警戒を意味するかのように、耳につく音。空調と、店内に流れないBGM。……花の香りは代わりと言わんばかりに、強く、強く香っていた。
「――ナイスガイな君に一つ、昔の話をしてあげるね」
 店主が言った。無機質な声に、賀川の笑顔はすっと引っ込む。
 本を開いたまま、私も耳をそばだてる。店主は賀川から視線を外して、店内をゆっくりと闊歩しだした。ちょっと昔の話だけど、と小さく前置きをして。
「ある大会の日のことだった。とある男の子、シンジくんは、当時好きな子がいたんだ」
 シンジ、という名前が出た瞬間、賀川の周りを漂う空気がピリッと尖った気がした。
店主はただ語る。
「黒髪で、清楚で美人な子でねえ。ありきたりだけど、優しくて可愛くって、守ってあげたくなるような女の子だったんだ。それこそ花みたいに可憐な少女。
典型的だけど可愛らしい話でさ。男の子が彼女に告白することを決めるまで、時間はそうかからなかったわけだよ」
 眩しい学生の青春だ。自分にもあったような、眩しい恋愛。
 だが店主の淡々とした声は、その青を、どこかセピア色にする。
「――それでまあ、週末に大会を控えたその週。シンジくんは放課後彼女を呼び出して、大会に応援しに来てほしい、って言ったんだよ。大会で優勝出来たら、付き合ってほしいって。
ずいぶん勇気を振り絞ったんだろうねえ。彼女は顔を真っ赤にしながらも、考えさせてって口にした。
 彼はよく頑張ったよ。彼女に告白して、大会に出て、優勝目指して無理までした。体を壊しかけるくらい、必死に頑張ったんだ。
その時だけはね。周りにいたみんなも彼を心配していた。まぎれもなく、主人公だった」
 一旦区切った店主は、一輪、花を手に取った。
鮮やかな紫色で、ひらひらとした、凛とした花。
「……現実は、非常に残酷で冷酷なものだ。
フィクションで展開されるような惹かれあうもの同士の王道恋愛も、ひねくれものが真っ向からぶつかるギャップで恋に落ちることも。
全部エンターテインメントでしかない。綺麗なもので隠した嘘ばかり」
花びらをいじりながら呟き、また店内を闊歩する。
「結局、優勝は別の男の子がその手に収めた。シンジくんからすれば一つ下の後輩だ。それだけならまだよかったかもしれない。
問題はね、好きだったその子は、後輩の彼を好きになってしまったことだった」
 さぞ、恥ずかしかったことだろう。