京の鬼神と甘い契約〜天涯孤独のかりそめ花嫁~

「で、でも、私が嫁になっても伊吹さんにはなんの得もないんじゃないですか?」

 私は命が助かり、和菓子くりはらの奪還に協力してもらえるというメリットはあるけれど、伊吹さんにはない。昨日出会ったばかりの好きでもない私と夫婦になることは、嫌ではないのだろうか。

「そんなことはない。お前は特別な人間だからな」

 特別。甘いセリフに思いがけず胸がドキッとした。

「では、結婚の誓いが必要だな」

 伊吹さんは私の肩をつかむと、顔を近づけて――。
 キスされる。そう気づいたとき、私は無意識に手のひらを振り上げていた。

「だ、ダメッ!」

 ぱちーんといういい音が鳴って、伊吹さんの頬に赤い手形がついた。

「あ、あ、す、すみませ……」
「鬼に平手打ちとは、いい度胸だ」

 ぺろりと舌なめずりする伊吹さん。
 私は「ひっ」と叫んで一目散に二階へ逃げ込んだ。

 扉の鍵を閉めて、あまりのことにその場にぺたりと座り込む。ぶるぶると身体が震えるので、自分の腕を抱きしめるようにして背中を丸めた。

 なんで、どうして、こんなことになったのだろう。

 祖父の初七日が終わって、小倉さんに店と家を奪われて、新しい和菓子店に誘われて。そこまではまだわかる。ひどい目にはあったけれど、まだ現実だと信じられるレベルだったから。

 その上、和菓子店の店主が鬼神で、しかも正体がバレたせいで無理やり嫁にさせられるなんて、まだ夢を見ているみたいだ。いや、夢だったらどんなにいいか。

 しかし、すっかり夜が明けて輝き出した空の色と、じんじんと痛む右手のひらが、まぎれもない現実だと告げていた。

 俺様で、優しいのか怖いのかわからない。たぶん甘党で、きっと手が早い。

 どうやら私は、そんな鬼神様の嫁になってしまったみたいです――。