「伊吹、さん……?」

 おそるおそる声をかけると、伊吹さんらしき人物は牙を見せて「グウゥ」とうなった。

「ひっ」

 まるで鬼のような形相に臆して、一歩後ずさる。

「あか……ね……」
「え?」

 彼は私の名前を呼んだ。震えながらも目を逸らさずに観察すると、彼は首元を押さえていた。伊吹さんが昼間は襟巻きで隠していた部分だ。

「おれ……に……かまうな……」

 伊吹さんは苦しげにつぶやくと、身体を丸めながら再びうめき始めた。

「そんなわけにいかないでしょうっ」

 もう恐怖なんて関係なかった。目の前で人が苦しんでいるのだ。私に仕事と住む場所を与えてくれた人が。

 私は伊吹さんに駆け寄り、その背中をさすった。

「大丈夫ですか、伊吹さん。苦しいんですか?」

 よく見ると、首にはぐるりと一周するように、痛々しい傷跡があった。
 まるで首を切られたあとみたい。この古傷が痛んでいるのだろうか。

「首が痛いんですか? お薬はありますか?」

 救急車を呼ぶのはまずい感じだし、持病だとしたらこういうときに飲む頓服薬があるはず。そう思ってたずねると、意外な単語が返ってきた。

「和菓子……を……」
「和菓子?」

 糖分が欲しいのだろうか。ショーケースにある伊吹さんの作った和菓子を与えればよい? いや、ここで苦しんでいたということは、きっとそうではないはず。

「ちょっと待っててください!」

 階段を上り、二階の部屋に向かう。ボストンバッグから取り出したのは、柿の形の〝ういろう〟だった。祖父の祭壇に供えていた和菓子を遺影と一緒に持ってきたのだ。