卒業生の話は予想通り「頑張れ」というものだった。まだ若い君たちはなんでもできるから、と。千里の道も一歩よりだぞ、と。力強く語った。
雷閃もその意見には同意した。まったくもってその通りだ。しかしその後の卒業生の話は、雷閃にとってつまらない話だった。
卒業生は「たとえ批判されてもくじけるな」「自分を信じろ」「きっと何かに繋がる」と熱心に話した。しかし、どうだろう。雷閃が「自分を信じる」という教えにならって本来的な自分自身を認めるとしたら、雷閃は「他人と同じ努力をしても差を広げられてしまう、スポーツに向いていない身体である自分」を認めなければならない。
そして批判にくじけず努力を重ねることがチームの迷惑に繋がるとしたら。諦めるのが最善の道なんじゃないのか。
別に、雷閃はひねくれてこういう考えをしているわけじゃない。過去の自分の努力は他人の迷惑にしかならなかったという経験からそう思うだけだ。
あの日、顧問が言った「おまえにも頑張れるものがあるよ」というのは、つまり「おまえにも頑張ることが許されている分野があるに違いない」という意味だ。顧問は雷閃を疎ましく思っていたのだろう。この場で頑張らないでくれ、と言いたかったのだ。向いていないおまえが頑張ることでみんなに迷惑がかかるんだ、と。
たとえ他人の百倍頑張ったところでチームメイトの一倍と同等にしかならないのだ。馬鹿馬鹿しい。雷閃だって本当は頑張りたかった。だけどあのとき、誰一人として雷閃をフォローしてくれる部員はいなかった。あの先輩の言葉は、みんなの総意だった。
いつまで引きずっているんだと情けなく思う。だけど、頑張る理由が見つからない。頑張る必要がない理由ばかりを知ってしまって、努力の価値を見出せない。
成功体験がないとこんな人間になるのか。
雷閃は自嘲しながら卒業生に拍手を送った。