一瞬思い浮かんだのは、柔らかく微笑む垂れ目。それこそ花が似合いそうな、雰囲気の柔い男の子の顔。彼の口が動く。
『これ、香葉と僕。二人だけの秘密だからね――』
差し出した何かを、私の手に握らせる。ぎゅっと、触れる金属は、熱を持っていて熱かった。
ずいぶん前の事が、ありありと浮かんで、ズキン、とこめかみ辺りに痛みが走る。反射的に抑えた時には、もう夢みたいな情景を忘れてしまう。
軽くため息を吐いて、薄っすらと残った記憶も流した。
「……意味は?」
痛む頭を抑えながら聞けば、薄く笑ったままの彼の瞳がすうっと、横にずれた。
「君はまだ、知らなくていいんだよ」
ここに来て初めて、突き放されるような感覚。事実、店主は私を突き放していたのだろう。ただそれは、踏み込んでほしくない、という理由だけではなさそうだった。
――彼の顔に浮かんだ笑顔が、ひどく歪んでいたから。
店主は再び花を見て回る。私に背を向けて、花たちに微笑みかけながら。
「さて、そろそろ仕事しようねえ、小種ちゃん」
「……」
何も返せないまま、簡易椅子に座る。
シャラン、と再び揺れたピアスの鎖と、ずっと店内を漂っている花の香りがどこか、遠くに感じた。
後日。私はもう一度賀川の元へ訪れた。
その日は生憎の雨だったが、モヤモヤした感情を抱いているときの雨ほど癒されるものはない。できることなら傘を差さずに、その生温くて薄汚い雫を身に受け止めてみたかった。
しかしまあ、それはただの想像に過ぎない。
道行く一般人と変わらずシンプルなビニール傘を頭上に差し、午前の講義後、パン屋の前に立った。
雨のせいだろう。すでに昼時だというのに、店内は空いていた。ちらほらと見える他のお客様も、さっさとパンを選んで店を出て行ってしまう。
その中でも相変わらず彼は、元気に仕事をしているようだった。店に入る前から彼の笑顔が見えて、苦笑する。
カラン、コロン、と来店の音が鳴り響いて、カウンターで真剣に何かを書き込んでいた賀川が顔を上げ、にっこりと笑った。
「いらっしゃいませ……って、また榎並か」
完璧な営業スマイルが、すぐにくしゃっと崩れ去る。
冗談交じりに「……まだ二回目なんだけど」と言い返せば、彼は、困ったように眉根を寄せた。
「まあそうだけどそうじゃなくてだな。……あ、上がりまーす」
『これ、香葉と僕。二人だけの秘密だからね――』
差し出した何かを、私の手に握らせる。ぎゅっと、触れる金属は、熱を持っていて熱かった。
ずいぶん前の事が、ありありと浮かんで、ズキン、とこめかみ辺りに痛みが走る。反射的に抑えた時には、もう夢みたいな情景を忘れてしまう。
軽くため息を吐いて、薄っすらと残った記憶も流した。
「……意味は?」
痛む頭を抑えながら聞けば、薄く笑ったままの彼の瞳がすうっと、横にずれた。
「君はまだ、知らなくていいんだよ」
ここに来て初めて、突き放されるような感覚。事実、店主は私を突き放していたのだろう。ただそれは、踏み込んでほしくない、という理由だけではなさそうだった。
――彼の顔に浮かんだ笑顔が、ひどく歪んでいたから。
店主は再び花を見て回る。私に背を向けて、花たちに微笑みかけながら。
「さて、そろそろ仕事しようねえ、小種ちゃん」
「……」
何も返せないまま、簡易椅子に座る。
シャラン、と再び揺れたピアスの鎖と、ずっと店内を漂っている花の香りがどこか、遠くに感じた。
後日。私はもう一度賀川の元へ訪れた。
その日は生憎の雨だったが、モヤモヤした感情を抱いているときの雨ほど癒されるものはない。できることなら傘を差さずに、その生温くて薄汚い雫を身に受け止めてみたかった。
しかしまあ、それはただの想像に過ぎない。
道行く一般人と変わらずシンプルなビニール傘を頭上に差し、午前の講義後、パン屋の前に立った。
雨のせいだろう。すでに昼時だというのに、店内は空いていた。ちらほらと見える他のお客様も、さっさとパンを選んで店を出て行ってしまう。
その中でも相変わらず彼は、元気に仕事をしているようだった。店に入る前から彼の笑顔が見えて、苦笑する。
カラン、コロン、と来店の音が鳴り響いて、カウンターで真剣に何かを書き込んでいた賀川が顔を上げ、にっこりと笑った。
「いらっしゃいませ……って、また榎並か」
完璧な営業スマイルが、すぐにくしゃっと崩れ去る。
冗談交じりに「……まだ二回目なんだけど」と言い返せば、彼は、困ったように眉根を寄せた。
「まあそうだけどそうじゃなくてだな。……あ、上がりまーす」