病院でショウタくんのことを話してから、ぼくとショウタくんは、毎日のように長い時間話すようになっていた。
「コウタくんはさ、事故でぶつかってきた相手のこと、どう思ってるの?」
 ぼくが自分の部屋でお母さんの用意した算数ドリルをやっていると、ショウタくんはそう聞いてきた。
 ショウタくんが事故のことについて聞いてくるのは、多分初めてで、しかも急に聞かれたので、ぼくはすぐに答えられなくて考えてしまった。
「憎いとか復讐してやりたいとか思ったことない?」
 ショウタくんが言う。
「別に・・・、そんなことは考えたことないよ・・・」
 ぼくはそう言ったけれど、ショウタくんが言った復讐とか憎いとか、その言葉を聞いた途端、すごく心臓がドキドキして身体中が震えだした。事故のときに救急車に運ばれる、一瞬だけ見えた相手の顔がいま、とてもはっきりと頭の中に浮かんだ。
 ショウタくんは青い目でぼくを見つめている。
「ぶつかってきた人は、裁判にかけられて罰を受けるんだって・・・、お母さんが言ってた」
 ぼくがそう言うと、ショウタくんはぼくをじっと見つめたまま言った。
「お父さんが死んじゃったのに、コウタくんはそれでいいの? 悔しくないの?」
「なんでそんな事言うんだよ! 悔しいに決まってるよ! でも・・・、どうしようもできないだろっ!」
 ぼくは大きな声でそう叫んだ。心臓のドキドキがさらに大きくなり、身体中の震えも激しくなっていた。ぼくはどうして良いかわからなくなって机の上にあったドリル帳とかノートとかハサミとかをショウタくんに投げつけると、ショウタくんはいなくなった。
 ショウタくんは、なんで、あんなこと言うんだろう。本当は、ぼくがすごく悔しくって、お父さんをあんな目にあわせた奴を、すごく、すごく・・・、本当に、殺したいほど憎んでることを知ってるはずなのに。
 でも、なぜかわからないけど、ぼくの心のなかにある黒いコンクリートみたいな塊がまた、剥がれ落ちたような気がした。

 その日の夕食のときに、お母さんが事故の裁判が始まる予定を教えてくれた。
「だいぶ事故のことを調べるのに時間がかかるみたいで・・・。もしかしたら半年くらい経たないと始まらないかもしれないって。そうなったら、コウタが中学生になっちゃうわね」
「なんで、そんなに時間かかるの?」
「それが・・・、お父さんの運転にも原因があるんじゃないかって、相手が言ってるらしいの。もちろん、そんなことはないし、警察の人もそう言ってくれてるんだけど、その捜査に時間かかってるみたい」
 ぼくはお母さんの言葉を聞くと、また心臓がドキドキして身体中が震えてきた。本当に怒るって、こういうことなのか、と思った。顔が熱くなっていく。
「なんでお父さんの運転が悪いんだよ! ぼくはちゃんと見てたよ! お父さんはなんにも悪くないよ!」
 ぼくが大声で言うと、お母さんは泣きそうになりながら「そうね」と短く言った。
「ぼくは、あいつをやっつけてやりたい・・・! お父さんを殺したんだから・・・、あいつを、あいつを、殺し・・・」
「コウタ!」
 突然、お母さんがぼくの言葉を遮って、すごく大きな声を出した。お母さんは誰に対しても、いつもゆっくりと優しく話す。小さい頃からぼくを怒るときにも大きな声は出したことがなかった。
 ぼくが今初めて聞いたお母さんの叫ぶような、悲鳴のような大きな声は、ぼくみたいに怒ってる声じゃなくて、とても悲しんでいるような声だった。
「お願いだから、そんな事言わないで」
 お母さんは。いつもの話し方に戻って言った。
「なんでだよ? 復讐はしちゃいけないの?」
「私だって、本当は悔しいし、相手が憎いし赦すことなんて一生できない。でもね、復讐とか、殺してやりたいなんて絶対に言わないで。それはなんの解決にもならないし、お父さんもそんなこと望んでない。コウタがちゃんと前を向いて成長していくことがお父さんも私も一番に望んでることなの。お母さんには、もうコウタしかいないんだから」
 お母さんは涙を流していたけれど、しっかりとぼくの目を見ながら、いつもの優しい話し方で言った。
 ぼくは心臓のドキドキが落ち着いて、震えが収まって顔も熱くなくなった。そうだ、ぼくがしっかりしてお母さんを心配させないようにしなきゃいけないんだ。
 お父さんはぼくと2人のとき、いつも言っていた、「お母さんはコウタがイデンシッカンになったのは自分のせいだって思ってるから、お前は健康に気をつけて、お母さんを心配させないようにしなきゃな」って。
 ぼくは目の病気で、眼圧っていうのが高くなりやすくて、放っておくと目が見えなくなってしまうらしい。だからお母さんはいつもぼくの目をよく見て、変わったことがないか確認してくれている。お母さんを心配させないようにしなきゃいけない。ぼくがしっかりしなきゃ、それが、お父さんとの約束だ。
「ごめんなさい。もう変なことは言わないよ、お母さんに心配かけないようにするから」
 ぼくがそう言うと、お母さんは泣くのをやめて笑顔をつくった。

 それから、ぼくは少しづつだけど、学校にも行くようになった。友達も先生もすごくぼくのことを心配してくれて、遅れていた勉強も先生が丁寧に教えてくれたし、友達も遊びに誘ってくれた。
 最初の頃は、学校にいてもたまに事故のことを急に思い出して、気分が悪くなることもあったけれど、それもだんだんと起こらなくなっていった。
 そして、学校に行き始めてからは、ショウタくんがぼくのところに来ることが減っていった。
「この前、事故の相手のこと聞いたらコウタくんは怒ってたけど、今はどう思ってるの?」
 1ヶ月ぶりに現れたショウタくんは、いきなりそう聞いてきた。でも、ぼくはこの前みたいに心臓がドキドキしたりすることもなくて、すぐに素直に答えることができた。
「やっぱり相手は絶対に赦せないけど、罰は法律が与えてくれるって、お母さんが言っていた。だから、仕返しとか、復讐とか考えないことにした。ぼくはこれから、お母さんと一生懸命生きていくことを考えたいんだ。お父さんと約束したみたいに、お母さんに心配をかけないで、ちゃんと学校に行くようにするんだ」
 ぼくがそう言うと、ショウタくんはとても優しい顔で笑って、何も言わずに消えてしまった。

 そのときからショウタくんはぼくの前に現れなくなった。ぼくが毎日学校に行けるようになって、前みたいに学校の友達と毎日遊べるようになったからかもしれない。でも、ぼくはまた、ショウタくんに会いたいと思っている。やっぱりショウタくんはぼくのことを一番理解してくれる親友だと思うから。