それは、幼いころのわたしが欲しくてたまらなかったもので、けれどもうんと背伸びをして限界まで手を伸ばしても手の届かないものでもあった。

「お好み焼き、久しぶりだなあ」

 待ち合わせ場所に向かう最中、隣を歩くリリーが弾んだ声を出した。

 わたしたちはコヴェントガーデン近くの路地を歩いていた。このあたりには小さな雑貨店が多く普段ならわたしのテンションもダダ上がりだけれど、昨日から心の中は曇り空が続いている。

 だめだ。せっかくリリーたちと外食なのに。気分を変えないと。

「お好み焼き、自分では作らないの?」

 ロンドンに来て意外に思ったことの一つが、リリーが自炊をしているという事実だった。お嬢様の彼女のことだから外食ばかりかと思っていたのだが、スーパーで買い物をして自分で料理もすると胸を張られた。

「自分でも作るよ。でも材料をそろえるのが面倒だからたくさんの種類は作れない。大体いつもキャベツとチーズとベーコンとコーンになる」

 薄切り肉は普通のスーパーでは売っていないし、日本食材店は高いからあんまり買わないしパスタが多いかもと話が続いていく。この話ぶりとキッチンの調味料のストックから鑑みても彼女はまめに料理をしているということだ。

「それにしてもロンドンにお好み焼き屋さんがあるなんて、世界は狭いなあ」
「ロンドンの日本人社会も狭いよぉ。もしかしたら店内で知り合いに会うかも」
「そんなにも狭いの?」

「駐在員と学生とだとあんまり被らないんだけどね。ワーホリと学生はよく被るよ、交際範囲が。駐在はリッチだから遊ぶところが被らない。あ、でも日本人ネットワークはどこでつながっているか分からないから怖いよねー」

 などと話しているとお好み焼きレストランに到着をした。会社帰りのダニエルと合流するので待ち合わせは十九時だが、太陽はまだはるか高い位置に居座っている。つくづく時間間隔が分からなくなってしまう夏のヨーロッパ。

 店の中は日本でよく見るタイプのお好み焼き店そのままで、テーブル席の真ん中にはそれぞれ鉄板が備え付けられている。テーブルに案内されて日本式に暖かなおしぼりが供され、ほっと息を吐く。
 ダニエルが到着するまで日本語でおしゃべりを続ける。

「それよりも、駿人を誘わなくてよかったの? 出張中で寂しい夕飯を食べていそうだから呼んであげたらよかったのに」
「いいの。わたしは別に駿人とずっと一緒にいないといけないってわけでもないんだから」

 もしかしたら、真子さんと飲みに行っているかもしれないし。別に、わたしが着にする必要もないわけだし。
「やっぱり元カノのこと、気になる?」
「駿人が誰と付き合っていたとしてもわたしには関係ないし。わたしだって彼氏いたしね」
 わたしの攻撃的な口調に、リリーが上を見上げた。駿人さんとのごはんどうだった、と聞かれて心がささくれ立ったまま彼女に色々とぶちまけたのだ。

「それよりも、今日はどういう会なの?」
 今日はダニエルが友人を連れてくると聞いている。

「んー、単にみんなでお好み焼き食べようの会。ダニエルの友だち、アーサーっていうんだけどその人とは会ったことあるよ。アーサーが日本人連れてくるって。なんか職場の同僚らしいよ」
「へえ?」

 要するにご飯は大勢で食べたほうが賑やかで楽しいよね、ということらしい。
どんな人が来るのだろうとぼんやりと考えていると、店内に客が入ってきた。店員が客をこちらへ連れてくる。顔をそちらに向けて一拍後、わたしは口を中途半端に開けて「あ……」と言って固まった。

「あなた」

 対する女性も、立ち止まり同じように中途半端に口を開けた。
 一緒に歩いて来た男性が突如立ち止まった女性、真子さんに顔を向けて、どうしたんだと言わんばかりに眉を持ち上げた。

「はあい、アーサー」

 リリーが陽気な声で話しかける。ダニエルと同世代に見える彼は恰幅の良い身体を少し揺らしながら「Hi, LiLiy」と返事を返した。ということは彼がダニエルの友人で、職場の同僚の日本人が真子さんということらしい。

 こわ。ロンドン日本人社会、聞いていた以上に狭い。昨日の今日でもうもう再会とか。なにそれ。どれだけ狭いの。
 固まったわたしを見たリリーは何かを察したらしい。

 アーサーは側に立つ真子さんに「ほら、マコ座って。俺お好み焼き楽しみ」と呑気に宣った。

 * * *

 あれからほどなくして合流したダニエルを加えて、お好み焼きパーティーは無事決行と相成った。

 ビールで乾杯をしたあと、ダニエルが「アーサーは日系企業に勤めていて、俺とは高校の頃からの友人」と説明をした。

 相変わらず淡々とした口調だけれど、これが彼の標準なのだとわたしもすっかりなじんでいる。