ふたりが森に入り、目的に近づいていくと、爆発音や男たちの叫び声が遠くから聞こえてきた。

「ちょ、ちょっと、何かやばくない?」
「……ふむ」
「……ちょっと、あれ」
 マゼンタが上を指さす。そこには木の枝に引っかかった男がいた。
「……うむ、どうやら死んではおらんようじゃの」
「死んではいないって……。」

 さらに森の奥深く入ると、さらに気を失った男たちの姿がぞくぞく現れた。

「……ま、シーカーやっとる程度の魔術師ならこんなもんじゃろ。坊やを止められやせん」
 倒れた男たちの具合を見ながら、バン爺は言った。
「そ、そんなもんなの?」
「この業界にいる魔術師なんぞだいたいが独学じゃ。検定試験を受ける資格すらない。そんな奴らが束になったところで、最終審査まで残った坊やの相手なぞつとまるはずがあるまい。……おい、生きとるか?」
 バン爺はひとりの倒れている男の(ほお)をぺちぺちと叩いて気つけした。
「……う……う……。」
 男は(うめ)きながら、うっすらと目を開けた。
「ほ、無事みたいじゃの。のう、お前さん、例の子供とやりあったんか」
 男は完全に目を開いた。
「例の……子供……。」
「お前さんたちが追っておった子供じゃ」
 男は目を見開いて起き上がった。
「ひ、ひぃ!」
 驚いて、マゼンタとバン爺は男から身を引いた。
「な、なにさ、バケモンでも見てきたような顔して……。」と、マゼンタは言った。
「あ、ありゃバケモンだよ!」
「なに?」
「何が子供だよ! あんなガキがいるか!」
「とんでもない魔術師とは聞いとったが、そこまじゃったか……。」
「そんな問題じゃねぇ! そもそもガキじゃねぇんだ!」
「……何じゃと?」
「お、お前らもこの件からは手を引いとけっ!」

 そして男は駆け出して山を下りていった。そんな男をしばらくマゼンタとバン爺は見ていた。

「ふむ……どうやら、おいしい仕事どころか、とんでもなく厄介な仕事かもしれんな」
「……ちょ、ちょっと待ってよ」
「何じゃい、おじけづいたか?」
「そうじゃないけど……この様子だと、あたしらだって坊やと正面からやりあって勝てるわけじゃないでしょ? 何か策はあるんだよね?」
「おや、ワシゃてっきりお前さんが策を()っとると思っとったがね?」
「いや、もちろんあったさっ」
「ほう、ならばお聞かせ願おうか?」
「……色仕掛け」
「……念のため見せてもらっても良いかの?」

 マゼンタはバン爺の前に立つと、咳をひとはらいして改まった。もったいぶって髪をかき上げると、体をくねらせる。そして腰を突き出し前かがみになると、胸を強調してウィンクをして見せた。

「……どう? やばくない? じいさん若返ったっしょ?」
「それどころか寿命が縮まったわい」
「じじい、寿命を待たずに死にてぇか」
「誤解するな、お前さんはそんな変なことをせん方が魅力的じゃということじゃ」
「え、マジで? やだ、あたしってそんなんなんだ……。」
 マゼンタは両手で頬をおさえた。
「お前さん、チョロ過ぎやせんかの……。」
「じゃあさ、爺さんの策は何なのさ?」
「お前さんと似たようなもんさ」
「え? 爺さんも色仕掛け?」
「あほう。ええか? 温室育ちの伯爵の子息が数日間逃げ回っとるんだぞ? 満足な食事も十分な睡眠もとっとらん。どれほどの天才魔術師と言えど、このふたつには勝てんよ」
「……それってつまり」
 バン爺は背中のリュックを叩いた。
「食欲性欲睡眠欲、実際に欠けて困るのはふたつじゃ」
「性欲と……後はなに?」
「三分の二を見事に外しよった……。」
「冗談だって」

 さらに森の奥に入ると、倒れた男たちの姿はなくなっていった。どうやら、この辺りで少年は追手を振り切ったらしい。

「ふむ、もうかなり暗いし、ここで夜営をするとするか」
「え? だって……。」
 少年の追跡は良いのかとマゼンタは言いたげだった。
「ワシにまかせとけ」

 バン爺はフライパンを取り出すと、火をおこして料理を始めた。ベーコンにバター、そしてガーリック、ジャマル油、匂いの強いする食材を火にかけ、さらに団扇(うちわ)で匂いが周囲に飛ぶように仕向ける。

「……さて、食べるかの」

 匂いを出すためだけの料理を終えると、バン爺は小皿に取り分けた。腹が減っていたらしく、マゼンタは仕事を忘れて料理にがっついた。

「ええ食べっぷりじゃのう……。」

 一方のバン爺はゆっくりと食事を続けた。歳というわけではなかった。食べながらも、周囲の様子をうかがっていた。
 マゼンタが皿の料理をすべて食べ終わる頃、バン爺が口を開いた。

「隠れとらんで出てきたらどうじゃ?」
 マゼンタは驚いた後、痛ましく哀し気な目で老人を見た。
「イマジナリーフレンド?」
「……勘違いするな、ボケちゃおらん。……腹が減っとるんじゃろ? ワシらはこの土地のもんじゃ、お前さんに何もしやせんよ」

 バン爺の背後の(しげ)みがガサリと音をたてた。マゼンタはびくりと肩をすくめる。
 バン爺が振り向く。そこには、水色の長髪の少年・シアンが立っていた。やつれているのか元からなのか、少年からは生気(せいき)が感じられなかった。

「なんじゃ、坊やこんなところで迷子かね? 危ない危ない。さっき、ワシらが来る途中で、大勢の男達が倒れとってな、どうやらここら辺には狂暴な(ぞく)がいるようじゃぞ?」

 見え透いた嘘だった。しかし、空腹と疲れは、シアンに都合の良い解釈を導いた。彼らは自分を追ってきている奴らとは違うと。

「坊や、うっかり年寄りには食いきれん量を作ってしもうての。お前さんも一緒にどうじゃ?」

 シアンは茂みから出ると、バン爺の隣に立った。
 バン爺は料理を取り分けた皿を差し出す。

「ほれ?」

 シアンは皿を受け取ると、バン爺の横に座って料理を無我夢中で食べ始めた。

「パンもあるぞ」

 シアンはパンも受け取って口にほお張り始めた。あまりにも急いで食べたので、少年は食べ物をのどに詰まらせてしまった。

「ほらほら、そんなにがっつくから……。」

 マゼンタは水筒(すいとう)を持ってシアンに寄りそい、口に持っていった。
 シアンは驚いてマゼンタを見る。

「ほら、遠慮しないの」

 そして、マゼンタの手に持った水筒からシアンは水を飲んだ。
 皿の料理とパンを平らげると、少年はマゼンタに寄り添うようにして眠りについた。

「疲れてたんだね。食べたらすぐに寝ちゃった……。」
「そりゃそうじゃろ……。」
 マゼンタはシアンの長い髪をかき上げた。
「……すごい綺麗な子だね」
「そうじゃな……。」

 シアンはぐずるように(うな)ると、マゼンタに抱きついた。マゼンタはシアンの頭をなでて肩を抱いた。

「……やばい」
「どうしたんじゃ?」
「あたし、母性に目覚めたかも」
「あそ」