夜が明けた。
昨日ふんわりと色良く焼き上がったスポンジケーキは型から外し、網の上に乗せて冷ましておいた。
焼き上がりの時には上部が緩やかな山形に膨らんでいたが、逆さにして置いていたので、平らに落ち着いていた。
起き抜けの怒涛のドリンクラッシュが落ち着いたころ、謙太と知朗が目立たない部分を小さくカットして、味見のためにぱくり。
「ん、美味しくできたぁ」
「本当だな。美味い」
それを横に3等分にスライスして、水とグラニュー糖とラム酒で作ったシロップを断面や側面に塗り、1番下の層を回転台に乗せたら、上に程よく泡立てた生クリームをこんもりと乗せる。
パレットナイフで均一に均したら、厚めにスライスしたいちごをクリームに軽く埋める様に乗せて行き、いちごを隠す様に生クリームを均したら、2層目のスポンジを乗せる。
その上にも同じく生クリームといちごを乗せて、蓋をする様に3層目、一番上のスポンジを乗せた。
生クリームをたっぷりと乗せて、回転台の動きを使いながらパレットナイフで全面を滑らかに塗って行く。
そうしてすっかりとスポンジが隠れたら、次はデコレーションだ。謙太はパティシエでは無いので、そう凝ったことはできない。失敗しないことが第一だ。
絞り袋に少し固めに泡立てた生クリームを入れて、まずは縁を囲う様に絞り出す。垂直に丸く絞り出すだけのシンプルな絞り方だ。
綺麗に1周デコレーションしたら、今度は十字にデコレーション。そうして4つできた内側に、へたを取ったいちごをぎっしりと敷き詰めて行く。
その真っ赤に熟れたいちごに、茶こしを使って粉糖をはらはらと振り掛けたら、いちごのショートケーキの完成だ。
「すごーい! 謙太お兄ちゃんすごーい!」
謙太のデコレーションを、わくわくと楽しそうな表情で見つめていたアリスちゃんが歓声を上げた。
その横では太郎くんも目を輝かせている。少しずつではあるが、子どもらしい感情が沸いて来ているのだろう。良い傾向だ。
謙太は使い終わった器具を箱に入れて、新たにナイフを出すとケーキを切り分ける。直径15センチのホールケーキ。絞り出した十字の生クリームの線に沿って4当分にし、皿に移してデザートフォークを添えた。
「はいアリスちゃん、お待たせしましたぁ。お誕生日おめでとう!」
謙太がアリスちゃんにケーキの皿を渡すと、アリスちゃんは「ありがとう!」と満面の笑みで受け取る。そして「太郎くんにもあげてね!」と言ってくれた。約束していたとは言え本当に優しい子だ。
「ありがとう。太郎くん待っとってねぇ」
新しい皿を出してカットしたケーキを乗せ、フォークを添えて太郎くんに差し出す。
「はい太郎くん、どうぞぉ」
すると太郎くんは、それまで輝かせていた目を不安げに揺らした。生前こうして何かを与えてもらったことが、ほとんど無かったのかも知れない。本当にもらっていいのかな、もしかしたらそんなことを考えているのだろうか。
「これはアリスちゃんが太郎くんにも食べてもらいたい、って用意したものだよ。太郎くんのだよ」
「うん! 太郎くん、一緒に食べよ!」
アリスちゃんがにこにこ笑って言う。すると太郎くんは、かすかに震える手を出しておずおずとケーキの皿を受け取った。アリスちゃんを見て謙太を見て、ゆっくりと口を開いた。
「……良いの?」
ぽつりとしたその問い掛けに謙太とアリスちゃんは「うん!」と破顔する。すると太郎くんの頬が嬉しそうにほのかに赤く染まった。
「ありがとう……」
太郎くんは小さな声で言うと、アリスちゃんに続いてフォークを取った。アリスちゃんがケーキをすくって大口に入れるのを見届けてから、自分もケーキをちょこっとすくう。
「美味しーい! 謙太お兄ちゃんすっごく美味しい!」
アリスちゃんが今までで一番嬉しそうな声を上げる。
「アリスがいちばん好きだったケーキ屋さんのケーキよりおいしい! いちごもたっぷり入っててすっごくすっごく豪華だね!」
「喜んでくれて良かったわぁ」
どうやらアリスちゃんの口に合った様である。アリスちゃんのために作ったのだから、それはとても喜ばしいことだ。太郎くんはどうだろうか。
「太郎どうだ。美味いか?」
知朗が聞くと、太郎くんはちびちびと食べていた手を止めて、小さくこくんと頷いた。
「……美味しい」
「そうか。じゃんじゃん食えよ」
知朗は笑って言いながら、太郎くんの頭をくしゃりと撫でた。
太郎くんはまた黙々とケーキを口に運ぶ。その口角がかすかに上がっているので、気に入ってくれたのだと思いたい。
行儀良くももりもりと食べていたアリスちゃんの皿が先に空く。アリスちゃんは満足げに「はぁ〜」と笑顔のまま息を吐いた。
「おいしかった! 謙太お兄ちゃんありがとう。ごちそうさまでした!」
「まだあるでぇ。食べる?」
「ううん、もうお腹いっぱい。それにもう次っていうのかな、行くことになったみたいだから」
アリスがテーブルに皿を置くと、きらっと輝くものが浮遊する。それはアリスの身体から溢れているのだった。
「そっか、アリス満足したか」
「良かったねぇ。次生まれて来た時には車に気を付けるんやで〜」
「あはっ、そうする! ねぇ太郎くん」
太郎くんの驚いた様な視線はずっとアリスに注がれていた。次に行こうとする人を見るのは初めてなのだろう。アリスちゃんは太郎くんを安心させるためか、大人びた微笑みを見せた。
「アリスはアリスのために作ってくれた美味しいケーキを食べて、誕生日を祝ってもらえたから心残りが無くなったの。だから生まれ変わるんだ。太郎くんも言ってみたら良いよ。今まで飲み物しか飲めなかったのに、お兄ちゃんたちのお陰でケーキが食べられたんだから、他にもできることがあるかも知れないよ」
こころ、のこり。太郎くんの口がそうかすかに動く。
「謙太お兄ちゃんトモお兄ちゃん、太郎くんツルお爺ちゃん、アリス行くね。またね!」
アリスちゃんが満足げな笑顔でひらひらと両手を振った。謙太とトモは「はは」と笑う。
「多分もう会われへんって」
「そっか。あはは!」
ツルさんは「良かったのう、良かったのう」と、嬉しさで泣き出さんばかりである。
やがてきらめく粒とともに、アリスちゃんの身体がその場から消え去った。太郎くんは食べかけのケーキの皿とフォークを手に、ぼんやりとその跡を見つめていた。
昨日ふんわりと色良く焼き上がったスポンジケーキは型から外し、網の上に乗せて冷ましておいた。
焼き上がりの時には上部が緩やかな山形に膨らんでいたが、逆さにして置いていたので、平らに落ち着いていた。
起き抜けの怒涛のドリンクラッシュが落ち着いたころ、謙太と知朗が目立たない部分を小さくカットして、味見のためにぱくり。
「ん、美味しくできたぁ」
「本当だな。美味い」
それを横に3等分にスライスして、水とグラニュー糖とラム酒で作ったシロップを断面や側面に塗り、1番下の層を回転台に乗せたら、上に程よく泡立てた生クリームをこんもりと乗せる。
パレットナイフで均一に均したら、厚めにスライスしたいちごをクリームに軽く埋める様に乗せて行き、いちごを隠す様に生クリームを均したら、2層目のスポンジを乗せる。
その上にも同じく生クリームといちごを乗せて、蓋をする様に3層目、一番上のスポンジを乗せた。
生クリームをたっぷりと乗せて、回転台の動きを使いながらパレットナイフで全面を滑らかに塗って行く。
そうしてすっかりとスポンジが隠れたら、次はデコレーションだ。謙太はパティシエでは無いので、そう凝ったことはできない。失敗しないことが第一だ。
絞り袋に少し固めに泡立てた生クリームを入れて、まずは縁を囲う様に絞り出す。垂直に丸く絞り出すだけのシンプルな絞り方だ。
綺麗に1周デコレーションしたら、今度は十字にデコレーション。そうして4つできた内側に、へたを取ったいちごをぎっしりと敷き詰めて行く。
その真っ赤に熟れたいちごに、茶こしを使って粉糖をはらはらと振り掛けたら、いちごのショートケーキの完成だ。
「すごーい! 謙太お兄ちゃんすごーい!」
謙太のデコレーションを、わくわくと楽しそうな表情で見つめていたアリスちゃんが歓声を上げた。
その横では太郎くんも目を輝かせている。少しずつではあるが、子どもらしい感情が沸いて来ているのだろう。良い傾向だ。
謙太は使い終わった器具を箱に入れて、新たにナイフを出すとケーキを切り分ける。直径15センチのホールケーキ。絞り出した十字の生クリームの線に沿って4当分にし、皿に移してデザートフォークを添えた。
「はいアリスちゃん、お待たせしましたぁ。お誕生日おめでとう!」
謙太がアリスちゃんにケーキの皿を渡すと、アリスちゃんは「ありがとう!」と満面の笑みで受け取る。そして「太郎くんにもあげてね!」と言ってくれた。約束していたとは言え本当に優しい子だ。
「ありがとう。太郎くん待っとってねぇ」
新しい皿を出してカットしたケーキを乗せ、フォークを添えて太郎くんに差し出す。
「はい太郎くん、どうぞぉ」
すると太郎くんは、それまで輝かせていた目を不安げに揺らした。生前こうして何かを与えてもらったことが、ほとんど無かったのかも知れない。本当にもらっていいのかな、もしかしたらそんなことを考えているのだろうか。
「これはアリスちゃんが太郎くんにも食べてもらいたい、って用意したものだよ。太郎くんのだよ」
「うん! 太郎くん、一緒に食べよ!」
アリスちゃんがにこにこ笑って言う。すると太郎くんは、かすかに震える手を出しておずおずとケーキの皿を受け取った。アリスちゃんを見て謙太を見て、ゆっくりと口を開いた。
「……良いの?」
ぽつりとしたその問い掛けに謙太とアリスちゃんは「うん!」と破顔する。すると太郎くんの頬が嬉しそうにほのかに赤く染まった。
「ありがとう……」
太郎くんは小さな声で言うと、アリスちゃんに続いてフォークを取った。アリスちゃんがケーキをすくって大口に入れるのを見届けてから、自分もケーキをちょこっとすくう。
「美味しーい! 謙太お兄ちゃんすっごく美味しい!」
アリスちゃんが今までで一番嬉しそうな声を上げる。
「アリスがいちばん好きだったケーキ屋さんのケーキよりおいしい! いちごもたっぷり入っててすっごくすっごく豪華だね!」
「喜んでくれて良かったわぁ」
どうやらアリスちゃんの口に合った様である。アリスちゃんのために作ったのだから、それはとても喜ばしいことだ。太郎くんはどうだろうか。
「太郎どうだ。美味いか?」
知朗が聞くと、太郎くんはちびちびと食べていた手を止めて、小さくこくんと頷いた。
「……美味しい」
「そうか。じゃんじゃん食えよ」
知朗は笑って言いながら、太郎くんの頭をくしゃりと撫でた。
太郎くんはまた黙々とケーキを口に運ぶ。その口角がかすかに上がっているので、気に入ってくれたのだと思いたい。
行儀良くももりもりと食べていたアリスちゃんの皿が先に空く。アリスちゃんは満足げに「はぁ〜」と笑顔のまま息を吐いた。
「おいしかった! 謙太お兄ちゃんありがとう。ごちそうさまでした!」
「まだあるでぇ。食べる?」
「ううん、もうお腹いっぱい。それにもう次っていうのかな、行くことになったみたいだから」
アリスがテーブルに皿を置くと、きらっと輝くものが浮遊する。それはアリスの身体から溢れているのだった。
「そっか、アリス満足したか」
「良かったねぇ。次生まれて来た時には車に気を付けるんやで〜」
「あはっ、そうする! ねぇ太郎くん」
太郎くんの驚いた様な視線はずっとアリスに注がれていた。次に行こうとする人を見るのは初めてなのだろう。アリスちゃんは太郎くんを安心させるためか、大人びた微笑みを見せた。
「アリスはアリスのために作ってくれた美味しいケーキを食べて、誕生日を祝ってもらえたから心残りが無くなったの。だから生まれ変わるんだ。太郎くんも言ってみたら良いよ。今まで飲み物しか飲めなかったのに、お兄ちゃんたちのお陰でケーキが食べられたんだから、他にもできることがあるかも知れないよ」
こころ、のこり。太郎くんの口がそうかすかに動く。
「謙太お兄ちゃんトモお兄ちゃん、太郎くんツルお爺ちゃん、アリス行くね。またね!」
アリスちゃんが満足げな笑顔でひらひらと両手を振った。謙太とトモは「はは」と笑う。
「多分もう会われへんって」
「そっか。あはは!」
ツルさんは「良かったのう、良かったのう」と、嬉しさで泣き出さんばかりである。
やがてきらめく粒とともに、アリスちゃんの身体がその場から消え去った。太郎くんは食べかけのケーキの皿とフォークを手に、ぼんやりとその跡を見つめていた。