言動に少しイラっとしたが、確かに職場の上司と結婚できる、というのは、OLさんにとって出世と同じ意味なのかもしれない。特に、結婚して寿退社したい人にとっては。
 彼女の言葉に店主は、別に珍しくもないとでも言いたげな笑みを浮かべて「よかったじゃあないか。俺はちょっと残念だけどねえ」と称賛する。
 だが彼女は、なぜか表情を陰らせる。よくよく見れば、少しだけ泣きそうな目をしていた。
「……職場でもこうやって、誰かに話せていたら、よかったんですけどね」
 店主は彼女を見つめながら、「秘密の約束か」と呟く。
彼女は、いえ、と首を横に振った。
「母は知ってますよ。今年の母の日に伝えたので。でも、その……やっぱりあまりいい顔はしてくれなくて」
 違和感を覚えて、首を傾げた。
一般的に両親、特に母というものは、真っ先に喜んでくれそうなものだ。特に娘の結婚に関しては。やっぱり、と言った意味も気になった。
 無言で思考を巡らせていると、ふいに店主が私を振り返る。
「……喜ばれない理由と、花びらに隠されたものは、なんだろうねえ」と言って、ニヤリ、と歪んだ笑みを浮かべた。
 私は一度、俯くようにして彼女の言葉を反芻する。
――誰かに言えない結婚の約束。伝えても喜ばれない、反対される意味。喜ばしいはずの出来事を、素直に喜ぶ前に、不安が付きまとっている、理由(わけ)――。
 ハッと目を見開いて、店主を見上げる。彼は、しい、と口元に人差し指を立てる。
そのまま何も言わずに前を向いた。
「確かに、女性の間では話題にしたいものだよねえ。結婚なんて特にさ」
 店主の言葉に、彼女は乾いた笑いを漏らし、俯く。
 店主はいつの間にやら仮面的な笑みに戻っていた。だが、瞳は恐ろしく輝いていた。無邪気ささえ感じるほど、ギラギラと。
「勝手にわかったふり、しないでくださいよ」
 せめてもの抵抗、とでも言うのだろうか。
冷静さを欠いた彼女は、どこか助けを求める自分を、否定したがっているようだった。
 気付けば、身体の内側が妙にざわめいていた。感じたくない大人の空気を、嫌でも感じて気持ち悪くなる。
……だというのに、共存する感情は、ひどく苦しい。
 店主は腰かけていた作業台から離れ、レジの裏に回る。
もう彼女に大学生みたいな若々しい面影はなかった。そこにいるのは、すでに成人して、大人の、湿った悩みを抱える一人の人間だ。