「それで……どうするんじゃ?」
シアンと移動を始めたマゼンタにバン爺が耳打ちをする。後ろにいるシアンは、畑の作物のまわりを飛び回る蝶々を、まるで初めて見るかのように夢中になって眺めていた。
「あの子を親元に返すなら、どちらかが連絡を取る必要があるが……。」
「……ねぇ、バン爺」
「なんじゃい?」
「あの子、絶対に返さないと……ダメかな?」
「……何かあったんか?」
「うん……実は今朝、あの子の裸を見てから、家には帰したくないなって思ってさ……。」
「……お前さん、要点をはしょって多分とんでもない話をしとることになっとるぞ」
「え、まじ?」
「……まぁ、何を見たかは予想はつくがのう」
「きっとあの子、親父さんの所に戻ったら酷い目にあうんだと思う……。」
「ふむ……。とはいえ、ワシらは赤の他人じゃ。やれることもやって良いことも限られとるがな……。」
「そうかもしれないけど……。」
「お前さん、下手をしたら伯爵の子供を誘拐したとして、お尋ね者になるかもしれんのじゃぞ?」
「それは……困る」
「じゃろう?」
マゼンタとバン爺は後ろを振り返った。シアンは次は遠くに見える牧場の牛を眺めていた。
「……動物が好きなの?」
マゼンタが言う。シアンは小さくうなずいた。
「……そうなんだ。ところで、バン爺はどこに向かってるの?」
「ワシの家じゃ。しばらくそこで今後の事を考えよう」
「……分かったよ」
マゼンタたちは、丘の上のバン爺の家に到着した。
「……うわぁ」
驚くマゼンタたち、そこは廃屋と呼んだ方が良いような酷いありさまだった。
「仕方ないじゃろ、じじいの独り暮らしじゃ、家の手入れ何ぞろくにできん」
「なんで村から遠いところに住んでるわけ? 集落のすぐそばに住んでたら、手伝いとかしてもらえるんじゃ?」
「……まぁ、ワシは最近こちらに移り住んできたからのう」
「そうなんだ?」
「さ、お入んなさい」
マゼンタたちは家に入ると、バン爺に促され奥の部屋に荷物を置いた。
「……ここって」
そこは、ある時から時間が止まったような奇妙な部屋だった。服や小物は、老人の私物にしては若者趣味であるものの、長い時間それに誰も触れていないようだった。
「物が多くてすまんな」
「あ、いや、別に……。」
「倅のもんじゃ」
バン爺は荷物を顎でしゃくって説明する。
「へぇ……。息子さんは今どうしてるのさ? バン爺をこんなところに残して」
「死んだよ」
「……ごめん」
「やめんか、がらにもない。……さぁて、久しぶりの来客じゃ。もてなしをせんとのう」
「別に、気ぃ使わなくったっていいのに」
「ほっ、どちらかというと、じじいがそうしたいんじゃよ。若いもんがいるだけで嬉しくてのう」
マゼンタは、こういうところは本当にただのじいさんなんだなと思った。
「さて、村へ降りるか」
「見た所、お店もないような村だったけど、どうすんの?」
「まぁ、物々交換かのう。それか村の手伝いじゃ。こんなじじいでも、頼ってくれる人もおる」
「ふぅん」
マゼンタたちは丘の上から村へと降りていった。
村では農夫が畑を耕し終えたところだった。
バン爺たちに気づいた農夫が言う。
「おや、バン爺じゃないか。そちらの若いのは? お孫さんかい?」
「親戚の子供たちが、さびしいジジイのために遊びに来てくれたんじゃよ」
「はは、そうかい。バン爺にも身寄りがいたのか」
「のう、マッソさん、何か手伝えることはないかね?」
「おお、ちょうどよかったよ。たった今、畑仕事が終わったところなんだ。以前やってくれたアレ、また頼めるかな」
「ほっほ、お安い御用じゃ」
バン爺は畑の前に座り、地面に手を置いた。
「マッソさん、植えたのは小麦かね?」
「ああ、そうだよ」
「……ふむ」
そうしてバン爺は目を閉じた。ぶつぶつと独り言のような声も聞こえる。
遠巻きにその光景を眺めながら、マゼンタはシアンに訊ねる。
「ねぇ、あれ何やってんの?」
「……多分、術式」
「術式? これから魔術を使おうっての? いったい何で?」
「この土地の……精霊と……話したり……。それで、多分……。」
「あ~、まぁ、ようするに、魔術師同士なら分かることをやってるってことね」
バン爺の服が風に吹かれたようになびいた。バン爺は大きく肩で息をすると、さらに深く手を地面に押し付ける。
「……ん?」
マゼンタは足元を見る。風もないのに、草が緩やかにざわめいていた。
「え……これって、もしかして……。」
シアンが「すごい……。」とつぶやいた。
座っているバン爺の体が、激しくゆれ始めた。
「こぉおおおおおおっ! こぉおおおおおおっ!」
バン爺は体中を使って勢いよく呼吸をくり返す。はた目から見ると、気がふれているようだった。
「こぉあっ!」
力をふりしぼるようにして両手を地面に押しつけるバン爺。すると、バン爺の座っている地面がもっこりと隆起した。
「すっげぇでっかい屁ぇ……。」
マゼンタはドン引きしてシアンを見る。シアンは首を傾けてマゼンタを見た。
「あ、違うよね……。」
「こんなことができるなんて……。」と、シアンは言った。
「バン爺は何をやったの?」
「農作物の育ちを良くしてくれるよう、大地の精霊にお願いしたんだと思う。ここら辺の地面のマナが、少しづつ畑に集まってたから……。」
「魔術師ってそんなこともできちゃうの?」
「上級の人なら……できると思う」
「バン爺って確か7級なんだよね。7級でもそんなことができるんだねぇ……。」
シアンは驚いてマゼンタを見た。
「……なに?」
「いやぁ、ありがとうバン爺。これで今期もうちの畑は安泰だよぉ」
農夫のマッソは上機嫌に言った。
「お安い御用、と言いたいところじゃが、さすがに疲れたのう」
「無理をさせちまったね。何か必要なものがあったら用立てるよ」
「ほ、そりゃ助かる。それじゃあ、あの子たちをもてなしたいんで、今晩食べるもんを恵んでくれるとありがたいんじゃが」
「それこそお安い御用さ。今晩だなんていわずに、あの子たちがいる間はウチを頼ってくれよ」
「これはこれは」
すると、遠くからまた別の農夫が手を振りながら歩いてきた。農夫は足を軽く引きずっていた。
「おお~いっ」
「何だいザビさん?」と、マッソは言った。
足の悪い農夫のザビが言う。
「バン爺さん、ちょうどよかったよ、ちょっとウチの家畜を見てくれないかな?」
「ほ、どうしたね?」
「豚が病気にやられちゃってさぁ」
バン爺は顎に手を当てて考える。
「家畜の病気……。まぁ、専門分野じゃないんじゃが、見るだけ見ておこうかね」
「助かるよぉ」
バン爺たちは農夫のザビの後をついていく。
「ねぇバン爺、獣医さんに見せた方が早いんじゃないの?」とマゼンタが訊ねる。
「こんな辺ぴな村じゃあ、町まで医者を呼びに行って戻ってくる頃には夜になっとるよ」
「ふ~ん。じゃ、また魔術で何とかするわけ?」
「ま、見るだけ見ておこう」
シアンと移動を始めたマゼンタにバン爺が耳打ちをする。後ろにいるシアンは、畑の作物のまわりを飛び回る蝶々を、まるで初めて見るかのように夢中になって眺めていた。
「あの子を親元に返すなら、どちらかが連絡を取る必要があるが……。」
「……ねぇ、バン爺」
「なんじゃい?」
「あの子、絶対に返さないと……ダメかな?」
「……何かあったんか?」
「うん……実は今朝、あの子の裸を見てから、家には帰したくないなって思ってさ……。」
「……お前さん、要点をはしょって多分とんでもない話をしとることになっとるぞ」
「え、まじ?」
「……まぁ、何を見たかは予想はつくがのう」
「きっとあの子、親父さんの所に戻ったら酷い目にあうんだと思う……。」
「ふむ……。とはいえ、ワシらは赤の他人じゃ。やれることもやって良いことも限られとるがな……。」
「そうかもしれないけど……。」
「お前さん、下手をしたら伯爵の子供を誘拐したとして、お尋ね者になるかもしれんのじゃぞ?」
「それは……困る」
「じゃろう?」
マゼンタとバン爺は後ろを振り返った。シアンは次は遠くに見える牧場の牛を眺めていた。
「……動物が好きなの?」
マゼンタが言う。シアンは小さくうなずいた。
「……そうなんだ。ところで、バン爺はどこに向かってるの?」
「ワシの家じゃ。しばらくそこで今後の事を考えよう」
「……分かったよ」
マゼンタたちは、丘の上のバン爺の家に到着した。
「……うわぁ」
驚くマゼンタたち、そこは廃屋と呼んだ方が良いような酷いありさまだった。
「仕方ないじゃろ、じじいの独り暮らしじゃ、家の手入れ何ぞろくにできん」
「なんで村から遠いところに住んでるわけ? 集落のすぐそばに住んでたら、手伝いとかしてもらえるんじゃ?」
「……まぁ、ワシは最近こちらに移り住んできたからのう」
「そうなんだ?」
「さ、お入んなさい」
マゼンタたちは家に入ると、バン爺に促され奥の部屋に荷物を置いた。
「……ここって」
そこは、ある時から時間が止まったような奇妙な部屋だった。服や小物は、老人の私物にしては若者趣味であるものの、長い時間それに誰も触れていないようだった。
「物が多くてすまんな」
「あ、いや、別に……。」
「倅のもんじゃ」
バン爺は荷物を顎でしゃくって説明する。
「へぇ……。息子さんは今どうしてるのさ? バン爺をこんなところに残して」
「死んだよ」
「……ごめん」
「やめんか、がらにもない。……さぁて、久しぶりの来客じゃ。もてなしをせんとのう」
「別に、気ぃ使わなくったっていいのに」
「ほっ、どちらかというと、じじいがそうしたいんじゃよ。若いもんがいるだけで嬉しくてのう」
マゼンタは、こういうところは本当にただのじいさんなんだなと思った。
「さて、村へ降りるか」
「見た所、お店もないような村だったけど、どうすんの?」
「まぁ、物々交換かのう。それか村の手伝いじゃ。こんなじじいでも、頼ってくれる人もおる」
「ふぅん」
マゼンタたちは丘の上から村へと降りていった。
村では農夫が畑を耕し終えたところだった。
バン爺たちに気づいた農夫が言う。
「おや、バン爺じゃないか。そちらの若いのは? お孫さんかい?」
「親戚の子供たちが、さびしいジジイのために遊びに来てくれたんじゃよ」
「はは、そうかい。バン爺にも身寄りがいたのか」
「のう、マッソさん、何か手伝えることはないかね?」
「おお、ちょうどよかったよ。たった今、畑仕事が終わったところなんだ。以前やってくれたアレ、また頼めるかな」
「ほっほ、お安い御用じゃ」
バン爺は畑の前に座り、地面に手を置いた。
「マッソさん、植えたのは小麦かね?」
「ああ、そうだよ」
「……ふむ」
そうしてバン爺は目を閉じた。ぶつぶつと独り言のような声も聞こえる。
遠巻きにその光景を眺めながら、マゼンタはシアンに訊ねる。
「ねぇ、あれ何やってんの?」
「……多分、術式」
「術式? これから魔術を使おうっての? いったい何で?」
「この土地の……精霊と……話したり……。それで、多分……。」
「あ~、まぁ、ようするに、魔術師同士なら分かることをやってるってことね」
バン爺の服が風に吹かれたようになびいた。バン爺は大きく肩で息をすると、さらに深く手を地面に押し付ける。
「……ん?」
マゼンタは足元を見る。風もないのに、草が緩やかにざわめいていた。
「え……これって、もしかして……。」
シアンが「すごい……。」とつぶやいた。
座っているバン爺の体が、激しくゆれ始めた。
「こぉおおおおおおっ! こぉおおおおおおっ!」
バン爺は体中を使って勢いよく呼吸をくり返す。はた目から見ると、気がふれているようだった。
「こぉあっ!」
力をふりしぼるようにして両手を地面に押しつけるバン爺。すると、バン爺の座っている地面がもっこりと隆起した。
「すっげぇでっかい屁ぇ……。」
マゼンタはドン引きしてシアンを見る。シアンは首を傾けてマゼンタを見た。
「あ、違うよね……。」
「こんなことができるなんて……。」と、シアンは言った。
「バン爺は何をやったの?」
「農作物の育ちを良くしてくれるよう、大地の精霊にお願いしたんだと思う。ここら辺の地面のマナが、少しづつ畑に集まってたから……。」
「魔術師ってそんなこともできちゃうの?」
「上級の人なら……できると思う」
「バン爺って確か7級なんだよね。7級でもそんなことができるんだねぇ……。」
シアンは驚いてマゼンタを見た。
「……なに?」
「いやぁ、ありがとうバン爺。これで今期もうちの畑は安泰だよぉ」
農夫のマッソは上機嫌に言った。
「お安い御用、と言いたいところじゃが、さすがに疲れたのう」
「無理をさせちまったね。何か必要なものがあったら用立てるよ」
「ほ、そりゃ助かる。それじゃあ、あの子たちをもてなしたいんで、今晩食べるもんを恵んでくれるとありがたいんじゃが」
「それこそお安い御用さ。今晩だなんていわずに、あの子たちがいる間はウチを頼ってくれよ」
「これはこれは」
すると、遠くからまた別の農夫が手を振りながら歩いてきた。農夫は足を軽く引きずっていた。
「おお~いっ」
「何だいザビさん?」と、マッソは言った。
足の悪い農夫のザビが言う。
「バン爺さん、ちょうどよかったよ、ちょっとウチの家畜を見てくれないかな?」
「ほ、どうしたね?」
「豚が病気にやられちゃってさぁ」
バン爺は顎に手を当てて考える。
「家畜の病気……。まぁ、専門分野じゃないんじゃが、見るだけ見ておこうかね」
「助かるよぉ」
バン爺たちは農夫のザビの後をついていく。
「ねぇバン爺、獣医さんに見せた方が早いんじゃないの?」とマゼンタが訊ねる。
「こんな辺ぴな村じゃあ、町まで医者を呼びに行って戻ってくる頃には夜になっとるよ」
「ふ~ん。じゃ、また魔術で何とかするわけ?」
「ま、見るだけ見ておこう」