シャラン――と響いた音は、声にならなかった私の気持ちを、代弁していた。
その一瞬だけ、彼女が店主と重なって見えたのは、偶然なんだろうか。
驚きと、理解できないものを前にする私に、橘さんは加えて、微笑む。包み込むような温かい声。
「大切なものなんでしょう?」
前にも同じことを言われた。相手は忘れているだろう、些細な出来事だったけど。
何も言えず黙り込んで、彼女の歩幅に合わせて歩く。私と橘さんの間を風が吹きすぎて言った。
橘さんは、返答を求めているわけではなかった。満足そうに前を向いて、理由なんて聞かないわ、と夢見る少女みたいに、目を細めているだけだ。
逆に私の心の内は、嵐のように荒れていた。言葉が生まれては、消え行く。橘さんがまた少し、間を空けて口を開くまで、それは続いた。
「……その子にはなかったものを、あなたはまだ持ってる。それがあなたをしっかりとフミ留めてくれている。……だから大丈夫よ。怖がる必要なんてないわ」
橘さんの言葉は、底なしに甘くって仕方なかった。なのに、それでいてすっきりとしていた。お茶会で紅茶を飲んだ後のように。
いつか彼女に差し出された、名も覚えていない紅茶を思い出していた。
「――お店、着いちゃったわねえ」
気付けば足は、店の前で止まっていた。いつの間に着いていたのだろう。少なくともかなり長い時間を、橘さんと歩いていたような気がしていた。
私が立ち竦んでいるのを、ふと、橘さんが振り返って悪戯に笑う。
「怒られないようにちゃんと言っておくわね」
しわの寄せられた目で、パチン、とウィンクをした橘さんが、自然と私の手を取って引きながら、店の入り口を通り抜けた。
ほんのり香る程度だった花の匂いが、ぶわっと押し寄せてくるような感覚に襲われる。だが今日は、珍しいことに頭痛に苛まれることはなかった。
その代わりになぜか、目の辺りが熱くなっていた。泣くほどではないけど、久々の熱に、しばらく私は顔が上げられなかった。
店主と橘さんのやり取りは、ほとんど何も頭に残っていない。
ただ去り際に、「今度また、お茶しましょうね」と軽く頭を撫でてくれたことは、覚えている。優しく触れられた手は、やはり温かった。
時刻ももうほとんど夕暮れ時。太陽がひときわ美しく世界を照らす。そんな時間になった。
「――そろそろ休憩にしようか~」
その一瞬だけ、彼女が店主と重なって見えたのは、偶然なんだろうか。
驚きと、理解できないものを前にする私に、橘さんは加えて、微笑む。包み込むような温かい声。
「大切なものなんでしょう?」
前にも同じことを言われた。相手は忘れているだろう、些細な出来事だったけど。
何も言えず黙り込んで、彼女の歩幅に合わせて歩く。私と橘さんの間を風が吹きすぎて言った。
橘さんは、返答を求めているわけではなかった。満足そうに前を向いて、理由なんて聞かないわ、と夢見る少女みたいに、目を細めているだけだ。
逆に私の心の内は、嵐のように荒れていた。言葉が生まれては、消え行く。橘さんがまた少し、間を空けて口を開くまで、それは続いた。
「……その子にはなかったものを、あなたはまだ持ってる。それがあなたをしっかりとフミ留めてくれている。……だから大丈夫よ。怖がる必要なんてないわ」
橘さんの言葉は、底なしに甘くって仕方なかった。なのに、それでいてすっきりとしていた。お茶会で紅茶を飲んだ後のように。
いつか彼女に差し出された、名も覚えていない紅茶を思い出していた。
「――お店、着いちゃったわねえ」
気付けば足は、店の前で止まっていた。いつの間に着いていたのだろう。少なくともかなり長い時間を、橘さんと歩いていたような気がしていた。
私が立ち竦んでいるのを、ふと、橘さんが振り返って悪戯に笑う。
「怒られないようにちゃんと言っておくわね」
しわの寄せられた目で、パチン、とウィンクをした橘さんが、自然と私の手を取って引きながら、店の入り口を通り抜けた。
ほんのり香る程度だった花の匂いが、ぶわっと押し寄せてくるような感覚に襲われる。だが今日は、珍しいことに頭痛に苛まれることはなかった。
その代わりになぜか、目の辺りが熱くなっていた。泣くほどではないけど、久々の熱に、しばらく私は顔が上げられなかった。
店主と橘さんのやり取りは、ほとんど何も頭に残っていない。
ただ去り際に、「今度また、お茶しましょうね」と軽く頭を撫でてくれたことは、覚えている。優しく触れられた手は、やはり温かった。
時刻ももうほとんど夕暮れ時。太陽がひときわ美しく世界を照らす。そんな時間になった。
「――そろそろ休憩にしようか~」
