次の日の早朝に3人は出発した。
 村を()つ前に、昨日シアンと遊んだ村の子供たちが見送りに来ていた。自分の宝物の騎士の人形を贈る子や、秋の花で()んだ首飾りを贈る子もいた。
 そんな人生で初めてできた友達に、少年は何と言っていいか分からなかったが、マゼンタは「ありがとうって言えばいいんだよ」と耳元で囁いたので、シアンはおぼつかない口調でその想いを口にした。
 そして出発し、見送る子供たちが解散した後も、それでもシアンは名残り惜しそうに村を見ていた。
 その後、昼頃になると、空はあいにくの雨模様になった。ダリア伯の用意した雨合羽(あまがっぱ)を着ていたが、秋の初めの雨は想像以上に人の体から体温を奪っていた。

「……シアンくん、もうちょっとくっつきなよ、寒いでしょ?」
 マゼンタは馬上で自分の前に座っているシアンに言った。
「……ダメだよ」
「……どうして?」
「……父さんが、女の人に近づくとオドが弱くなるって」
「そんなのは噓じゃよ」

 バン爺が即座(そくざ)に否定した。

「じゃあ気にすることないね」

 そうしてマゼンタは背後からシアンに身を寄せた。少年の長髪からのぞく両耳が真っ赤になっていた。


 それからほどなくして、3人は王都に到着した。そびえ立つ城門の前で、門番にダリア伯から手配された通行手形(つうこうてがた)を見せると、何のトラブルもなく王都への中へ通された。

「……すっご」

 ただでさえ、門構えから圧倒されていたマゼンタだった。王都の中に入ると、人生で3階建て以上の建物は見たことがなかった彼女は、まるで異世界とも思える都の様子にただただ驚くばかりだった。
 遠くから見える王の城は、まるで巨大な火山のようだった。あまりの現実離れしたその巨大さのせいで遠近感に支障(ししょう)をきたし、マゼンタは見ているだけで酔いを起こしそうになっていた。

「お前さんたちは初めてかね」
「あたしはもちろんだけど……シアンくんも?」
「うん」
 シアンも好奇心を輝かせながら街の様子を見ていた。
「ほっほっ、シアンは等級試験を受けるなら、最終試験は王宮じゃから、今のうちに慣れとったが良いかものう」
「おお……。てか、1級魔術師だったってことは、バン爺も元々ここに住んでたんだよね? じゃあ、もうここは自分の庭みたいなもんだったりする?」
「そう言えればかっこええんじゃがのう。あいにくワシは出不精(でぶしょう)だったもんで、近所のことしかようわからんのじゃ。……ということで、宿に関してはワシが住んどったとこの近くになるが、問題ないかのう?」
「問題ないも何も、バン爺に任せるしかないしね」
「ほっ、そりゃそうじゃ」

 バン爺は繁華街をぬけて、住宅地に入っていった。しばらく歩いていると、とある川の前でバン爺は足を止めた。大きな川で、川幅は100メートルはありそうだった。その川を見ている間、バン爺の時間が止まったようだった。

「……どうしたの、バン爺?」
「……いや、なんでもない」

 それから、バン爺の見知った人間が営業している宿屋にたどり着いた。しかし、残念なことに、そこの主人はバン爺の知り合いではなくなっていた。数年前の川の増水で、近隣が流されてしまったのが原因だという。
 3人が部屋で荷物を下ろすと、シアンがトイレのために部屋を出た。

「……ねぇバン爺」
「なんじゃ?」
「これから、どうするの?」
「ダリア伯の所で言ったように、王室に援助を頼もうと思うてな」
「……シアンくんを医者に見せるみたいなことも言ってなかった?」

 バン爺が驚いてマゼンタを見る。

「ごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだけど……トイレに行こうとしてる時にたまたま……。」
「……うむ。あくまで、もしかしたらその可能性もあるという事じゃ」
「シアンくんには何が起きてるの?」
「恐らく、アイリス伯が等級をはく奪された原因になった禁呪法じゃろう」
「……それってどういうものなの?」
「気の人為的(じんいてき)な操作じゃよ。外気(マナ)内気(オド)を結晶化する技術。そうやって水のマナで火をおこし、大地のマナを生き物に注入したり、|挙句(あげく)は生き物そのものを結晶化するという外道の術じゃった。奴はそれを魔術革命だと主張しておったがな。確かに、うまくやれば資源の乏しい土地に(うるお)いをもたらし、才能の無い人間を優秀な魔術師にすることもできるかもしれん。じゃが、自然の均衡(きんこう)で初めて抑えられるマナに人の手を加えたら、どんな予想のつかない暴走が起きるのか想像もつかんのじゃ。実際、アイリス伯と同じ研究をやっておった研究者の施設が山ごと吹き飛んで、周囲の町まで消した事件も起きてての。神をも恐れぬ所業(しょぎょう)じゃよ」
「じゃあ、バン爺が言ってた、シアンくんの不自然な力ってのは……。」
「ああ、その可能性が高いのう」
「……その、シアンくんは医者に見せれば何とかなるの?」
「……何とも言えん。研究を禁じられとる術なもんで、対処法があるかどうか……しかし王都の魔術師ならば、何らかの解決方法を見つけ出すかもしれん。一縷(いちる)の望みに賭けようと思ってな……。」
「そっか……。」

 そうこう話していると、シアンが戻ってきた。

「戻ってきたね、シアン。せっかく来たんじゃから、王都の見学とも行きたいが、事は急ぐ。さっそく出発しようか」
「はい」
「マゼンタや、お前さんはワシらが帰ってくるまでこの近辺でのんびりしといてくれ」
「なにさ、あたしは用済みだから置いてけぼりってわけ? ひどいよ、みんな一緒にここまで頑張ってきた仲間じゃん? 言っとくけどね、あたしだって、ちったぁ役には立つんだよ?」
「王都の堅苦(かたくる)しい連中とつまらん話を延々とするだけじゃよ? それでも来たいかね?」
「じゃあいいや」
「……行こうか、シアン」
「はい」

 バン爺はシアンを連れて「いってくるわい」と部屋を出ようとする。

「……マゼンタさん」
 部屋を出る前にシアンは言った。
「なぁに?」
「……その、いままで……ありがとう……ございました」

 マゼンタは微笑む。

「……ありがとう」
「……え?」
「ごめんなさい、何て言われるより、ありがとうって言われる方が、人ってずっとうれしいもんだからさ。……すごくうれしいよ」
「……はい」
「それに……。」
「はい?」
「シアンくん、はじめてあたしの名前を呼んでくれたね」

 シアンの顔が真っ赤になった。

「……行くぞい」

 シアンとバン爺は宿を出ていった。

 部屋の窓からマゼンタが手を振る。
「まっすぐ帰ってくるんだよぉ」

「……母親かいね」