情熱的に心を向けてほしかった。わたしのことが好きだから結婚がしたいのだと、そう言ってほしかった。

「それで断ったの? いいね、若いって。わたしなら即オッケーしちゃうけど」
「真子とサーヤとでは違うの! サーヤはずっと駿人のこと好きだったんだから。初恋相手にそんなドライなこと言われたら思わずノーって言っちゃうでしょう」
 リリーが叫んだ。

「沙綾さんて少女漫画の読み過ぎじゃない?」