その後、3人はダリア伯の用意した寝室へ移動した。
しばらくしてシアンが寝ついたあと、用を足すためにマゼンタは部屋を抜け出した。しかし、トイレの場所を侍女に聞いていたものの、広い屋敷なうえに部屋からの道順ではなかったため、マゼンタは屋敷の中で迷ってしまった。ようやくトイレを見つけたと思ったら、次は戻り方が分からなくなっていた。
ふと、通り過ぎようとした部屋の前でマゼンタは足を止めた。中からバン爺とダリア伯の会話が聞こえてきていた。
「……なんと、それは本当ですか?」
「あくまで、今のところはワシの見立にしか過ぎんがのう……。」
「ローゼス卿がそう言われるならば、信用するには十分でしょう。……しかしあの男め、等級をはく奪されただけでもまだ温情ある処置だったというのに……。なんという奴だ」
「……ワシはあの子を王都に連れて行くのは、魔導医に見てもらおうとも思っとるからでな。あの子の体が心配じゃ」
「……ローゼス卿、私がすべて手配します。引退なされた貴方がそこまでなさる必要は……。」
「……老い先短いジジイの最後の未練じゃ、ワシにやらせてくれんかの」
「ローゼス卿……その、ご子息は自ら命を絶ったとは……。」
「気休めはよさんか。そうとしか、思えんじゃろう……。」
マゼンタはまわりまわって、宴が開かれていた広間に戻っていた。そこでは、執事が飲み残しの酒と食べ残りの料理で、役得とばかりに独り飲みをしていた。
「……独りで飲んでてつまんなくない?」
突然のマゼンタの登場と、主人に内緒の息抜きを見られた執事は狼狽する。丸メガネがズレ落ち、肘があたりテーブルの上の空の杯が倒れてしまった。
「あ、貴方様は……。なぜこちらに? お、お休みになられてのでは?」
「慌てなくていいよ、チクったりしないから」
マゼンタは執事の横にどかっと座った。そして杯を執事の前に出した。
「あたしも飲み足りないの。注いでよ」
堂々と隣に座る若い女性にたじろぎながら、執事は酒を注いだ。マゼンタはその酒を一気飲みする。
主人の大切な客人、さらにその若い女性が豪快に酒を飲む様に、執事は恐縮しながらも呆気にとられる。
「ささ、おじさまも飲みなよ」
マゼンタは執事の杯になみなみと酒を注いだ。
「あ、ありがとうございます……。」
すでにかなり飲んでいた執事だったが、マゼンタの勢いにおされ、杯を大きく傾けて酒を飲む。
「へぇ、良い飲みっぷりだねぇ。やっぱり男は性格が飲みっぷりに出るよね」
脚を組み、頬杖をついてマゼンタは艶めかしい目で執事を見る。
「は、はは、恐縮でございます……。」
さらにマゼンタは顔を執事に近づける。執事は息をのんで身じろぎをする。
「おじさまって、けっこうあたしの好みなんだよねぇ」
「へ?」
「あたしが食事中もずっとおじさまのこと見てたの、気づいてた?」
「そう……でございますか?」
「なぁんだ、けっこういけずなんだなぁ」
マゼンタは執事の膝に指を這わせた。執事の体がぴくりと反応する。
「ご、ご冗談を、こんな年寄りを……。」
「え? 知らなかった? あたし、バン爺のこれなんだよ?」
マゼンタは小指をたてて見せた。執事は思わず目を丸くして「へぇ」と間抜けた声を上げる。
「でもさぁ、やっぱりお爺ちゃんだから、あんまり相手してくんないんだよねぇ」
「ま、まぁ、そもそもローゼス卿は、昔から身持ちの硬いお方でしたから……。」
「へぇ、おじさまもバン爺の事知ってるんだ?」
「それはもう、あの方は1級の魔術師でしたし……お、お?」
マゼンタは再度、執事の杯になみなみと酒を注いだ。
「ねぇ、あの人の事、もうちょっと詳しく聞かせてくれない?」
「詳しくと……申しますと?」
「あの人ってさぁ、自分の昔のこと話したがらないのよぉ。1級の時どんな活躍してたとかぁ、家族の事とかぁ。なんだか曖昧な答えばっかりなの」
「あ、まぁ……。」
執事がそそくさと顔をそらす。
「好きな男の事って、知りたくなるものでしょ?」
マゼンタは執事の逸らした顔をのぞき込む。
「なっ」
「今は……おじさまの事を知りたいかも……。」
「ははは……。」
「さ、飲んで」
執事はマゼンタに促されて執事は杯を傾けた。飲み干した執事の焦点が合わなくなり始めていた。頭髪の後退した頭は真っ赤になっている。
マゼンタは横目でそんな執事を見ながら自分も杯を傾ける。そして大きくため息をついてうつむいた。急なマゼンタの消沈ぶりに執事が困惑する。
「……どうなされました?」
「あの人ね……きっと昔の家族の事を気にかけてるから、あたしの相手をしてくれないんだと思う。……きっと息子さんの事よね」
マゼンタが顔を上げ執事を見ると、執事は慌てて目をそらした。マゼンタは手ごたえを感じる。
「ねぇ、あの人の息子さんって、どうして亡くなったの?」
「あ、いや……それは……。」
マゼンタは執事の手を取った。
「お願い、誰にも言わないから。好きな人が、どういう人生を送ってきたのか知りたいだけなの」
「は、はあ……。」
マゼンタは執事の手を強く握る。目が少しうるんでいた。酔いの回った執事の頭は、こんなマゼンタの願いを無下にした方が気の毒であろうという結論に至った。
「……誰にも言わないと約束していただけますかな?」
「もちろん」
そう言ったものの、執事はのどに声が引っ掛かっているように、何度も語り出しそうにしてはためらい、マゼンタから目をそらしたりしてようやく話し出した。
「……あくまで聞いた話ですし、その話も噂話の域を出ないのですが……その、世間で言われているのは、ローゼス卿のご子息は自ら命を絶ってしまった……“らしい”という事でございます」
「……自殺? どうして?」
そこまで大きな声でないにもかかわらず、慌てて執事はマゼンタの声のトーンを抑えるように両手をふった。
「あくまで噂です。……ご存じのように、ローゼス卿は1級魔術師でございました。しかし、ご子息はあまり才能がなかったと申しますか、まぁお父上が類まれな方だったということだったということなのですが、幾度も等級試験を受けて、30近くにしてようやく受かったのが7級だったと……。」
マゼンタはバン爺の腕にある、白い腕輪を思い出していた。
「1級のお父上をお持ちだというのに、自身が7級で限界だという事実がよほどショックであられたのでしょう、等級を受けてしばらくして……ローゼス卿のご子息は川に身を投げられてしまったのです……。」
「本当に? だって、事故で川に落ちたのかもしれないよ?」
「川辺に、脱ぎ捨てられたご子息の上着と靴が残されておりました。それに……。」
「それに?」
「川に身を投げる前に、自室にあった魔導書の類に火をつけて燃やしていたという……。」
「……そりゃあ」
身辺整理だな、とマゼンタは言いかけた。
「……それ以来、ローゼス卿は王室勤めを休むようになりまして……。とうとう最後には1級魔術師としての職をお辞めになられたのです……。」
「……そう、なんだ」
「人格者として名高いローゼス卿のことです、きっとご子息に厳しい言葉をかけたわけではないのでしょう。しかし、やはり偉大な親を持つと、子は苦労するものなのでございましょうな……。世間の目というものもございますし……。」
酩酊していた雰囲気は今ではしらふになっていた。マゼンタは残った杯の酒を飲み干した。執事の杯にまた注ごうとしたが、執事は「結構です」と、杯の上に手を当てた。
「……ありがとう」
マゼンタは立ち上がり部屋を後にする。
「くれぐれもこの話はご内密に……。」
マゼンタはふり返った。
「大丈夫、すごく酔ってるから明日の朝には忘れるよ。……あなたもでしょ?」
しばらくしてシアンが寝ついたあと、用を足すためにマゼンタは部屋を抜け出した。しかし、トイレの場所を侍女に聞いていたものの、広い屋敷なうえに部屋からの道順ではなかったため、マゼンタは屋敷の中で迷ってしまった。ようやくトイレを見つけたと思ったら、次は戻り方が分からなくなっていた。
ふと、通り過ぎようとした部屋の前でマゼンタは足を止めた。中からバン爺とダリア伯の会話が聞こえてきていた。
「……なんと、それは本当ですか?」
「あくまで、今のところはワシの見立にしか過ぎんがのう……。」
「ローゼス卿がそう言われるならば、信用するには十分でしょう。……しかしあの男め、等級をはく奪されただけでもまだ温情ある処置だったというのに……。なんという奴だ」
「……ワシはあの子を王都に連れて行くのは、魔導医に見てもらおうとも思っとるからでな。あの子の体が心配じゃ」
「……ローゼス卿、私がすべて手配します。引退なされた貴方がそこまでなさる必要は……。」
「……老い先短いジジイの最後の未練じゃ、ワシにやらせてくれんかの」
「ローゼス卿……その、ご子息は自ら命を絶ったとは……。」
「気休めはよさんか。そうとしか、思えんじゃろう……。」
マゼンタはまわりまわって、宴が開かれていた広間に戻っていた。そこでは、執事が飲み残しの酒と食べ残りの料理で、役得とばかりに独り飲みをしていた。
「……独りで飲んでてつまんなくない?」
突然のマゼンタの登場と、主人に内緒の息抜きを見られた執事は狼狽する。丸メガネがズレ落ち、肘があたりテーブルの上の空の杯が倒れてしまった。
「あ、貴方様は……。なぜこちらに? お、お休みになられてのでは?」
「慌てなくていいよ、チクったりしないから」
マゼンタは執事の横にどかっと座った。そして杯を執事の前に出した。
「あたしも飲み足りないの。注いでよ」
堂々と隣に座る若い女性にたじろぎながら、執事は酒を注いだ。マゼンタはその酒を一気飲みする。
主人の大切な客人、さらにその若い女性が豪快に酒を飲む様に、執事は恐縮しながらも呆気にとられる。
「ささ、おじさまも飲みなよ」
マゼンタは執事の杯になみなみと酒を注いだ。
「あ、ありがとうございます……。」
すでにかなり飲んでいた執事だったが、マゼンタの勢いにおされ、杯を大きく傾けて酒を飲む。
「へぇ、良い飲みっぷりだねぇ。やっぱり男は性格が飲みっぷりに出るよね」
脚を組み、頬杖をついてマゼンタは艶めかしい目で執事を見る。
「は、はは、恐縮でございます……。」
さらにマゼンタは顔を執事に近づける。執事は息をのんで身じろぎをする。
「おじさまって、けっこうあたしの好みなんだよねぇ」
「へ?」
「あたしが食事中もずっとおじさまのこと見てたの、気づいてた?」
「そう……でございますか?」
「なぁんだ、けっこういけずなんだなぁ」
マゼンタは執事の膝に指を這わせた。執事の体がぴくりと反応する。
「ご、ご冗談を、こんな年寄りを……。」
「え? 知らなかった? あたし、バン爺のこれなんだよ?」
マゼンタは小指をたてて見せた。執事は思わず目を丸くして「へぇ」と間抜けた声を上げる。
「でもさぁ、やっぱりお爺ちゃんだから、あんまり相手してくんないんだよねぇ」
「ま、まぁ、そもそもローゼス卿は、昔から身持ちの硬いお方でしたから……。」
「へぇ、おじさまもバン爺の事知ってるんだ?」
「それはもう、あの方は1級の魔術師でしたし……お、お?」
マゼンタは再度、執事の杯になみなみと酒を注いだ。
「ねぇ、あの人の事、もうちょっと詳しく聞かせてくれない?」
「詳しくと……申しますと?」
「あの人ってさぁ、自分の昔のこと話したがらないのよぉ。1級の時どんな活躍してたとかぁ、家族の事とかぁ。なんだか曖昧な答えばっかりなの」
「あ、まぁ……。」
執事がそそくさと顔をそらす。
「好きな男の事って、知りたくなるものでしょ?」
マゼンタは執事の逸らした顔をのぞき込む。
「なっ」
「今は……おじさまの事を知りたいかも……。」
「ははは……。」
「さ、飲んで」
執事はマゼンタに促されて執事は杯を傾けた。飲み干した執事の焦点が合わなくなり始めていた。頭髪の後退した頭は真っ赤になっている。
マゼンタは横目でそんな執事を見ながら自分も杯を傾ける。そして大きくため息をついてうつむいた。急なマゼンタの消沈ぶりに執事が困惑する。
「……どうなされました?」
「あの人ね……きっと昔の家族の事を気にかけてるから、あたしの相手をしてくれないんだと思う。……きっと息子さんの事よね」
マゼンタが顔を上げ執事を見ると、執事は慌てて目をそらした。マゼンタは手ごたえを感じる。
「ねぇ、あの人の息子さんって、どうして亡くなったの?」
「あ、いや……それは……。」
マゼンタは執事の手を取った。
「お願い、誰にも言わないから。好きな人が、どういう人生を送ってきたのか知りたいだけなの」
「は、はあ……。」
マゼンタは執事の手を強く握る。目が少しうるんでいた。酔いの回った執事の頭は、こんなマゼンタの願いを無下にした方が気の毒であろうという結論に至った。
「……誰にも言わないと約束していただけますかな?」
「もちろん」
そう言ったものの、執事はのどに声が引っ掛かっているように、何度も語り出しそうにしてはためらい、マゼンタから目をそらしたりしてようやく話し出した。
「……あくまで聞いた話ですし、その話も噂話の域を出ないのですが……その、世間で言われているのは、ローゼス卿のご子息は自ら命を絶ってしまった……“らしい”という事でございます」
「……自殺? どうして?」
そこまで大きな声でないにもかかわらず、慌てて執事はマゼンタの声のトーンを抑えるように両手をふった。
「あくまで噂です。……ご存じのように、ローゼス卿は1級魔術師でございました。しかし、ご子息はあまり才能がなかったと申しますか、まぁお父上が類まれな方だったということだったということなのですが、幾度も等級試験を受けて、30近くにしてようやく受かったのが7級だったと……。」
マゼンタはバン爺の腕にある、白い腕輪を思い出していた。
「1級のお父上をお持ちだというのに、自身が7級で限界だという事実がよほどショックであられたのでしょう、等級を受けてしばらくして……ローゼス卿のご子息は川に身を投げられてしまったのです……。」
「本当に? だって、事故で川に落ちたのかもしれないよ?」
「川辺に、脱ぎ捨てられたご子息の上着と靴が残されておりました。それに……。」
「それに?」
「川に身を投げる前に、自室にあった魔導書の類に火をつけて燃やしていたという……。」
「……そりゃあ」
身辺整理だな、とマゼンタは言いかけた。
「……それ以来、ローゼス卿は王室勤めを休むようになりまして……。とうとう最後には1級魔術師としての職をお辞めになられたのです……。」
「……そう、なんだ」
「人格者として名高いローゼス卿のことです、きっとご子息に厳しい言葉をかけたわけではないのでしょう。しかし、やはり偉大な親を持つと、子は苦労するものなのでございましょうな……。世間の目というものもございますし……。」
酩酊していた雰囲気は今ではしらふになっていた。マゼンタは残った杯の酒を飲み干した。執事の杯にまた注ごうとしたが、執事は「結構です」と、杯の上に手を当てた。
「……ありがとう」
マゼンタは立ち上がり部屋を後にする。
「くれぐれもこの話はご内密に……。」
マゼンタはふり返った。
「大丈夫、すごく酔ってるから明日の朝には忘れるよ。……あなたもでしょ?」