バン爺は翌朝に諸侯(しょこう)に相談し、マゼンタの奪還(だっかん)助力(じょりょく)()おうとシアンに提案した。その時はシアンもそれに同意したが……。

「シアン、どこに行くんじゃっ?」

 夜が明ける前にシアンは宿を抜け出し、ひとりで父の下へ帰ろうとしていた。
 光のささない路地を追うバン爺、シアンはふり返ろうともしなかった。

「待たんかい、お前さん、ひとりでアイリス伯の下へ行くつもりかねっ?」

 シアンはバン爺の問いに答えない。

「待ちなさいと言うとるにっ」

 バン爺はシアンの手を取った。シアンはその手を振りほどく。

「……もう、ほっといてください」
「シアン……。」
「……最初から、分かっていた事なんです。父さんからは逃げられない、逃げちゃいけないって……。ぼくが何かをやろうとしても、結局はこうなるんだ……。最初から、何も望まなければ良かった……。」
「シアン、お前さんはまだ子供じゃ。人生の見切りをつけるには早すぎるぞ。たった一回や二回の失敗が何だというんじゃ。何べんでも挑戦したらええ、お前さんには時間も選択肢もいっぱいあるんじゃぞ」
「自分で何かやろうとした結果がこれじゃないですかっ。みんなに迷惑がかかってるっ。ぼくが我慢してれば済むことなんですっ。そうすれば最初から父さんは怒らなかったし、マゼンタさんもさらわれることはなかったっ」
「それは違うぞシアン。大人の都合でお前さんひとりを我慢させるなんてやり方は間違っとるっ」
「やめてくださいっ、バン爺は赤の他人でしょ? どうしてぼくの家族の事に首を突っ込むんですかっ? もう……もう迷惑なんです!」
「……うむ、そうじゃな。ワシは赤の他人じゃ」
「ならもう、ほっといてください。それとも、そんなに父さんのことが気に入らないんですか? まるで父さんが言ってた通りじゃないですか、自分の昇進を邪魔し続けたってっ」
「……そうじゃのう、確かに、かつての仕事のやり残しというところもあるかもしれん。……じゃが、それならば他の者に今回の件を任せれば良かった話じゃ」
「じゃあ、何なんですか」
「……ちょいと、ジジイの昔話につきあってくれ。ワシの……息子の話じゃ」
「……亡くなられた、息子さんですか?」
「うむ……。」



 バーガンディ・ローゼスが1級に任ぜられたのは、政治上の理由に他ならなかった。実力が横並びだった彼の世代、誰が1級に昇格してもわだかまりが残るだろうとされた中、人当たりが良かったこと、さらに土の術式という、ライバルの研究者のいない分野の出身の彼には政敵(せいてき)らしい政敵がいなかった。史上もっとも無難な1級魔術師、それが彼の自己評価だった。
 だが、例え彼がそう自分を評価しようと、周囲はそうは見なかった。王の横で国政に関わる彼の名を、王侯諸侯(おうこうしょこう)で知らない者はおらず、彼の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)が注目を浴びた。そしてそれは外だけではなかった。彼の家族もまた、1級魔術師の家族ということで世間の注目を避けられなかった。
 彼の妻のマルーンは家名に恥じぬよう、一流の家庭教師を息子のフォーンにつけ、ゆくゆくは父の跡を継げるようにと苦心した。しかし、父に運が向いたといえ、息子までそうなるわけではない。戦争が過去になり人口が増え、魔術師を志す者が増えたため、バーガンディの時代に比べ魔術師の倍率は年々上がる一方だった。フォーンは魔術師としての才能が突出しているわけではなかったため、一昔前ならば5級までならば取れたかもしれなかったが、彼はいくど等級試験を受けても、もう少しの所で結果を残せずにいた。父が裏で手を回せば息子に等級を与えることも可能だっただろう。妻もどこかでそれを期待していた節があった。
 しかし、それをバーガンディはしようとしなかった。性格上の問題も去ることながら、自分が1級魔術師として期待されている役割は波風を起こさないことであり、もし息子の等級に関与すれば、その役割を自ら放棄(ほうき)することになるという懸念(けねん)もあった。
 そして何より、バーガンディは自分の息子に自分と同じ道を歩んでほしいと思っていなかった。自身の評価が低かっため、バーガンディは職務に対しては苦労しか感じていなかった。加えて、先の大戦では多くの魔術師が戦場だけではなく、政治闘争の舞台で暗殺などで命を落としていたという事実もあった。再び大きな戦争が起こらないとは限らないのだ。
 息子にはもっと自分に見合った道を歩んでほしい。ただそれだけだった。もし、バーガンディに落ち度があるとしたら、それを適切に息子に伝えていなかったことだろう。
 30歳になり、最後の挑戦として受けた等級試験、フォーンは何とか7級を獲得した。喜ばしいことかもしれなかったが、父の存在があった。1級魔術師の息子が、努力の果てに7級どまりだった事実。フォーン自身が、そして周囲がそれを何も思わないはずがなかった。道は閉ざされた、誰でもない本人がそう思っていた。
 そんな失意の中にある息子に、久しぶりに顔を合わせた父は言った。

──魔術師ばかりが人生ではない

 その父の言葉を息子がどう受け止めたのかは分からない。少なくとも、遺体が川辺で発見されたのはその翌日の事だった。



「……何もしなければ、少なくとも傷つけることはない。そう思っとったわ。しかし、それは父の役割じゃあなかった……。妻はワシを責めたもんじゃ。ワシが息子を支えておればこんなことにならなかったとな……。」
「……。」
「息子のいない人生を生きることになるとは思いもせんかったよ。息子を失ってから、ワシには未来がなくなった。あれ以来、永遠に同じ日を生きとるような気分じゃ。……シアンや、これはジジイの手前勝手な我がままじゃ。じゃが頼む、またワシに歯がゆい思いをさせんでくれ。自分の人生を捨ててしまう若もんを、もう見たくはないんじゃ」

 シアンはすぐには答えなかった。朝日が昇り始め、路地を光が照らし始めた。

「……結局、自分のためじゃないですか」
「……そうじゃ、自分のためじゃ。自分のためと、お前さんのため……そしてマゼンタのためじゃ」

 シアンが顔をあげた。

「お前さんは自分の道を自分で決めればいい。それに関してワシには何も言う資格がない。じゃが、それはマゼンタを放っておくという意味かね?」
「それは……。」
「惚れた女じゃろう? ちったぁええとこ見せんかい」