しばしの沈黙。風が、何かを優しく後押しするように、後ろから吹いてきた。落ちてくる髪。揺れるピアス。小さな鎖の音がする。
ベンチの傍に降り立った鳩が二羽。羽休めと言わんばかりに座り込んだ。
ふと、思い出されるのは、過去の事ばかり。なにげなく、前から気になっていたことを、口にする。
「――橘さんはなんで、私の名前を知っていたんですか」
すんなりと口から言葉が飛び出していく。彼女は、驚く様子もなく、私に目を向けた。その目があの日、病室に向かう私と同じように思える。
最初から一つの違和感はあった。
彼女は、ごく自然に自己紹介をしたし、させてくれた。前後の会話も、問題はなかったように思う。ただ、一つ。漢字を言い当てたこと以外。
私を見つめて動かなかった橘さんは、ゆっくりと逡巡するように視線を反らす。
その先では子供たちが、追いかけっこして遊んでいた。砂まみれのズボンやTシャツが、派手に転んだことを連想させる。それでも表情は明るく、輝いていた。子供は勇敢だ、と目を細める。
橘さんも同じように目を細め、それからニッコリと笑ってこちらにまた視線をやる。
「長い昔ばなし、聞いてくれるかしら」
いたずらに笑って言う彼女。内緒話でもするように、口元に人差し指を当てる姿は、店主と重なっていた。それがなんだかおかしくて、ふっと微笑み返しながら、頷く。
「もちろん」
微笑む橘さんは、私からまた視線を外して、遠くを見るように目を細めてから語り出す。優しく、しかし罪を告白するように。
「……元々宵花屋は、彼の祖父母、高草木さん夫婦が営んでいたの」
「ちょうど夫を病で亡くした頃。仏壇にお供えする分の花を買いに、二人の店に行って、奥様と仲良くなったのよ。久々のお友達だった。紫陽くんも、中学生とはいえまだまだやんちゃな子供でね。
だけど友達になってから約一年が経った頃、奥様が突然ご病気で亡くなってしまった。
それから、憑かれたように紫陽くんは、店に入り浸るようになったわ。ずっと無心でお手伝いしているのよ。どこで覚えたのか、ぎこちない笑顔張り付けて、大人みたいに接客して。
それが功をなしたのかしらね。そのうち、高草木さんを支えるように女性が一人、店で働くようになったわ。確か……河原さん、という方だったかしら。
ベンチの傍に降り立った鳩が二羽。羽休めと言わんばかりに座り込んだ。
ふと、思い出されるのは、過去の事ばかり。なにげなく、前から気になっていたことを、口にする。
「――橘さんはなんで、私の名前を知っていたんですか」
すんなりと口から言葉が飛び出していく。彼女は、驚く様子もなく、私に目を向けた。その目があの日、病室に向かう私と同じように思える。
最初から一つの違和感はあった。
彼女は、ごく自然に自己紹介をしたし、させてくれた。前後の会話も、問題はなかったように思う。ただ、一つ。漢字を言い当てたこと以外。
私を見つめて動かなかった橘さんは、ゆっくりと逡巡するように視線を反らす。
その先では子供たちが、追いかけっこして遊んでいた。砂まみれのズボンやTシャツが、派手に転んだことを連想させる。それでも表情は明るく、輝いていた。子供は勇敢だ、と目を細める。
橘さんも同じように目を細め、それからニッコリと笑ってこちらにまた視線をやる。
「長い昔ばなし、聞いてくれるかしら」
いたずらに笑って言う彼女。内緒話でもするように、口元に人差し指を当てる姿は、店主と重なっていた。それがなんだかおかしくて、ふっと微笑み返しながら、頷く。
「もちろん」
微笑む橘さんは、私からまた視線を外して、遠くを見るように目を細めてから語り出す。優しく、しかし罪を告白するように。
「……元々宵花屋は、彼の祖父母、高草木さん夫婦が営んでいたの」
「ちょうど夫を病で亡くした頃。仏壇にお供えする分の花を買いに、二人の店に行って、奥様と仲良くなったのよ。久々のお友達だった。紫陽くんも、中学生とはいえまだまだやんちゃな子供でね。
だけど友達になってから約一年が経った頃、奥様が突然ご病気で亡くなってしまった。
それから、憑かれたように紫陽くんは、店に入り浸るようになったわ。ずっと無心でお手伝いしているのよ。どこで覚えたのか、ぎこちない笑顔張り付けて、大人みたいに接客して。
それが功をなしたのかしらね。そのうち、高草木さんを支えるように女性が一人、店で働くようになったわ。確か……河原さん、という方だったかしら。
