彼はニヤリ、と悪戯に笑う。瞬間の底知れない何かに、ぶわっと鳥肌が立つ。
だが、私が何かを言う前に、玄関先に猫背の女性が姿を現した。
「――お待たせして、ごめんなさいねえ」
 その人はずいぶん優し気な空気をまとった、おばあちゃんだった。
初対面のその女性に抱いたのは、懐かしいような、くすぐったいような印象で、不思議と親近感が湧いてくる。
 小花柄のワンピースに白くて薄いカーディガンはよく似合っていた。
「……あら、こんにちは。宵花屋さんの人かしら? 初めましてねえ」
優しくて真っ直ぐな眼差しに、戸惑いながら否定しようと小さく首を振る。えっと、と呟くと、店主がすっと半歩前に出た。
「小種ちゃん。新しく雇ったアルバイトなんですよ。結構花屋の素質があってね。……まあ少し生意気なんだけど。でもいい子ですよ~」
 あまりに自然に吐かれた嘘に慌てて「は?」と彼を見上げる。しかし目線は女性を捉えていて、こちらを見ようともしない。
弁明する間もなく彼女は、ほう、と感心したように目を見開いて、それからふっと微笑んだ。
「そうだったのね。私、橘(たちばな)紀子(のりこ)よ。いつも『宵花屋』さんにはお世話になってるの。よろしくね。あなたは……小種ちゃん、でいいのかしら?」
気圧され、「いえ、榎並(えなみ)……香葉(かよ)です」と小さく返す。
彼女はふふっと笑いながら言った。
「香葉ちゃんね、素敵な名前。お花屋さんにピッタリだわあ」
 あはは、と軽く流してからすぐ、あれ? と首をかしげる。だが、彼女はそれ以上何も言わず、すっと視線を店主に戻した。
「玄関まで運んでくださいな」
 店主の抱える花束を指してお願いする。確かに、橘さん自ら運ぶのは、骨が折れるだろう。
 店主も快く引き受けて、敷地内へ入っていく。
「ああ、そうだわ。香葉ちゃん」
 店主の仕事中に、橘さんは私に一歩近づいた。ふわり、と香った甘い香りは、花束のようで、若干違う。香水のような少し人工的な香りだった。
 反射的に身体をこわばらせていると、彼女は柔らかな笑みを浮かべたまま言った。
「よかったらお茶していかない?」
 声を弾ませながら、そうしたい、と詠う。無邪気な少女みたいだった。
「え、えっと」
 ――どうすればいいのだろうか。アルバイトは嘘で、今もただ偶然居合わせただけ。それだけだったというのに。