この空間は時間や日付の感覚は無いが、ある程度の時が経つとまるで「夜ですよー」と言わん限りに薄暗くなる。
そうなると皆は「そろそろ寝るか」と横になるのだ。布団やベッドなどは無いので床に寝るのだが、固さなどは感じず、適度にひんやりとしていて気持ちが良い。
割烹着を外した謙太と知朗は、テーブルにもたれ足を伸ばして座り込む。暗くなり床に横たわると不思議と眠気が訪れるのだが、ふたりはまだ眠る気になれなかった。
寝酒では無いが謙太はブルドッグを作り、知朗はブランデーのロックを用意した。
「俺、ますますこの世界が疑問なんだけどよ」
「僕もや。サヨさんもどういう人なんかも気になるやんねぇ。生きてはおらん人なんやろうけど、ほら、今日なんかはツルさんとアリスちゃんが一緒にいたのに、まるで無視やったよねぇ」
「ふたりは気にして無かったみてぇだけどな」
「それも気になる。起きたらツルさんに聞いてみようかぁ。1番の古株って言ってたし何か知ってるかも知れへん」
「そうだな。俺らはこの世界のことを知らなさ過ぎだ。心残りのある人が、成仏した後に留まる空間だって聞いたが、飲み物だけを作るってのも意味不明だし、何より、肝心の理由ってのを解消する手段が無ぇってのも訳が分からねぇ。ならこの部屋の意味はなんなんだ」
「そうやんねぇ。最初の日にお婆ちゃんがモスコミュールで成仏、と言うか次に進めたんはたまたまやんねぇ。お婆ちゃんが望んでいたのが飲み物で、ここで出せるのが飲み物だったってだけやったんやと思う。今日アリスちゃんの心残りを教えてもらったけど、それに必要なもんはここに無いし、それを欲しいってサヨさんに言ったらすごく戸惑われてしもた。やったらやっぱり心残りを無くす目的が無いってことやんねぇ」
「多分な」
「情報が少な過ぎるねぇ。明日またサヨさん来るやろうし聞いてみる?」
知朗は眉根を寄せて、考えたのちに口を開く。
「いや、それは止めとこう。サヨさんはこっちの人だ。下手に刺激しねぇ方が良いと思う」
「そっか、それはそうやね。まずはツルさんやね」
「おう。俺らがいつまでこのお役目ってもんをやるのかは判らねぇが、そう慌てることは無ぇだろ。それに万が一があって、他の人を巻き込んだりする方が怖ぇ。ここは慎重に行こうぜ」
「そうやね」
「じゃあそろそろ寝るか。飲み終わったか?」
「もう少し〜」
謙太はコリンズグラスに少しだけ残っていたブルドッグを一気に飲み干す。知朗が氷だけのロックグラスを揺らしたのか、からんと透明感のある音が響いた。
立ち上がったふたりはシステムキッチンの箱にグラスを入れ、その近くに横になった。
「おやすみぃ」
「おやすみ」
そうして目を閉じると、あっという間に意識は途絶えた。
空間が明るくなると、皆が続々と目を覚ます。さっそく飲み物を頼まれるので、謙太と知朗はテーブルに立つ。起き抜けとは思えない様なアルコールの注文も入る。
こうして混雑するのはこの時だけで、謙太と知朗は忙しなく動いた。
ひと段落して謙太たちは自分用の飲み物を用意する。謙太がコーラ、知朗がアイスコーヒーを入れている時サヨさんが現れた。
「あれぇ、こんな早くに珍しいですねぇ」
謙太が言うとサヨさんは深く頭を下げ、緩やかに口角を上げた。
「一刻も早くお伝えしたいと思いまして。昨日仰っておりましたケーキなのですが」
「はい」
「ケーキそのものをお持ちすることはできないのですが、お作りするための材料でしたらご用意できます」
「ほんまですか!」
謙太が声を上げると、サヨさんは嬉しそうに「はい」と頷いた。
「ですが、私は必要な材料が分かりません。恐れ入りますがこちらに」
サヨさんが着物の袂を探り、紙片と鉛筆を取り出した。
「材料をお書きいただけませんでしょうか。本日中にはご用意できるかと思います」
「助かります〜」
謙太が紙片と鉛筆を受け取ると、知朗が「おい」と微かに顔をしかめる。
「作るって、作れんのかよ」
「作れるでぇ。これでも伊達に甘党や無いもんね」
甘党であることと甘いものを作れることはイコールでは無いが、謙太は生前自分で作ることも多々あった。
謙太と知朗が暮らしていた部屋には小さなキッチンしか無かったが、オーブンがあればどうにでもなるのだ。
電子レンジを兼ねたそれを使って、謙太は時々クッキーなどの手軽なものを焼いていた。
実家に帰った時には、果物たっぷりのロールケーキなどを作って、家族に喜ばれたものだ。家族揃って甘党なのである。
謙太は紙片に卵やグラニュー糖などの材料と、個数などを書き込んで行く。終えたらそれをサヨさんに返した。サヨさんは紙片を見て「はい、承りました」と目を伏せた。
「ではまた後ほどお目に掛かります」
そう言って深くお辞儀したサヨさんは扉から出て行った。それを見送った謙太と知朗は顔を見合わせ頷き合うと、テーブルの端で、用意したばかりの大吟醸を美味しそうに傾けているツルさんの元へと向かう。
「なぁツルさん、知ってたら教えて欲しいんだけどさ」
「ん、なんじゃ?」
「この空間のことなんですけど」
「うん?」
「何が目的で作られたのか知ってはります?」
謙太の問いにツルさんは「うむ……」と眉をひそめる。
「わしもそうは知らんのじゃ。ここにいる人は皆心残りがあって転生の流れに行けん、それぐらいかのう。わしはもうそれがなんじゃったか忘れてしまうぐらいここにおるが、知る機会も無いしのう」
ツルさんは言って弱り切った顔を見せる。
「済まんのう」
「ううん、僕らこそごめんなさい。そうやんねぇ、一応お役目って言われてる僕らが聞かされてへんねんから、普通の人たちに知らせたりとかって無いですよねぇ」
「そうじゃと思うのう。一体どうしたんじゃ? 何か気になることでもあるのかの?」
「いいや、ふと思ったからさ」
知朗は何気なさを装って首を振った。気になることなんて盛り沢山である。しかしそれをツルさんに言っても、心配を掛けてしまうだけだと思ったのでごまかした。
「そうか。おお、酒がもう無くなってしもうたわ。済まんがお代わりをもらえるかの」
「はぁい。大吟醸ですね〜」
謙太がテーブルで切り子グラスを用意し、ツルさんは使い終わったグラスを箱に放り込んだ。
収穫はまるで無かったが、予想していたことではあった。仕方が無い、様子を見てサヨさんに聞いてみることも視野に入れなければと思った。
そうなると皆は「そろそろ寝るか」と横になるのだ。布団やベッドなどは無いので床に寝るのだが、固さなどは感じず、適度にひんやりとしていて気持ちが良い。
割烹着を外した謙太と知朗は、テーブルにもたれ足を伸ばして座り込む。暗くなり床に横たわると不思議と眠気が訪れるのだが、ふたりはまだ眠る気になれなかった。
寝酒では無いが謙太はブルドッグを作り、知朗はブランデーのロックを用意した。
「俺、ますますこの世界が疑問なんだけどよ」
「僕もや。サヨさんもどういう人なんかも気になるやんねぇ。生きてはおらん人なんやろうけど、ほら、今日なんかはツルさんとアリスちゃんが一緒にいたのに、まるで無視やったよねぇ」
「ふたりは気にして無かったみてぇだけどな」
「それも気になる。起きたらツルさんに聞いてみようかぁ。1番の古株って言ってたし何か知ってるかも知れへん」
「そうだな。俺らはこの世界のことを知らなさ過ぎだ。心残りのある人が、成仏した後に留まる空間だって聞いたが、飲み物だけを作るってのも意味不明だし、何より、肝心の理由ってのを解消する手段が無ぇってのも訳が分からねぇ。ならこの部屋の意味はなんなんだ」
「そうやんねぇ。最初の日にお婆ちゃんがモスコミュールで成仏、と言うか次に進めたんはたまたまやんねぇ。お婆ちゃんが望んでいたのが飲み物で、ここで出せるのが飲み物だったってだけやったんやと思う。今日アリスちゃんの心残りを教えてもらったけど、それに必要なもんはここに無いし、それを欲しいってサヨさんに言ったらすごく戸惑われてしもた。やったらやっぱり心残りを無くす目的が無いってことやんねぇ」
「多分な」
「情報が少な過ぎるねぇ。明日またサヨさん来るやろうし聞いてみる?」
知朗は眉根を寄せて、考えたのちに口を開く。
「いや、それは止めとこう。サヨさんはこっちの人だ。下手に刺激しねぇ方が良いと思う」
「そっか、それはそうやね。まずはツルさんやね」
「おう。俺らがいつまでこのお役目ってもんをやるのかは判らねぇが、そう慌てることは無ぇだろ。それに万が一があって、他の人を巻き込んだりする方が怖ぇ。ここは慎重に行こうぜ」
「そうやね」
「じゃあそろそろ寝るか。飲み終わったか?」
「もう少し〜」
謙太はコリンズグラスに少しだけ残っていたブルドッグを一気に飲み干す。知朗が氷だけのロックグラスを揺らしたのか、からんと透明感のある音が響いた。
立ち上がったふたりはシステムキッチンの箱にグラスを入れ、その近くに横になった。
「おやすみぃ」
「おやすみ」
そうして目を閉じると、あっという間に意識は途絶えた。
空間が明るくなると、皆が続々と目を覚ます。さっそく飲み物を頼まれるので、謙太と知朗はテーブルに立つ。起き抜けとは思えない様なアルコールの注文も入る。
こうして混雑するのはこの時だけで、謙太と知朗は忙しなく動いた。
ひと段落して謙太たちは自分用の飲み物を用意する。謙太がコーラ、知朗がアイスコーヒーを入れている時サヨさんが現れた。
「あれぇ、こんな早くに珍しいですねぇ」
謙太が言うとサヨさんは深く頭を下げ、緩やかに口角を上げた。
「一刻も早くお伝えしたいと思いまして。昨日仰っておりましたケーキなのですが」
「はい」
「ケーキそのものをお持ちすることはできないのですが、お作りするための材料でしたらご用意できます」
「ほんまですか!」
謙太が声を上げると、サヨさんは嬉しそうに「はい」と頷いた。
「ですが、私は必要な材料が分かりません。恐れ入りますがこちらに」
サヨさんが着物の袂を探り、紙片と鉛筆を取り出した。
「材料をお書きいただけませんでしょうか。本日中にはご用意できるかと思います」
「助かります〜」
謙太が紙片と鉛筆を受け取ると、知朗が「おい」と微かに顔をしかめる。
「作るって、作れんのかよ」
「作れるでぇ。これでも伊達に甘党や無いもんね」
甘党であることと甘いものを作れることはイコールでは無いが、謙太は生前自分で作ることも多々あった。
謙太と知朗が暮らしていた部屋には小さなキッチンしか無かったが、オーブンがあればどうにでもなるのだ。
電子レンジを兼ねたそれを使って、謙太は時々クッキーなどの手軽なものを焼いていた。
実家に帰った時には、果物たっぷりのロールケーキなどを作って、家族に喜ばれたものだ。家族揃って甘党なのである。
謙太は紙片に卵やグラニュー糖などの材料と、個数などを書き込んで行く。終えたらそれをサヨさんに返した。サヨさんは紙片を見て「はい、承りました」と目を伏せた。
「ではまた後ほどお目に掛かります」
そう言って深くお辞儀したサヨさんは扉から出て行った。それを見送った謙太と知朗は顔を見合わせ頷き合うと、テーブルの端で、用意したばかりの大吟醸を美味しそうに傾けているツルさんの元へと向かう。
「なぁツルさん、知ってたら教えて欲しいんだけどさ」
「ん、なんじゃ?」
「この空間のことなんですけど」
「うん?」
「何が目的で作られたのか知ってはります?」
謙太の問いにツルさんは「うむ……」と眉をひそめる。
「わしもそうは知らんのじゃ。ここにいる人は皆心残りがあって転生の流れに行けん、それぐらいかのう。わしはもうそれがなんじゃったか忘れてしまうぐらいここにおるが、知る機会も無いしのう」
ツルさんは言って弱り切った顔を見せる。
「済まんのう」
「ううん、僕らこそごめんなさい。そうやんねぇ、一応お役目って言われてる僕らが聞かされてへんねんから、普通の人たちに知らせたりとかって無いですよねぇ」
「そうじゃと思うのう。一体どうしたんじゃ? 何か気になることでもあるのかの?」
「いいや、ふと思ったからさ」
知朗は何気なさを装って首を振った。気になることなんて盛り沢山である。しかしそれをツルさんに言っても、心配を掛けてしまうだけだと思ったのでごまかした。
「そうか。おお、酒がもう無くなってしもうたわ。済まんがお代わりをもらえるかの」
「はぁい。大吟醸ですね〜」
謙太がテーブルで切り子グラスを用意し、ツルさんは使い終わったグラスを箱に放り込んだ。
収穫はまるで無かったが、予想していたことではあった。仕方が無い、様子を見てサヨさんに聞いてみることも視野に入れなければと思った。