* * *

 目覚ましもかけずに爆睡していると、下から男の人の声が聞こえてきた。
 夢かな。うん、夢だ。そう思うことにしてわたしは二度寝を決めることにする。

 さすがに昨日は色々とあって疲れている。結局眠りについたのは午前零時を過ぎていたし。

「沙綾、そろそろ起きる時間だよ」

 どうして駿人さんの声が聞こえるのだろう。
 今は眠っているのだから、ここに彼がいるのは変だ。じゃあ夢か。わたしはあっさりと考えることを放棄した。

「ほら、起きろ。じゃないと寝起きすっぴん顔を拝んでやるからな」

 え、すっぴん?

 どうにも物騒な台詞にわたしの頭がぼんやりと覚醒を始めて、昨日の記憶を再生する。

「え、ちょっと待って! すっぴんは見ちゃだめ!」

 わたしは飛び上がった。
 そうだった。昨日から彼と同じ部屋だったんだ。
 起き上がったわたしが室内を見下ろすと、ばっちり駿人さんと目があった。

「え、ちょっと。やだ。変態! 顔見ないで」
「へ、変態だと‥…?」

 わたしは前方に屈んだ。見られてしまった。
 すっぴんを見られた。

「だいたいすっぴんとか今更だろ。俺沙綾のすっぴんなら小さいころからずっと……」
「それとこれとは違うから!」
「あー、もうわかった。俺は向こうむいているからさっさと準備してこい」

 わたしは慌てて荷物を持ってバスルームへ駆け込んだ。
 朝から色気も何もない会話に泣けてくる。
 室内着はTシャツにスエットという可愛さの欠片もないものだし、それに髪だってじゃっかん寝癖が付いている。

 そりゃあ、普段化粧に時間は掛けていないけれど、それでもファンデーションはしているし、眉だって書くわけだし。

 ああでも、駿人さんと夫婦になったらすっぴんも見せるのか。
 なんて考えてしまってわたしはバスルームで一人飛び上がった。なんてことを考えたのだ。

 顔を洗って化粧をして着替える頃には仕事終わりかというくらい疲れていた。

 これから一日が始まるのだというのに、ありえない。
 しかも、だ。こうして動揺しているのはわたしだけなんだから、腹が立つ。
 ホステルを出て、近所のカフェに向かっている今だって、駿人さんは普段通り涼しい顔をしている。

「ここにしようか」

 適当に歩き、目についたカフェのテラス席に落ち着いてわたしは気分転換も兼ねて生ハムサンドを注文した。
 やはりスペインに来たら可能な限りハムを食べまくる。色気よりも食い気だ。

 十時前だというのに、スペインの日差しはすでに強い。同じヨーロッパだというのにオーストリアの太陽とはどこか違う。
 飛行機で移動すること約三時間。それでこうも変わるのか、と不思議に思う。

「オレンジジュース美味しいっ」
「うまいな」

 初スペインということもあってわたしと駿人さんはどちらも似たようなメニューだ。オレンジジュースに惹かれて頼めば生絞りのものが供されて、それが驚くほど美味しい。
 市販のオレンジジュースとの違いに感動してしまう。

「わたし、毎日ここのカフェでいいかも」
「スペインレベル高いな」

 オレンジジュースに絶賛するわたし達は瞬く間に朝食を食べ終わった。
 今日の予定をどうするか話し合っていると、二人連れがこちらに近づいてきた。カフェ利用の客だろうか、とちらりと考えると「ハヤト」と聞こえた。

 二人して顔を上げる。
 金髪の細身の男性はサングラスを付けている。さっとそれを外すと下からとんでもない美形が現れた。白いシャツにダークインディゴの細身のデニムパンツにスニーカーというラフな服装が恐ろしく決まっている。

「エミール」

 と、聞き取れたのはここまでで駿人さんは驚愕顔のままエミールと呼んだ男性と話始めた。
 この気安い雰囲気からすると、知り合い、いや友達だろうか。

「コンニチハ」

 うわ、日本語しゃべった。
 突然に話しかけられて、わたしはドギマギした。

「初めまして。僕はエミール。ハヤトの同僚。よろしくね」

 今度はゆっくりとした英語だった。わたしだってこのくらいなら聞き取れる。

「マ、マイネイムイズサアヤ」

 わたしは思い切りジャパニーズ発音の英語で自己紹介した。彼は発音に笑うでもなく、愛想よく手を差し出してきた。

 ハンドシェイクして互いに自己紹介は終了。
 それにしても、まさかスペインで駿人さんの同僚に出くわすとは。世界は広いようで案外に狭い。

 なんでも、エミールの彼女は現在スペインで働いているとのこと。週末を利用して彼女に会いに来たところ、偶然駿人さんを発見したそうだ。

 エミールの彼女さんを紹介してもらったのだけれど、彼女もまた高身長の美人さん。輝く金髪に薄青の瞳でにこやかに「オリヴィア」と名乗った。