放課後のオン太には買い物に来た主婦も多く見かける。一階の食料品売り場は今が最も忙しい時間だ。四人は雑貨や服を見ながら二階のフードコートに着いた。
「私はナゲット買ってくるね」
 永海はハンバーガーの店に向かい、雷閃と琴は前回と同じくラーメンに決まった。里穂子はぐるっと店を見渡し、財布の中身を確認すると
「あたしはあっち行ってきまーす」
 と言って反対側の店に並び、雷閃は琴とふたりでラーメンを注文しに行った。
「さっきの話の続きしますけど、五月女先輩はハイルから何の脅しも受けていないんですよね?」
 ふたりは呼び出しベルを手に四人掛けの席を確保した。里穂子と永海はまだ戻ってこない。
「えぇ、そもそもわたしは、そのハイルという魔人の存在さえ本当かどうか疑わしく思っていましたから……」
「あの魔人は何か大きな目的があるわけでもなければ、安良田先輩を自分だけの人形に仕立て上げたいというわけでもないようです。本当にただ、安良田先輩をいじめて楽しんでいるだけです。だから時間が経つにつれて、あいつの洗脳は弱まってきたんでしょう。安良田先輩はみんなと楽しい時間を過ごしていても、椅子に足ひっかけたり、紙で指切ったり、その程度の痛みを感じていればハイルは満足すると気づき始めているはずです」
「そうですね……。そうでなければ、永海はこうしてみんなと遊びに行くような楽しみは拒否するはずですものね……」
「ハイルを安良田先輩から引き離すには、あいつの脅しはもう安良田先輩には通用しないとわからせるしかありません。あいつは自分が楽しければ何をしてもいいと思っている。だから楽しくなくなれば、あいつは離れるはずです」
 そこで呼び出しベルが鳴った。雷閃は琴とラーメンを引き取りに立った。入れ替わりで永海がナゲットを持って席に座る。
「永海、お水は?」
「水筒あるから大丈夫だよ」
 永海は大事そうにナゲットをテーブルに置いた。わざと落として台無しにするような不幸が起きる心配はない。
「要するに、安良田先輩は普通にしていればいいんです」
 雷閃は醤油とんこつ、琴は味噌。席に戻ると里穂子も呼び出しベルを持って座っていた。
「おー、ラーメンもいいですねぇ」
 琴の味噌ラーメンを見て里穂子が言うと、ちょうど彼女のベルも鳴った。何を食べるのか聞いていないな、と雷閃は里穂子が向かった店を見た。そこは定食の店だった。
 里穂子はどんぶりを乗せたトレーを持って戻って来た。
「親子丼?」
 永海の言葉に里穂子はうなずいた。
「おいしそうでしょ。待たせてすいません、早く食べましょ! ラーメン、伸びちゃいますよ!」
「夕飯前に結構食うんだな」
 雷閃がレンゲでスープを飲んで言うと、里穂子は「いや……」とわずかな気まずさを声に滲ませた。
「んーと、あたし、これが夕飯」
「今日は家で食べないの?」
「はい、いつも……自分で用意してるんで」
「里穂子ちゃんが夕飯作る係?」
 永海の純粋な質問に里穂子は苦笑いする。
「あたしはあたしの分しか用意しないです。親が自分と妹の分だけしか作らないんで。……って言うと仲間外れにされてるみたいですけど、いや実際そうなんですけど! でもあたしはその方がいいから、これでいいんです」
 どうやら、里穂子はかなり家族と仲が悪いらしい。雷閃は自分を親に愛された子供だと自覚しているから、両親と仲良くできない家庭が想像できない。でもたぶん、雷閃が思うよりも、里穂子は不幸ではない。
「こういうのって早めに言っといた方がいいかな~って思うんで、言っちゃいますね。あたしは高校卒業したら就職します。お金貯めて、家を出ます。そんでたっぷりお金が貯まったら親と縁を切るつもりです。あたしはそれを目標に今、頑張ってます。そういうことなんで、全然暗くならないでいいですよ! ほら、食べてくださいよ! 朝来もそんな真剣な目しないで!」
 里穂子は茶化すように笑って、親子丼に手をつけた。それにならってそれぞれ食事を始める。しかし何か言おうとしても、適切ではないような気がして言葉にならない。それを察した里穂子は「子供のころから両親はあたしを悪い子供だと思ってるんです」と静かに話した。
「あたしが幼稚園児のときだったかな。友達のゆーちゃんと喧嘩して、ゆーちゃんがあたしを叩いたんすよ。だから『なにすんの!』って怒ったら、あたしの親が飛んできて、あたしを引っぱたいて『謝りなさい』って怒鳴ったんです。あたしがどれだけ『ゆーちゃんに叩かれた』って言っても親は『あんたが悪いからでしょ』って、ゆーちゃんの親に謝ってるわけ。あれからずーっとあたしは不良扱い。学校から帰れば『問題を起こすのだけはやめてよ』って毎日睨まれる。遊びに行こうとしたら『万引きなんてしたら許さないからね』って注意される。あたしは一度も悪いことなんかしたことないのに、両親はあたしを悪い子だって思ってるんすよ。で、代わりに、妹が良い子ちゃんなんです。んで、実際、妹は本当に良い子です。あたしが両親からこういう扱い受けてるのを心配して、いつも『お姉ちゃんは悪くないよ』って言ってくれるんすよ。ほんっとに優しい妹なんです。だからあたしは本物の不良にならずに済みました。妹は心の支えでした。でも、もう少しであたしは自分でお金を稼げるようになります。自分で好きなものが買える。親に頼らず生きていける。働いて、あたしは両親がこれまであたしに使ってきたお金を返済するんです。そしてあたしは晴れて自由の身になります。三年後をすごーく楽しみにしてるんすよ。やってやるぞー! って。頑張って生きていくからなー! って。そういう話なので、あたしのことは『前向きで熱い女』って思って欲しいです」
 里穂子は熱意に満ちた表情でそう語った。黙って聞いていた琴は、羨むように里穂子に言う。
「中本さんはすごいですね。わたしも……見習わなくてはいけませんね」
「えぇっ! そんな、琴先輩の方がすごいですよ! 勉強もできるし、歌も上手いし、優しくてきれいで、なんかいいにおいもするし……!」
「な、中本さん。あまりそう、褒められると反応に困ってしまいますので……」
 琴は里穂子のようなタイプに慣れていないらしい。永海もはっきりと他人を褒める人間だが、幼馴染に褒められるのとはまた違う照れくささがあるのだろう。
「俺も、中本はすごいと思うよ。俺は親に頼りっぱなしだから、そうだな……俺も中本を見習って、洗い物とかしようかな」
 ラーメンを食べ終えた雷閃が言うと、永海が「私も!」と主張した。
「私も今夜から洗い物する!」
「安良田先輩はそれよか自分の心配した方がいいんじゃないですか?」
「え、心配って?」
「試験。日本史の範囲広すぎて無理だーってさっき言ってたじゃないですか」
「あーっ……そうだった……」
 やる気に燃えていた永海は意気消沈し、嘆きながら最後のナゲットをかじった。雷閃は、いろんな食べ物のにおいがする空間はあまり好きではない。それなのに、こうして喋っていると不快感が消えているから、不思議だと思う。
 里穂子は米粒も残さずどんぶりをきれいにして箸を置いた。
「……あたしは必要だから自分で自分のことを全部ひとりでやるけど、頼れる親がいるなら、頼った方がいいよ。朝来はもう反抗期じゃないみたいだけど、あたしの友達は親の心配を嫌がって親泣かせてたから」
 言うと、里穂子はトレーを片づけるために席を立った。その拍子にトレーに乗せていたコップが滑って倒れかけたが、隣に座っていた琴がとっさにトレーを支えたため、水はこぼれなかった。
「おっと、すいません、ありがとうございます」
「中本さん、ひとりでなんでもできるのはすごいと思います。けど、誰かの助けが必要になったら、わたしを頼ってください」
 自分を卑下していた琴は、里穂子に幻滅されないために、また里穂子の好意に応えるために、自己を肯定した。永海はそんな幼馴染を、安堵の瞳で見つめていた。
 帰り際、駐輪場で雷閃は永海に「ハイルが何かをしてきたり、言ってきたりしたら、すぐ連絡してください」と告げた。永海は慎重にうなずいた。
「俺は何の能力もないただの人間ですけど、何もできないわけじゃないです。安良田先輩の味方でいることくらいは、できます」
 自転車の鍵がなかなか外れないふりをして雷閃は身を低くしたまま永海に言う。
「安良田先輩、実は今、幸せでしょ」
 だからそのとき、永海がどんな顔でそのセリフを聞いたのかはわからなかった。