あれだけ自由行動にこだわっていたのに、今は駿人さんが隣にいないことが心細い。
そういえば昔、まだ子供だった頃も駿人さんとはぐれたことがあった。
ふと、頭の中に小さいころの思い出が蘇った。
ドイツ語で声を掛けられたのはそんなとき。
びっくりして顔を上げると、目の前には男女二人の姿があった。年齢はわたしよりも年上だろうか。堀の深い顔立ちをしている彼らがわたしに向かって英語で話しかけてくる。
旅行英会話くらいならなんとかなりそうなものだけれど、早口でまくしたてられたわたしは反射的に後ずさる。
彼らは一体、何を言っているのだろう。紙切れを取り出してわたしに何かを訴えている。
「あー、えーとっ」
わたしは日本人特有の愛想笑いを顔に浮かべた。
だいぶ引きつってはいるけれど、この場でどう振舞っていいのかわからない。
女性の方がわたしに紙を押し付けようとする。わたしのすぐ隣には彼女の相棒の男性がぴたりと張り付いていて。
ひやりと恐怖心が足元からせりあがってくる。
何これ、怖いかも。
すぐにその場から離れればいいのに、こういう時に限って足は動いてくれない。
それに、追いかけられたらとか、ホテルまで付いてこられたら、とか色々なことが頭の中をよぎってしまう。
「Ist es etwas f?r meinen Begleiter?」
第三者の声にわたしたち三人は一斉に声の方へ顔を向けた。
強張っていた身体が弛緩する。その途端に、自分が想像以上に怖いと感じていたことを思い知る。
「駿人さん」
彼は険しい顔のまま、わたしに話しかけていた男女二人組にドイツ語で詰問する。
何度目かの会話の応酬のあと、二人組はどこかへ歩き出した。
それを見届けたわたしはようやく肩の力を抜いた。
一体、彼らは何だったのだろう。
二人組の背中を睨みつけていた駿人さんはわたしのほうに向きなおった。
彼はため息をひとつ吐いた。
「まったく。人を撒いておいて、詐欺に引っかかりそうになっているんだから世話ないね」
「なっ……」
わたしは絶句した。駿人さんの口から出た言葉についていけなかったからだ。
「自分勝手な行動して、俺がどれだけ探したと思っているんだ」
駿人さんは険しい目つきのままわたしを見下ろす。
「人を困らせて楽しい?」
一方的な決めつけに、わたしの心が凍り付く。
わたしは呆然と駿人さんを見上げた。彼と目が合う。ガラスのような農茶の瞳が、わたしの姿を映している。
「……そ、んな、言い方しなくても」
一瞬でからからに乾いた喉から、かろうじて漏れた言葉。
それを、駿人さんは鼻で笑った。
彼はわたしが一人行動をしたくて意図的に姿を消したと決めつけている。
「じゃあどういう言い方ならいいわけ。言い方を代えても一緒だろ。サヤちゃんが悪いんだから」
「なっ……」
心臓が音を立てたような気がする。
たしかにわたしも悪かった。前方不注意だったし、通り沿いのお店に気を取られていた。
けれど、駿人さんから逃げたくて姿を隠したわけではない。
なのに彼は一方的にわたしを悪者にした。
再会してから積もっていた、彼に対する小さな不満が体の中で弾けていく。
だったら、あなたの方はどうなの。
「とにかく、こういう子供っぽいことはもうしないって――」
「きらい」
「え?」
お腹の奥からふつふつと何かが沸き上がった。
「駿人さんなんか、大嫌いっ! わたしの言葉も聞かないで一方的に決めつけて。自分だって、人のペースも確認しないで勝手に歩いて行ったじゃない。フランクフルトからずっとそうだった。わたしはいつもあなたを後ろから追いかけるだけ。一度でも後ろを振り返ったことあった? ないよね。せっかくドイツに来たんだもん。ちょっとくらい歩くのゆっくりになるじゃい。そ、そりゃあ、わたしも不注意だったけど、一方的に言われたくない」
敬語なんて頭からすっ飛んでいた。
気が付けばわたしは子供みたいな癇癪を起していた。大きな声で、言いたいことを一方的に喚いて、最後は鼻の奥がつんとした。
ばかみたい。駿人さんと離れて、一人になって心細く感じていただなんて。
「結局、あなたの中でわたしはずっと子供で。だから、偉そうに全部勝手に予定も何もかも決めちゃうし。上から目線の態度だし、そんな人と結婚したってうまくいくはずないじゃん。あなた、わたしのことずっと子供としかみていないんだもん」
わたしは肩で息をして、それから足を動かした。
対する駿人さんは何も言わずにその場に留まっていた。
気持ちが収まりきらなくて、わたしは大股で歩いて、地下鉄に乗ってホステルに戻った。
後ろから駿人さんが付いてきているとか、ミュンヘン観光とか、そういうのはどうでもよくなっていた。
わたしはホステルの自分の部屋に無言で駆けこんだ。
* * *
そういえば昔、まだ子供だった頃も駿人さんとはぐれたことがあった。
ふと、頭の中に小さいころの思い出が蘇った。
ドイツ語で声を掛けられたのはそんなとき。
びっくりして顔を上げると、目の前には男女二人の姿があった。年齢はわたしよりも年上だろうか。堀の深い顔立ちをしている彼らがわたしに向かって英語で話しかけてくる。
旅行英会話くらいならなんとかなりそうなものだけれど、早口でまくしたてられたわたしは反射的に後ずさる。
彼らは一体、何を言っているのだろう。紙切れを取り出してわたしに何かを訴えている。
「あー、えーとっ」
わたしは日本人特有の愛想笑いを顔に浮かべた。
だいぶ引きつってはいるけれど、この場でどう振舞っていいのかわからない。
女性の方がわたしに紙を押し付けようとする。わたしのすぐ隣には彼女の相棒の男性がぴたりと張り付いていて。
ひやりと恐怖心が足元からせりあがってくる。
何これ、怖いかも。
すぐにその場から離れればいいのに、こういう時に限って足は動いてくれない。
それに、追いかけられたらとか、ホテルまで付いてこられたら、とか色々なことが頭の中をよぎってしまう。
「Ist es etwas f?r meinen Begleiter?」
第三者の声にわたしたち三人は一斉に声の方へ顔を向けた。
強張っていた身体が弛緩する。その途端に、自分が想像以上に怖いと感じていたことを思い知る。
「駿人さん」
彼は険しい顔のまま、わたしに話しかけていた男女二人組にドイツ語で詰問する。
何度目かの会話の応酬のあと、二人組はどこかへ歩き出した。
それを見届けたわたしはようやく肩の力を抜いた。
一体、彼らは何だったのだろう。
二人組の背中を睨みつけていた駿人さんはわたしのほうに向きなおった。
彼はため息をひとつ吐いた。
「まったく。人を撒いておいて、詐欺に引っかかりそうになっているんだから世話ないね」
「なっ……」
わたしは絶句した。駿人さんの口から出た言葉についていけなかったからだ。
「自分勝手な行動して、俺がどれだけ探したと思っているんだ」
駿人さんは険しい目つきのままわたしを見下ろす。
「人を困らせて楽しい?」
一方的な決めつけに、わたしの心が凍り付く。
わたしは呆然と駿人さんを見上げた。彼と目が合う。ガラスのような農茶の瞳が、わたしの姿を映している。
「……そ、んな、言い方しなくても」
一瞬でからからに乾いた喉から、かろうじて漏れた言葉。
それを、駿人さんは鼻で笑った。
彼はわたしが一人行動をしたくて意図的に姿を消したと決めつけている。
「じゃあどういう言い方ならいいわけ。言い方を代えても一緒だろ。サヤちゃんが悪いんだから」
「なっ……」
心臓が音を立てたような気がする。
たしかにわたしも悪かった。前方不注意だったし、通り沿いのお店に気を取られていた。
けれど、駿人さんから逃げたくて姿を隠したわけではない。
なのに彼は一方的にわたしを悪者にした。
再会してから積もっていた、彼に対する小さな不満が体の中で弾けていく。
だったら、あなたの方はどうなの。
「とにかく、こういう子供っぽいことはもうしないって――」
「きらい」
「え?」
お腹の奥からふつふつと何かが沸き上がった。
「駿人さんなんか、大嫌いっ! わたしの言葉も聞かないで一方的に決めつけて。自分だって、人のペースも確認しないで勝手に歩いて行ったじゃない。フランクフルトからずっとそうだった。わたしはいつもあなたを後ろから追いかけるだけ。一度でも後ろを振り返ったことあった? ないよね。せっかくドイツに来たんだもん。ちょっとくらい歩くのゆっくりになるじゃい。そ、そりゃあ、わたしも不注意だったけど、一方的に言われたくない」
敬語なんて頭からすっ飛んでいた。
気が付けばわたしは子供みたいな癇癪を起していた。大きな声で、言いたいことを一方的に喚いて、最後は鼻の奥がつんとした。
ばかみたい。駿人さんと離れて、一人になって心細く感じていただなんて。
「結局、あなたの中でわたしはずっと子供で。だから、偉そうに全部勝手に予定も何もかも決めちゃうし。上から目線の態度だし、そんな人と結婚したってうまくいくはずないじゃん。あなた、わたしのことずっと子供としかみていないんだもん」
わたしは肩で息をして、それから足を動かした。
対する駿人さんは何も言わずにその場に留まっていた。
気持ちが収まりきらなくて、わたしは大股で歩いて、地下鉄に乗ってホステルに戻った。
後ろから駿人さんが付いてきているとか、ミュンヘン観光とか、そういうのはどうでもよくなっていた。
わたしはホステルの自分の部屋に無言で駆けこんだ。
* * *