バン爺の手先は戻らなかったが、治療の甲斐(かい)あって傷は塞がった。
 全員の傷の手当てが終わった後、シアンは父に旅立つことを告げた。

「……そうか」

 瓦礫の上に座り込み、夕日を背にしてうなだれるアイリス伯の姿は、彼の人生の終焉(しゅうえん)を表しているようだった。

「たまに……便りを送ります」
「……いらん」
 アイリス伯は顔を上げる。
「それと、2度とここには帰ってくるな。……グレイスの墓参りも許さん」
「……そういうやり方はやめんか」
 アイリス伯は無言でバン爺を睨む。
「父として、息子に旅立たれるのはしんどいとだけ言っとけ。別にシアンとてお前さんを捨てようというわけじゃあない。時がたって落ち着いた頃に、また関係を見直せばいいじゃろ。親子なんじゃ、どれだけ離れていようと、何らかの形でつながるもんじゃよ」
 アイリス伯はうなだれた。
 シアンはそんな父に何か別れの言葉を告げようとしたが、しばらく考えても適切な言葉が見つからず、何も言わずにシアンは父から、そして故郷から去って行った。
 マゼンタとバン爺も今の状況のシアンにどういう言葉をかけて良いのか分からず、陽が落ちて、野宿する場所を見つけ寝る時になって、ようやくマゼンタが「おやすみ、シアンくん」と言った。


 数週間後、バン爺の丘の上の家に滞在していたシアンは、予定されていた通り、ビオラ伯のもとへと出発することになった。
 すでにバン爺の家の前にはビオラ伯の使いの者が馬車で到着していた。バン爺とシアンは、長旅とビオラ伯のもとで生活するための品をその馬車に運び込んでいた。
 しかし、旅支度(たびじたく)をしながらシアンは事あるごとに上の空になっていた。

「……どうしたね?」
「……あ、うん、何でもないよ」

 そうは言うものの、シアンは丘の下を気にしていた。

「……思いを伝えようかどうか、迷うとるのか?」
「……え?」
 驚いてシアンはバン爺を見る。
「……ほっほっ、ワシャなんでもお見通しじゃ」
「……。」
「恥ずかしいにしても、怖いにしても、どちらでお前さんが納得するかじゃろうて」
「納得?」
「そう、納得じゃ。後悔するかもしれんが、それは大切なことじゃあない。後悔して納得するか、後悔はせずに納得するか。お前さんはどちらかのう」
「納得……。」

 自分の気持ちへの向き合い方を少しづつ学んだ少年はすぐにどちらか判断がついた。

「まぁ、別に、ワシがマゼンタについて行かんかと聞けばいい気もするがな」
「だ……ダメだよ、それは……。」
「ほぅ……。」
「おまたせぇっ」
 そこへ、マゼンタが帰ってきた。
「へへ、けっこうもらっちゃったよ」

 マゼンタは(かご)いっぱいの卵を抱えてていた。

「おお……ザビさんに礼を言わんとな」
「それとぉ……。」
「なんじゃ?」

 マゼンタはもう片方の手に抱えていた籠からソーセージを出した。

「じゃーん、シアンくんの大好きなソーセージーっ」
「もらい過ぎじゃないかね……?」
「食べ物は多くても困らないからねぇ」

 マゼンタはシアンの荷物の中に食料を詰め込んだ。
 作業をしているマゼンタの背後に立つバン爺とシアン。バン爺がシアンを見る。シアンは小さくうなずいた。

「あ、あの……マゼンタさん」
「ん~、なぁに~?」
「これから、マゼンタさんはどうするの?」
 荷物を包みながらマゼンタは空を見上げて考える。
「ん~、そうだね~、シーカーの仕事をこつこつ頑張ってこうかなぁ。今回はダメだったけど、何とかして一獲千金(いっかくせんきん)で人生大逆転っていきたいから」
「……そうなんだ」

 しどろもどろするシアン。地面に視線を落として心を整理する。再び視線を上げた時、目の前にマゼンタがいた。

「あ」
「……どうしたの?」

 きょとんとした顔でマゼンタはシアンを見る。無垢な視線が、せっかく落ち着いた少年の心を乱した。

「えと、あの……マゼンタさん」
「うん」
「ぼく……これから……ビオラ伯のところにいくんだ……。」
「そうだね」
「あそこって、とっても遠いから……その……このまま行っちゃったら、マゼンタさんとめったに会えなくなっちゃうと思うんだ……。」
「だよね、さみしくなっちゃうよね」
「う、うん、そうだよね……だから……。」
「手紙とかちょうだいよ、待ってるから」
「え? あ……うん……。手紙……そうだね……。」
「もし何かあったらすぐに連絡ちょうだいね。あたし、飛んでいくから」
「あ、だったら……。」

 マゼンタはシアンの両肩をがっしりと掴んだ。

「シアンくんは、あたしにとって、もう弟みたいなものなんだから。できることは何だってするよっ」

 まっすぐに自分を見つめる瞳、その意味を知ってシアンは微笑んだ。

「……うんっ」
「……ローゼス卿そろそろ」と、使いの者が言った。
「おお、そうか」

 使いの者が荷物を馬車へ乗り込み、シアンも後に続いた。

 動き出す馬車、客車の窓から身を乗り出してシアンが手をふる。
「じゃあねぇマゼンタさんっ。きっとまた会おうねっ」
 マゼンタも手をふる。
「うーん! 約束だよぉシアンくん!」

 バン爺は何も言わずに微笑んで手をふっていた。
 そうして馬車が見えなくなった頃、マゼンタは大きなため息をついた。
 バン爺はマゼンタを見る。

「あ~どうしよう。シアンくん、どんどんいい男になってくじゃん。ロングも良かったけど、髪切ったら男らしさまで出てきちゃって……。もう、あたし恋しちゃいそうだったよ」
「……。」
「バン爺、やっぱりさぁ、王都って綺麗な女の人がいっぱいいるんだよね? どうしよう、そのままシアンくん、都会の女の子とか、貴族のご令嬢とかと一緒になっちゃうのかな。そうだよね、女の子がほっとくわけがないもんね。あ~シアンくんから彼女が出来たとか無邪気な手紙きたら、あたしショックで寝込みそうだよぉ……。」

 マゼンタは呻きながら頭を抱えてうずくまった。

「……マゼンタや」
「……なに?」
「お前さん、ダメじゃあ……。」

 バン爺はがっくりと肩を落とした。

「……え、なんで?」


 その後、バン爺は村の住民に手伝ってもらい、自宅の補修を手掛けていた。家の中の整理しながら、バン爺は次々と木箱に不要なものを放り投げる。
 木箱が満杯になり、農夫のマッソが運び出そうとすると、処分する品の一番上に白い腕輪があるのに気づいた。マッソはそれを取り出し、背中を向けているバン爺に訊ねる。

「……バン爺さん、これっていいのかい?」

 バン爺はふり返って微笑んだ。

「ああ、ワシにはもう必要ない」

──了