翌朝、バン爺は旅立つ準備を始めていた。
 起きてきたマゼンタが言う。

「あれ、バン爺どうしたの? こんなに朝早くから?」
「昨晩に言うたじゃろ、当てがないわけじゃないと。そこにこれから行くんじゃ」
「そこって……どこさ?」
「ダリア伯の領地じゃ」
「そこって……。」
「まぁ、けっこう遠いのう。長旅になるぞい」
「そこなら、シアンくんの事も……何とかなるの?」
「……知り合いに事情を話して助けてもらおうと思っての」
「知り合い……。」

 そうこう話していると、シアンも起きてきた。

「あら、シアンくん、おはよう」
「……おはよう」
 寝ぼけた様子でシアンは言った。
「顔を洗ってきなよ。すぐに出発するから」
「……出発?」
「そ。……でも、シアンくんの希望を確認しとかないとね。ねぇシアンくん、もしお父さんの所に帰りたくないなら、あたし達と一緒に来ない? そこなら、シアンくんも違う人生を歩めるかもしれないよ?」
「……違う……人生」
「うん。少なくとも、今とは違うってことだけど」

 シアンは手の指をもぞもぞ動かして、マゼンタから目をそらす。

「……どうしたの?」
「でも、お父さんが……。」
「お父さんのいない所に行くんだよ? 気にしなくて大丈夫だよ」
「でも……。」
「のう、坊や。お前さんはどうしたいんじゃ?」
「……ぼくが?」
「そうじゃ。誰かの意見や望みじゃない、自分自身の心は何と言っとる?」
「ぼくは……。」
「……ワシらは準備を続ける。ワシらが出るときに、一緒に行きたかったら黙ってついてきたらええ。そうでないなら、このままここにとどまりなさい」

 シアンは何も答えず、うなずきもしなかった。

 バン爺はマゼンタに言う。
「さ、お前さんも準備をしなさい。あと、シアンの前でその恰好(かっこう)やめんか」

 昨晩と同じく、マゼンタは下着姿だった。

「……気になる? シアンくん?」

 うつむいてるシアンの耳が赤くなっていた。

「12歳でも異性の事は分かる年齢じゃ。みょうな性癖が芽生(めば)えたらどうする」
「年上のおねえさんが好みになっちゃうとか?」
露出癖(ろしゅつへき)のある女が好きになるかものう」
「それはまずいね」

 マゼンタは奥の部屋に消えていった。

「まったく、悪い娘じゃないんじゃがのう……。」

 バン爺とマゼンタが旅の支度を終えた。食料は、前日に村人から贈られたものが十二分にあった。

「さて、行くかのう」

 バン爺はリュックを背負い外に出た。マゼンタは部屋の(すみ)から動こうとしないシアンを見る。

「……シアンくん」
「こればっかりは坊やの意思じゃ。ワシらが強制することじゃない。それにそそのかすことでもな」
「……分かってるよ」

 バン爺とマゼンタは家を出た。もしかしたら着いてこないかも、そう思っていたふたりだったが、すぐにシアンはふたりを追いかけてきた。
 自分に並んで歩くシアンを見てマゼンタは言う。

「……シアンくん」
「決まりじゃな。……ワシらも気を引きしめるぞい。こうなったらもうワシらの責任じゃ。無事にこの子をダリア伯の所まで届けんとのう」
「もちろんさ」

 マゼンタは、手を握ろうとシアンに右手を差し出した。しかし、小さく首をふってシアンはこれを断った。マゼンタは、シアンがまだ自分に心を開いていないのだと思ったが、その本当の意味をまだ知らなかった。