バン爺とシアンは馬車を借り、王宮へ行くよう頼んだ。
 シアンは馬車の外から見える風景を、身を乗り出して眺めていた。
 出会った頃は表情の乏しかった少年のそんな姿を見ながら、バン爺は久しぶりに到来した感情に心を潤わせた。バン爺は王宮へと続く道のりを見る。それはかつて失意(しつい)のうちに背を向けた道のりだった。

「……着いたの」

 城の前に到着したバン爺たちは例のごとく門の前で番兵に止められた。ダリア伯から預かった書簡を番兵に渡すと、それからほどなくしてバン爺たちは城の中に通された。
 応接間で待たされていると、そこに大臣が現れた。受け口の老人で、ロマンスグレーの頭を七三分けにしていた。詰襟(つめえり)の軍服を着てるため、老人だが背筋がしゃきっとしていた。

「ローゼス卿、お久しぶりです」

 ()()正しいお辞儀(じぎ)と折り目正しい声、折り目正しい微笑みの男だった。

「おお、お主が大臣になったのかね。たいしたもんじゃ」
「いえいえ、他に務まる者がいませんで……。」
「ほっほ、ワシだってそんなもんじゃったよ」
「またまた、ご謙遜(けんそん)を……。」
「ふむ、それで……書簡でも伝えておったと思うんじゃが……。」
「はい、陛下にお伝えしたところ、全面的に協力していただけるということでして……。」
「それはそれは、何だか注文が多くて申し訳ないのう」
「何をおっしゃいますか、陛下も若き日にはローゼス卿に導かれた者の一人、貴方様は陛下の師でもあらせられます」
「ほっほ、恩はあちこちに売っとくもんじゃ」

 ふたりの高齢者は上品に笑いあった。


 その頃、マゼンタは暇を持て余していたので、宿の周辺を探索していた。
 最初は買い物をしようと思っていたが、いざアーケードのくり出すと、王都の物価は建物と同じく天井知らずで、マゼンタの持ち金では手の出ないものばかりだった。
 仕方なく例の川の近くまで立ち寄り散歩をするマゼンタ、ふと川辺に花が()えてあるのに気づいた。

「……なんだろ?」

 近くに寄ってみると、それは(はち)に植えられた秋菊(ポットマム)だった。鉢に植えられているということは、栽培用に置いてあるのではなさそうだった。
 たまたま歩いてきた地元住民の男にマゼンタは訊ねる。

「ねぇおじさん」
「……ん、なんだい? 俺に何か用かい?」
「うん、ちょっと聞きたいんだけどさ、あそこに飾られてる花って何なの? この土地では川に花を捧げる風習があるとか?」
「ん、ああ……俺も良く分からんが、日暮れごろになると、あそこに献花(けんか)してる女がいるみたいなんだ」
「……誰かここら辺で亡くなったとか?」
「あ~そりゃあ分かんないなぁ。ここいらは一度増水で流されちまってね。だから今いる住民は、俺も含めて新しい人間ばかりなんだ」
「ああ、宿屋の人も言ってたね。……じゃあ、その人はその時に亡くなった誰かに花を捧げてるってことなのかな?」
 男は困った顔をして頭をかく。
「いやぁ、その時の慰霊碑(いれいひ)はきちんと建ててあるんだ。だから、その時に縁者(えんじゃ)が亡くなった人はそこに花を捧げるはずなんだよ。なのに何でその女があそこに花ぁ捧げてるのか、皆目見当(かいもくけんとう)がつかないねぇ……。」
「ふ~ん。とりあえず、その人はいつも夕暮れに来るんだね?」
「ああ、ここ最近はそうだ」
「“最近”?」
「そ、2週間前くらいかなぁ……突然、花が置かれるようになったんだよ。しかし妙なもんだ、献花なら命日とかで済みそうなもんだがな?」
「そうだよね……。」

 マゼンタは男に礼を言って別れた。

──夕方か……。


 その頃、バン爺は城(づと)めの医師にシアンの容態を診せていた。シアンには体が頻繁(ひんぱん)に衰弱する理由を調べてもらうためだとはぐらかしていた。父親に体内に異物を埋め込まれているという事実を、12歳の少年が受け止められるという確信がなかった。

「……ふぅむ」
 医師は聴診器を当てながら、シアンの心音を注意深く探る。
「……まぁ、歳の割には発育が遅いようですが、特にどこか悪いところがあるというわけではなさそうですな。きちんと食事をとれば問題はありますまい」
「……そりゃよかったわい」
「……念のためにローゼス卿も診ておきましょう」
「ワシもかね?」
「どちらかというと、貴方様の方が不安ですよ。そのお歳でずいぶん無理をなさったのでしょう?」
「ん、まぁ……。ならばシアン、少し待っとってくれんかの? さっきワシらがおった応接間でな。多分大臣たちがお前さんから話を聞くこともあろうから」
「はい」

 そうして、シアンは診察室を出ていった。

 シアンの気配が完全になくなってから、バン爺は医師に訊ねる。
「……で、正直なところ、どうじゃったね?」

 医師は(うめ)いた。
「あの男、よくも自分の子供にあんな真似を……。」

 バン爺はシアンにまだ事実を告げなくて正解だと思った。

「ふむ……。で、処置できそうかい?」
 さらに医師は深く呻いた。
「アイリス伯が王宮を去ってからというもの、当然ながら我が国で禁呪法を研究することはありませんでした」
「そりゃあそうじゃろうな……。」
「……しかし、あくまで“表向きは”ということです」
「……お主、そりゃどういう意味じゃ?」
 バン爺の様子の変化に医師は慌てる。
「あ、いや、妙な意味ではありません。アイリス伯の研究は大変危険でしたが、あの研究から生まれた、マナの流動学は盛んにおこなわれておりまして。例えば炎のマナを調べ、火災の原因や燃え広がり方を研究して消防に役立てたり、人の病気をマナから探るという研究をやっております。平和利用ですよ」
「……ふむ、それをどうやってシアンのために?」
「今申しました研究の成果で、体内のオドの正常化というものがあります。生まれついてオドが乱れている人間のオドを、正しい方向に流して正常化させるやり方ですな。呪いの解除にも役立つ研究でして……。」
「ワシがおらん間に、魔術もずいぶんと進んだもんじゃ」
「はい、簡潔(かんけつ)に言ってしまえば、溜まったものを外に流すという理論ですが」
「なんじゃ、なんだかんだいって原始的じゃのう。……つまり、シアンの異常な魔力を作り出しとる原因のコア、その力をすべて外に出してしまおうという事かね?」
「さすがローゼス卿、お話が早い」
「確かに、無限のオドなどありえんからな……。じゃが、あの子に流れとるのは、そんじゃそこらの力じゃないぞ?」
「問題はそこです。あの子がどれだけ自分の力をコントロールできるか、またそのオドはどこに流されるべきかです。破壊のエネルギーに()えるわけにはもちろんいきませんが、かといって自然界に過剰にエネルギーを還元(かんげん)しては、どんな天変地異(てんぺんちい)が起こることやら……。」
「適切に、慎重に、さらに長い時間を使って、あの子の体を元に戻していく必要があるという事か……。」
「……まさに。長い……道のりですが」

 バン爺は深くため息をついて天井を見上げた。

「いっぺん辿(たど)ってきた来た道を変えるのには、何にせよ時間のかかるもんじゃ……。」


 バン爺が応接間に戻ると、大臣に加え、他の宮廷の高官たちもシアンの周りに集まっていた。シアンは待たされている間に見知らぬ大人たちと一緒にいたせいでかなり不安だったらしく、バン爺の顔を見ると、分かりやすく顔が明るくなった。マゼンタでなくても、この少年には庇護欲(ひごよく)が生まれそうだった。

「またせたのう、シアンや」
「バン爺さんっ」

 かつて、この国の最高の魔術師のひとりとして誰もが疑わなかったバーガンディ・ローゼスをあだ名で呼んだことに、一同はぎょっとした顔をする。
 バン爺はそれに対し気にするな、といった具合に手を小さく振った。
 バン爺がシアンのもとに行くと、高官たちは口々に挨拶をする。ある者は久しぶりの再会を懐かしみ、ある者は初めて会うかつての1級魔術師に敬意を表した。
 そんなバン爺の姿を、魔術師といえば父しか知らないシアンは尊敬のまなざしで見ていた。

「ええ子にしとったか?」

 シアンはうつむいた。しかし、表情が見えなくても少年が感情の出し方が未だ不器用なだけであることがバン爺には分かっていた。

「ローゼス卿、今回の件、我々も最大限の援助を惜しみません」

 バン爺がやめる直前に指導していた弟子のひとりが言った。今では、彼は2級魔術師として王宮に仕えていた。

「うむ、助かるよ、こんなジジイのために、こんなに大勢が集まってくれるとは……。」
「何をおっしゃいます。我々はまだローゼス卿に恩を返してはおりません」
「ほっほ、泣かせてくれるわい」
 バン爺はシアンを見る。
「シアンや、何も心配することはない。もう、ここまでくれば安全じゃ。お前さんの新しい道のために、これだけの人間が集まってくれとるんじゃから」
 バン爺は念を押す。
「ここは大丈夫なんじゃ」

 シアンはうなずいた。目から涙がこぼれているのを見て、バン爺は少年を抱き寄せた。