ちょうどその頃、マゼンタは村に到着していた。
急いで山奥での出来事を伝えようと焦っていたマゼンタだったが、遠巻きに見て村の人々の様子がおかしいことに気づいた。灰色の髪の男が村人やマゼンタの家族と談笑をしていたのだ。よそ者を嫌う土地で、あんなにも歓迎されている人間がいるのは奇妙なことだった。
マゼンタは、自分がいない間にこの村の人間と仲良くなった誰かなのだろうかと思った。何よりそれ以上に、シアンがあれだけ山で暴れていたというのに、なぜ彼らはこんなに落ち着いていられるのだろうか。
マゼンタに気づいたマゼンタの姉が言う。
「あらマゼンタ、ちょうど良かった。お客様よ?」
マゼンタの姉は頬を赤らめていた。
──お姉ちゃんがあんな顔するなんて……?
「……客? あたしに?」
灰色の髪の男はマゼンタを見ると、目を輝かせて近づいてきた。とても朗らかな笑顔をする男だった。悪意がなさ過ぎてむしろ邪悪に見えるような、屈託のない笑顔だった。
「おねえさんがマゼンタ? 自分、アッシュ言います」
「……アッシュ?」
アッシュは手を差し出した。
「よろしゅう頼んます」
マゼンタも手を差し出す。アッシュはマゼンタの手を握ると、強引に自分に引き寄せた。
「あ」
マゼンタとアッシュの顔が近づく。端整なアッシュの顔に、一瞬でマゼンタは心を奪われた。
「あ、あの……。」
「可愛らしゅうおますなぁ……。」
心を奪われたとはいえ、まったくの面識のない男だった。マゼンタは家族に「この人は誰?」と訊ねようと、アッシュ越しに家族を見る。なぜか、マゼンタの家族たちは不自然な笑顔を浮かべていた。父親に至っては、少し痙攣しているようだった。
アッシュがマゼンタの耳元に唇を近づけて囁く。
「シアンくんは……どこでっか?」
「!?」
光を失いかけていた瞳に力が戻り、マゼンタは手をふりほどきアッシュから体を離した。
「……あんた何者?」
アッシュが興味深そうにマゼンタを見る。その瞳の奥は、相変わらず夜空の一番星のように輝いていた。
「へぇ、軽いねぇちゃんかと思うたら、意外と芯の強い人なんやねぇ」
「ねぇ、お姉ちゃん、この人だれ!?」
しかし、そう問いかけるも彼女の家族は変わらず笑顔のままだった。笑顔によって体を拘束されているようだった。
「……あんた、あたしの家族に何したの?」
アッシュは顔を左手で覆って笑う。少しづつ、朗らかな笑顔に闇が浮かび始めた。
「けったいなこと言いはりますなぁ、俺は皆さんと仲ようしたいだけでっせ?」
「仲良くですってっ?」
「……どうしたんじゃ?」
そこへ、シアンをおぶったバン爺が戻ってきた。
「……おや?」
アッシュに視線をやるバン爺。マゼンタは来ないようにバン爺に声をかけようとするが、アッシュが耳元で「黙りなはれ」と囁くと、マゼンタはしゃっくりをしたように言葉を飲み込んだ。
「……何じゃ、その人は? お前さんの知り合いかね?」
アッシュは両手を広げバン爺に近づいていく。
「ええ、そうですぅ。この村の人たちと仲良ぉさせてもらってるアッシュいいますねん」
「……アッシュ」
バン爺はマゼンタを見る。マゼンタは無表情でその場から動かない。その後ろの彼女の家族は、不自然な笑顔でこちらを見ていた。
「おじいちゃんとも、是非ともお近づきになりたいですねぇ」
アッシュは手を差し出した。
バン爺は首を傾げると、おぶっていたシアンを地面に丁寧に寝かし握手に応じようと手を差し出した。袖からのぞく、バン爺の手首にある白い腕輪を見てアッシュがほくそ笑む。
交わされる握手。バン爺の危険を察したマゼンタは、なんとか動こうとするが体が言うことをきかない。
しばらくバン爺とアッシュは握手をしたまま動かなかった。笑顔は固まり、筋肉は硬直している。
不自然なまでに長い握手、先に口を開いたのはアッシュだった。
「……なかなか、老獪なオドを持ってはりますねぇ、おじいちゃん」
バン爺が眼光鋭く笑う。
「お前さん、魔術師じゃな」
「……ええ、同業者ですぅ」
笑い合うふたり。しかし、アッシュの額からは汗が流れていた。
「……どうしたね? 計算違いでも起きたかね?」
相変わらずバン爺は笑顔だったが、アッシュの顔からは笑顔が消えた。
「……あんたぁ」
バン爺はマゼンタやその家族、そして村人たちを見る。
「お前さんの目的は何となく察したよ。じゃが、ここじゃとちぃと面倒じゃ。場所を変えんか?」
汗の流れるアッシュの顔に笑顔が戻る。
「おやおや、休憩の申し出でっか、おじいちゃん? 俺はここでもかまいませんがねぇ?」
「調子乗んなやクソガキ」
小さい老人のつぶやき、しかし突然のバン爺の剣幕にアッシュは小さく身を引いた。
「ここでお前さんの内臓を四方に散らす訳にはいかんじゃろが」
アッシュはバン爺から手を離した。手がしびれているらしく、握手をしていた手をもう片方の手でさすっていた。
「面白い事言いなはりますねぇ……。」
劣勢を認められず、アッシュは何とか笑顔をつくる。
「……ついて来い」
そう言うと、バン爺は森の方へと向かった。アッシュもその後に続いていく。
「バン爺!」
アッシュの謎の拘束から解かれたマゼンタが叫んだ。
「安心せぇ、ちぃとこのあんちゃんと話すだけじゃて」
バン爺は振り向いて言った。
「すぐに戻りますわぁ。そん時はじっくり可愛がってやるさかい、待っとってやぁ」
アッシュも振り向いて手を振った。
バン爺とアッシュは森に入っていった。
森に入り、辛うじて月明りの指すけもの道を歩くふたり。しばらくしてからアッシュが口を開いた。
「……驚きましたわぁ。7級聞きましたから、てっきり楽なお仕事やと思うたんですけどねぇ」
夜道の先を行くバン爺が、背中を向けたままで言う。
「……お前さん、オールドブラッドかね?」
アッシュの足音のリズムがほんの少し崩れた。
「……さいです。よぉ分かりましたねぇ」
バン爺が小さな笑い声をあげた。
「さっき村の人たちに使うたのは、テンプテーションじゃろう? あの術式は修練で覚えられる代物じゃないからのう。生まれついての才能……いや、血の特性が必要なはずじゃ」
「……流石、7級といえど王都の魔術師ですねぇ、よぉお勉強してはりますわ」
「それだけが取り柄じゃったからのう……。」
バン爺がふり向きアッシュを見る。
「お前さん、見た所、独学のようじゃの?」
アッシュが笑う。
「俺、嫌ですねん。自分よりアホな奴に教え乞うのが」
バン爺はからからと笑った。
「若いのう」
「……ところで、何でおじいちゃん裸足ですの?」
バン爺は照れくさそうに笑った。
「急いで出てきて、靴を履くのを忘れとったんじゃ」
「あわてんぼうのおじいちゃんやなぁ」
森を抜けると、ふたりは開けた草原に出た。空からの満月の明りで、その草原の周囲は十分に見わたせた。
「……ここなら良いじゃろ……むぐぅ!?」
バン爺が振り向くや否や、アッシュはバン爺の顔面を左手でわしづかみにした。
急いで山奥での出来事を伝えようと焦っていたマゼンタだったが、遠巻きに見て村の人々の様子がおかしいことに気づいた。灰色の髪の男が村人やマゼンタの家族と談笑をしていたのだ。よそ者を嫌う土地で、あんなにも歓迎されている人間がいるのは奇妙なことだった。
マゼンタは、自分がいない間にこの村の人間と仲良くなった誰かなのだろうかと思った。何よりそれ以上に、シアンがあれだけ山で暴れていたというのに、なぜ彼らはこんなに落ち着いていられるのだろうか。
マゼンタに気づいたマゼンタの姉が言う。
「あらマゼンタ、ちょうど良かった。お客様よ?」
マゼンタの姉は頬を赤らめていた。
──お姉ちゃんがあんな顔するなんて……?
「……客? あたしに?」
灰色の髪の男はマゼンタを見ると、目を輝かせて近づいてきた。とても朗らかな笑顔をする男だった。悪意がなさ過ぎてむしろ邪悪に見えるような、屈託のない笑顔だった。
「おねえさんがマゼンタ? 自分、アッシュ言います」
「……アッシュ?」
アッシュは手を差し出した。
「よろしゅう頼んます」
マゼンタも手を差し出す。アッシュはマゼンタの手を握ると、強引に自分に引き寄せた。
「あ」
マゼンタとアッシュの顔が近づく。端整なアッシュの顔に、一瞬でマゼンタは心を奪われた。
「あ、あの……。」
「可愛らしゅうおますなぁ……。」
心を奪われたとはいえ、まったくの面識のない男だった。マゼンタは家族に「この人は誰?」と訊ねようと、アッシュ越しに家族を見る。なぜか、マゼンタの家族たちは不自然な笑顔を浮かべていた。父親に至っては、少し痙攣しているようだった。
アッシュがマゼンタの耳元に唇を近づけて囁く。
「シアンくんは……どこでっか?」
「!?」
光を失いかけていた瞳に力が戻り、マゼンタは手をふりほどきアッシュから体を離した。
「……あんた何者?」
アッシュが興味深そうにマゼンタを見る。その瞳の奥は、相変わらず夜空の一番星のように輝いていた。
「へぇ、軽いねぇちゃんかと思うたら、意外と芯の強い人なんやねぇ」
「ねぇ、お姉ちゃん、この人だれ!?」
しかし、そう問いかけるも彼女の家族は変わらず笑顔のままだった。笑顔によって体を拘束されているようだった。
「……あんた、あたしの家族に何したの?」
アッシュは顔を左手で覆って笑う。少しづつ、朗らかな笑顔に闇が浮かび始めた。
「けったいなこと言いはりますなぁ、俺は皆さんと仲ようしたいだけでっせ?」
「仲良くですってっ?」
「……どうしたんじゃ?」
そこへ、シアンをおぶったバン爺が戻ってきた。
「……おや?」
アッシュに視線をやるバン爺。マゼンタは来ないようにバン爺に声をかけようとするが、アッシュが耳元で「黙りなはれ」と囁くと、マゼンタはしゃっくりをしたように言葉を飲み込んだ。
「……何じゃ、その人は? お前さんの知り合いかね?」
アッシュは両手を広げバン爺に近づいていく。
「ええ、そうですぅ。この村の人たちと仲良ぉさせてもらってるアッシュいいますねん」
「……アッシュ」
バン爺はマゼンタを見る。マゼンタは無表情でその場から動かない。その後ろの彼女の家族は、不自然な笑顔でこちらを見ていた。
「おじいちゃんとも、是非ともお近づきになりたいですねぇ」
アッシュは手を差し出した。
バン爺は首を傾げると、おぶっていたシアンを地面に丁寧に寝かし握手に応じようと手を差し出した。袖からのぞく、バン爺の手首にある白い腕輪を見てアッシュがほくそ笑む。
交わされる握手。バン爺の危険を察したマゼンタは、なんとか動こうとするが体が言うことをきかない。
しばらくバン爺とアッシュは握手をしたまま動かなかった。笑顔は固まり、筋肉は硬直している。
不自然なまでに長い握手、先に口を開いたのはアッシュだった。
「……なかなか、老獪なオドを持ってはりますねぇ、おじいちゃん」
バン爺が眼光鋭く笑う。
「お前さん、魔術師じゃな」
「……ええ、同業者ですぅ」
笑い合うふたり。しかし、アッシュの額からは汗が流れていた。
「……どうしたね? 計算違いでも起きたかね?」
相変わらずバン爺は笑顔だったが、アッシュの顔からは笑顔が消えた。
「……あんたぁ」
バン爺はマゼンタやその家族、そして村人たちを見る。
「お前さんの目的は何となく察したよ。じゃが、ここじゃとちぃと面倒じゃ。場所を変えんか?」
汗の流れるアッシュの顔に笑顔が戻る。
「おやおや、休憩の申し出でっか、おじいちゃん? 俺はここでもかまいませんがねぇ?」
「調子乗んなやクソガキ」
小さい老人のつぶやき、しかし突然のバン爺の剣幕にアッシュは小さく身を引いた。
「ここでお前さんの内臓を四方に散らす訳にはいかんじゃろが」
アッシュはバン爺から手を離した。手がしびれているらしく、握手をしていた手をもう片方の手でさすっていた。
「面白い事言いなはりますねぇ……。」
劣勢を認められず、アッシュは何とか笑顔をつくる。
「……ついて来い」
そう言うと、バン爺は森の方へと向かった。アッシュもその後に続いていく。
「バン爺!」
アッシュの謎の拘束から解かれたマゼンタが叫んだ。
「安心せぇ、ちぃとこのあんちゃんと話すだけじゃて」
バン爺は振り向いて言った。
「すぐに戻りますわぁ。そん時はじっくり可愛がってやるさかい、待っとってやぁ」
アッシュも振り向いて手を振った。
バン爺とアッシュは森に入っていった。
森に入り、辛うじて月明りの指すけもの道を歩くふたり。しばらくしてからアッシュが口を開いた。
「……驚きましたわぁ。7級聞きましたから、てっきり楽なお仕事やと思うたんですけどねぇ」
夜道の先を行くバン爺が、背中を向けたままで言う。
「……お前さん、オールドブラッドかね?」
アッシュの足音のリズムがほんの少し崩れた。
「……さいです。よぉ分かりましたねぇ」
バン爺が小さな笑い声をあげた。
「さっき村の人たちに使うたのは、テンプテーションじゃろう? あの術式は修練で覚えられる代物じゃないからのう。生まれついての才能……いや、血の特性が必要なはずじゃ」
「……流石、7級といえど王都の魔術師ですねぇ、よぉお勉強してはりますわ」
「それだけが取り柄じゃったからのう……。」
バン爺がふり向きアッシュを見る。
「お前さん、見た所、独学のようじゃの?」
アッシュが笑う。
「俺、嫌ですねん。自分よりアホな奴に教え乞うのが」
バン爺はからからと笑った。
「若いのう」
「……ところで、何でおじいちゃん裸足ですの?」
バン爺は照れくさそうに笑った。
「急いで出てきて、靴を履くのを忘れとったんじゃ」
「あわてんぼうのおじいちゃんやなぁ」
森を抜けると、ふたりは開けた草原に出た。空からの満月の明りで、その草原の周囲は十分に見わたせた。
「……ここなら良いじゃろ……むぐぅ!?」
バン爺が振り向くや否や、アッシュはバン爺の顔面を左手でわしづかみにした。