翌朝、バン爺は荷物を整えて下山の準備を始めた。よほど疲れていたのだろう、シアンはまだ眠っていた。
 シアンに寄り添っているマゼンタにバン爺は訊ねる。

「どうするね? このまま坊やを親元に返すかね?」

 マゼンタは何も答えずに、シアンの寝顔を見る。

「……どうして、この子は親元から逃げたんだろう」
「……あまり、その子の父親に関しては良い話を聞かん」
「父親って、アイリス伯のこと?」
「そうじゃ。将来を期待されとった宮廷魔術師じゃったが、30年前に問題を起こしての。その時はたいそうな問題になったわい」
「……問題って?」
「……禁呪法(きんじゅほう)じゃ」
「禁呪……法?」
「大陸中の条約で禁じられておる、危険な術の研究に手を出しおったんじゃ。審議(しんぎ)もへったくれもない。他国に知られる前に、3級魔術師の資格をはく奪されて国を追い出されたんじゃ。……バカな男じゃよ」
「……詳しいんだね?」
「だてに長生きはしとらんわい」
「……そっか」
 マゼンタはシアンを見た。
「この子を届けるとしても、どうすればいいんだろう? このまま大人しくアイリス伯のところまで連れて行けるようにも思えないけれど……。」
「まぁ、この子と旅を同行する“てい”を見せて、その間に父親に連絡して迎えに来てもらうんが一番やりやすいじゃろ」
「なるほろ」
「もしかしてお前さん、ふん縛って連れていくつもりだったかね」
「いや、捕まえた後の事はまったく考えてなかった」
「なるほろ」
「賢者も言ってるよ、“昨日はもう終わったし、明日はまだ来てないない。今だけを考えろ”ってね」
 得意げに言うマゼンタ。バン爺は首をふってため息をついた。
「状況が違えばええ台詞なんじゃがのう……。というか、そんないい加減なことを言う賢者がおるかね?」
「探したら一人くらいはいるかもよ?」
「う、う……ん」

 そうこうふたりが話していると、シアンが目を覚ました。

「あら、目が覚めたみたいだね」

 目を覚ましたシアンは周囲を見渡す。どうやら、寝ぼけて自分の状況を忘れているようだった。

「はぁい、おねえさんたちの事は覚えてる? 昨夜一緒にお食事した仲なんだよ?」
 シアンは小さくうなずいた。
「あたしはマゼンタ、そっちはバン爺だよ。あんたは?」
「……シアン」
「そう、シアンっていうのね。……ん?」
 マゼンタは顔をシアンに顔を近づける。たじろぐシアン。
「坊や、何だかくちゃいわね、おねえさんと一緒にそこの川で体を洗いましょう」
「昨晩ニンニク食っとるからな、お前さんもけっこう匂うぞ。まぁワシもじゃが」
 バン爺は自分の体を匂った。マゼンタがそんなバン爺を睨む。
「……何じゃ?」
「そんなこと言って一緒に水浴びするふりして、レディの裸を(おが)もうって魂胆(こんたん)じゃないだろうね?」
「ほっ、こりゃすまん。そういや、お前さんが女じゃということを忘れとったわい」
「ボケが深刻ね。さっき朝ごはん食べたことは覚えてる?」
 バン爺は肩をすくめてシアンを見る。
「この言われようじゃ。……え、もしかして食ったんかのう?」
「水浴びしてるあいだ大人しく待っててくれたら教えてやんよ」
「ああ、そん時ゃお前さんが女だということも教えてくれ。その間に忘れるじゃろうから」

 マゼンタは冷ややかにバン爺を見ると、「行こっ」と言ってシアンを川辺に連れて行った。

「まったく……。」

 バン爺は首を振ると、一転して真面目な表情で、昨日男たちが倒れていた場所に向かった。
 その場所に到着すると、バン爺は木々の破壊の後や、男たちのダメになった武器を調べ始める。

「……あの坊や、どんな術式をつこうたんじゃ?」

 バン爺はえぐれた木の幹に手を当て意識を集中する。

「大地の精霊よ……木々のマナよ……我が問いかけに答えてくれ……。」

 呪文を唱えながら、魔力の残骸(ざんがい)を調べるバン爺。

「む、むぅ……。」

 バン爺の体の中には昨日の破壊の記憶が流れ込んできた。しばらくすると、額から脂汗(あぶらあせ)を流してバン爺は目を開き「まいったのぅ……。」と独り言を言った。


 一方、川辺に着いたマゼンタは、シアンの服を脱がそうと上着の裾をつかんだ。しかし、シアンはそれを嫌がるように身をすくめる。

「恥ずかしがらなくっていいんだよ」
 マゼンタが肩をすくめる。シアンは顔をそらした。
「ほら、あたしも脱ぐから」
 そう言って、マゼンタは上着を脱ぎ始めた。あられもない下着姿のマゼンタを呆気(あっけ)に取られてシアンは見る。
「変なもんなんて隠してないよ、ほら」
 マゼンタは両手を広げた。
「おや、もしかして照れてる~? うりうり~」

 マゼンタはシアンのわき腹を(ひじ)で突いた。そうして、目のやり場に困っているシアンを改めて脱がし始めた。

「わぁ、やっぱり綺麗な肌。嫉妬しちゃうくらい」
 マゼンタはシアンの手を引いて川に入った。
「足元気を付けてね」
 腰まで水に浸かると、マゼンタは水を手ですくい「目をつむって」とシアンの髪に注いだ。
「ひゃあ、綺麗な髪だと思ったけど、すべりも良いわ」
 マゼンタは丹念(たんねん)に手ぐしでシアンの髪を洗う。
「じゃあ、後ろ向いて……。」

 マゼンタはシアンの肩をつかんで後ろを向かせた。今までシアンの美貌(びぼう)に見とれていたマゼンタだったが、シアンの背中を見たとたんに息をのんだ。
 シアンの背中は傷だらけだった。逃亡中の追手につけられた傷ではなさそうだった。古傷だったからだ。
 しかし、マゼンタは驚いたことを知られないよう、鼻歌まじりでシアンの髪を洗い始めた。

「ほんと……うらやましいな……この髪……。ねぇ見てよ」
 シアンはふり返った。
「ほら、おねえさんの髪、ばさばさでしょ? くしの通りも悪いんだ」

 マゼンタは自分のボリュームのある赤髪をかき上げて見せた。
 シアンはマゼンタの髪に手を伸ばす。マゼンタは触りやすいよう、少し体を屈めた。そこそこ背の高いマゼンタに対し、シアンは頭一つ以上小さかった。
 だが髪にふれる寸前、シアンは手をひっこめた。

「なにさぁ、照れてんのぉ?」

 マゼンタはシアンの髪をクシャクシャに撫でた。
 シアンは頬を赤らめて顔をそらしていた。


 水浴びを終えてふたりが戻ると、バン爺が焚火(たきび)をおこして待っていた。しかし、バン爺はふたりに気づかないのか、地面に触れた状態で目をつむり瞑想(めいそう)をしていた。

「……シアンくん、スコップを持ってきて?」とマゼンタは言った。

 バン爺が目を開いた。
「死んどらん。あと、ここに埋めようとすな」

「じいさんややこしいから」

「……まったく。ほれ、シアン、焚火にあたりなさい。秋になったばかりとはいえ、体を冷やしやすいからのう」

 シアンはうなずくと、タオルで体を拭きながら焚火にあたる。そんなシアンの様子を心配そうにマゼンタが見ていた。

「……どうしたんじゃ?」と、それに気づいたバン爺が言う。
「う、ううん……。なんでもないよ」
「……そうかい」
 バン爺はシアンを見て言った。
「ところで、そろそろワシらは出発しようと思うんじゃが……お前さんはどうするね?」
 シアンははっとした表情でバン爺を見てから、遠慮がちにマゼンタを見た。
「お前さん、その歳とそのなり(・・)で旅人っちゅうわけでもなかろう? どうして夜中の森なんぞにおったんかね?」
 言葉に(きゅう)したシアンが濡れた瞳でマゼンタを見る。
「ちょ、ちょっとバン爺、なんか事情があるかもしれないじゃん、あんまり根ほり訊くのは良くないよ」
「ほ、じゃあ聞き方を変えるとしよう。お前さん、これからどうする? 行く当てはあるのかね?」
 シアンは首を振った。
「じゃあさ、あたしらと一緒に行かない? ここで出会ったのも何かの縁だしさ」

 シアンはしばらくうつむいて黙っていたが、マゼンタが「ね?」と言うと、小さくうなずいた。