ザビの家の豚小屋に着くと、彼の言うように豚が倒れていた。大きなメスだった。

「昨日からこの調子さ、病気だと思うんだけれど、他の豚は大丈夫だし……。」
「……ほう」

 バン爺は(さく)の中に入ると、動けなくなっている豚の容態(ようだい)を確認する。体の病気の兆候(ちょうこう)が出る所には何もなかった。

疫病(えきびょう)というわけでもなさそうじゃし……。」

 すると、シアンが柵の中に入ってきた。

「おや、シアンどうしたね?」

 シアンは豚のおでこに手を当てた。そして目を閉じ、静かな声で豚に語りかけた。苦しそうにあえでいた豚が穏やかな目でシアンを見る。

 シアンが目を開けて言う。
「……この子、たぶん妊娠してる」
「ほぉ」
「そんな。だってウチは繁殖(はんしょく)のとき以外、雄と雌をしっかり分けて飼育してるんだぜ? 妊娠するなんてありえないよっ」
 ザビは驚いて言った。
「……確かかね、シアン?」
「……うん」
「しかし、いったいどうして……。」ザビは困惑する。

 バン爺は立ち上がった。そして豚小屋を出ると農場の囲いに目をやった。そこには補修された跡があった。

「……そういえば最近、村で害獣(がいじゅう)被害が出とったのう。ありゃ、猪だったかね?」
「ああ、バカでかい猪さ。農作物を食い荒らすわで大変だったよ」
「お前さんとこも被害を?」
「まぁね、ウチの農場の柵を破って保存してた食料を食い荒らしやがった」
「もしかして、豚小屋にも入ったんじゃないか?」
「ああ、そういえば……。」
「……あの豚のお相手は、そのならず者かもしれんのう」
「え? 猪が?」
「そうじゃ。イノシシと豚なら普通に交雑(こうざつ)しよる。逃げ出したり捨てられたりした豚が、猪との間に子供を作るっちゅうことはままあるぞ。イノブタ言うてな」
「くっそぉ、ウチの豚に手ぇ出しやがって!」
「まぁ、ええじゃないか。イノブタは結構な珍味なんじゃぞ。売ればそこそこ高い値がつく」
「……ふぅ。ま、過ぎたことを嘆いても仕方ないか。……ありがとよバン爺。危うく無駄に町から獣医を呼び寄せるところだった」
「ほっほ、礼ならこの子に言うんじゃな。ワシは土と植物の術式しか知らん」
「おう、ありがとよ坊や。坊やも魔術師なのかい?」
 シアンは目をそらしてうなずいた。
「そうかいそうかい、たいしたもんだ」

 ザビはシアンの頭をなでた。シアンの内気さは人に不快さを与えない。むしろ人は純粋さを覚えるのだった。

「お前さん、テイマーの術式を使えるんかね?」
「……うん」
「ええじゃないか。魔術師っちゅうのは、ええとこの家の人間ばかりじゃから、家畜なんぞ触りたがらん。おかげで、魔術師で獣医をやれるもんは数えるくらいしかおらんからのう。きっと多くの人々の助けになるぞ」

 バン爺に()められて、シアンは顔をそむける。
 そして、シアンは表情を見られないようにしてザビの下へ行く。

「ほ?」
 シアンは左の足首を見る。
「おじさん、足をケガしてるの?」
「……あ、ああ。屋根の修理中に落ちて(ひね)っちまってな。養生(ようじょう)したかったんだが、仕事が忙しくてなかなか治らないんだ」
 シアンは「座って」と言う。
「え? ああ、かまわないが……。」

 ザビが座ると、シアンも座って左の足首に手を当てた。目をつぶり呼吸を整えると、シアンは患部(かんぶ)(いた)わるように優しくなでさする。

「……坊や、いったい何をしてるん……お?」

 シアンがなでていると、ザビは痛めている足が暖かくなり始めているのに気づいた。

「バン爺、あの子、何やってるの?」

 マゼンタに訊ねられたものの、バン爺は顎に手を当てて驚いた様子で答えない。
 しばらく足をなでた後、シアンは顔をあげてザビを見た。

「もう大丈夫」
「大丈夫……て?」
「立って歩いてみて」

 ザビは立ち上がった。そして恐る恐る左足を地面につける。

「……お?」

 ザビは最初はよろよろとしていたが、数歩あるくと、ケガなどがまるでなかったかのように、まっすぐに進み出した。

「お、おい、嘘だろ? 足が、足が治ったぞ? あ、ありがとう坊や!」
 ザビはシアンに駆け寄って手を握った。
「もしかしたら、もうダメかもしれないって思ってたんだ! それを……。」
「そ、そんなに(ひど)いケガじゃなかったよ……。」
「いやいや、酷いケガじゃないっても、こんなすぐに治せるもんかいっ」
「……うっそ」
 後ろで見ていたマゼンタも驚いていた。
「むぅ……。」
 しかし、バン爺はどこか難しい顔をしてその光景を見ていた。
「カミさんに見せてくるよ!」

 そう言って、ザビは走り出して豚小屋から出ていった。

「すごいじゃんシアンくん!」

 マゼンタはシアンに抱きついた。

「え? え?」
「もう、こんなに可愛くて動物と話せてケガまで治せるなんて、シアンくんマジ天使!」
「あ、いや……。」

 シアンは顔を真っ赤にして、マゼンタの胸の圧迫から顔を解放しようとした。

「……ヒーリングかね」
 バン爺が言った。
「あ……はい」
「ふぅむ、ヒーリングはそもそも術式の適性を持つ者が少ない。その上、お主はテイマーまで……。」
「つまり、シアンくんが大天才ってことなんでしょ?」
「いや、まぁ、そういうことになるが……。」

 バン爺が言いたかったのはそれだけではないようだった。

 するとザビが戻ってきた。
「おおい! なぁ、坊や来てくれないか!」
「なんじゃい?」

 シアンたちが外に出ると、そこには村の人間が集まってきていた。

「坊やの事を話したんだよ! そしたら、みんな居ても立っても居られなくなっちゃってさ!」
「なんと……。」

 村の住民たちは目を輝かせてシアンを見ていた。

「アタシは腰が悪いんだっ」
「胸の調子がおかしくて……。」
「ウチの牛の様子をみとくれよ!」

 村の住人たちは口々に体の悪い場所や、家畜の不調をシアンに告げ始めた。村人は、ざっとみただけでも20人以上はいた。

「ちょ、ちょっと待っとくれ」
 口をはさんだのはバン爺だった。
「何だいバン爺?」
 ザビが言った。
「ええか? 魔術を使うのはかなりの体力を消耗(しょうもう)するんじゃ。特に、ヒーリングやテイマーみたいな術式は、外気(マナ)を使えんから他の魔術よりも術者の内気(オド)を多く必要とする。こんな数の人間に対して魔術を使うたら、坊やがぶっ倒れてしまうぞ」
「え……そうなのかい?」

 住人たちは顔を見合わせる。

「申し訳ないが、一日で診てやれる数はせいぜい……。」
「大丈夫だよ」
 シアンが言った。
「……シアン」
「大丈夫、このくらいの数なら……。」
「シアン、無理はいかんぞ。ちょと寝たら回復するなんて生やさしいもんじゃないんじゃ。下手をしたら、後遺症を抱えることだってあるんじゃぞ」
「大丈夫、まかせて」

 シアンは村人の方へ行った。表情に(とぼ)しい少年は、やせ我慢をしているのか本当に平気であるのか読みづらかった。
 シアンの言うように、シアンは村人のケガや病気を治し、さらに家畜の容態も診察(しんさつ)し続けた。シアンが治療をしている間にも人は増えたが、それでもシアンはその全ての村人の相談を解決していた。シアンが治療を終える頃には、陽は傾きかけていた。

「……本当に平気かね?」
 バン爺はシアンを気づかって言った。
「うん」

 その言葉に偽りはなかった。シアンには疲労の色はなかった。

「マゼンタさんとバン爺さんにはどこか悪いところは無いの?」
「老いは病気じゃないしねぇ」
「性格の悪さばかりはどうにもならん」

 マゼンタとバン爺はほんの一瞬だけ沈黙した。

「え、バン爺、自分の性格悪いと思ってんの?」
「お前さんこそ、その歳でもう若返りたいんか?」

 ふたりは冷ややかに睨み合った。
 シアンはどういう顔をして良いか分からずに、その場に立っていた。