「あ、ありがとうございます。では、そちらに向かってみます」
「ちょうど私もそこへいく予定なのだ。よかったら案内いたす」
身なりはさほど悪くはない。
質素ななりをしているが、特に貧しげな様子もなかった。
絣の着物に袴姿のその人は、歳のわりにずいぶんと幼く見えた。
うめと二人、顔を見合わせる。
「で、では……よろしくお願いします……」
道すがら、あれこれとしつこく身元を尋ねられた。
決して口を割らぬ私たちに、ふと飴湯を買ってやろうと言い出す。
「……そんなことで、騙されたりはしませんよ」
「分かってますよ。私が飲みたくなっただけです」
酉の市の近いせいで、のぼりがあちこちに立っていた。
こんな危険極まりない冒険をしている私たちに、浮かれた通りを楽しむ余裕なんてどこにもない。
そうやって飴湯を買ってもらって、飲んだのはあの店だ。
今年もまたその店先で、同じ飴湯を売っている。
口に含むとあの時と同じように、ほんのりとした甘みが広がった。
「文の中身をそなた達が知らぬことは承知した。だがせめて、送り主の名前だけでも答えられよ」
「この文にはきっと、それらの事情も書かれております。中のことは知らぬ故、何度尋ねられても同じことにございます」
用意した文は偽物だ。
中身はうめの一番下の弟が書いた、絵にもなっておらぬような落書き。
それを父の部屋から盗んだ立派な紙に包んだ。
「……。まぁ、なんだってよろしいんですけどね……」
その人は明らかにムッとしていた。
湯飲みの飴湯をすする。
「この辺りに、お詳しくはないのですか?」
来たのは初めてだと伝えると、気を取り直したのか、今度は本当に町の案内を始めだす。
そんなことに全く興味は無いのだが、一生懸命話しているのを、聞いておらぬのも申し訳ない。
ハイハイと、ちゃんと聞いているような聞いていない返事を繰り返しても、その人はそれに気づく様子もない。
ますますうれしそうに、一人でずっとしゃべっている。
私はただ、帰り道の心配ばかりしていた。
同じ道を通って、ちゃんと帰れるかしら。
「ちょっと、ちゃんと聞いてます?」
「聞いているに決まってます!」
「……。ところで、あなたがたのお名前は? なんとお呼びすればよろしいか」
「私はうめと申します。この子はまつ」
「そうですか」
「あなたは?」
「竹男です」
絶対嘘だ。
松竹梅。
しかしこちらとしても、これ以上深入りするわけにはいかない。
荷車からこぼれ落ちそうなほど、山と積まれた熊手が運ばれてくる。
酉の市ならではの風景だ。
元の竹が見えぬほど色とりどりの賑やかな飾りが、これでもかと揺れている。
屋台の大鍋で唐芋は踊り、粟餅を蒸す蒸気はもうもうと立ち上る。
今ですら人通りは多いのに、祭り当日にはどうなってしまうのか、想像もつかない。
「これが有名な『なでおかめ』というものです。縁起ものですよ」
大きな面が置かれていた。
訪れる人々はみな、この木のお面を撫でてゆく。
「額を撫でれば賢くなり、目は先の見通しを。左の頬は健康で、右は良縁に恵まれるそうです」
その人は、ニッとこちらを振り返った。
「あなたはどのようなお願いをなさいますか?」
「では、賢くなれますようにと」
迷わず額をなでる。
その人は左の頬を撫でた。
「健康ですか? 良縁ではなくて?」
「良縁など、考えたこともございません」
小さな手桶を持つ素朴な風体のこの人は、静かに微笑んだ。
その時の横顔を、まだ覚えている。
「お侍さまなら、先見の明をお望みかと思いました」
「はは、それもよかったかもしれません」
松竹梅の奇妙な行軍は続く。
「お祭りは楽しめましたか?」
ふいにそう言ったあの人は、この時になにを考えていたのだろう。
「えぇ、楽しかったです」
本当はその時だって、私は何も楽しんでなんかいなかったのに……。
慌ただしい通りの向こうに、ようやく寺門が見えた。
「ちょうど私もそこへいく予定なのだ。よかったら案内いたす」
身なりはさほど悪くはない。
質素ななりをしているが、特に貧しげな様子もなかった。
絣の着物に袴姿のその人は、歳のわりにずいぶんと幼く見えた。
うめと二人、顔を見合わせる。
「で、では……よろしくお願いします……」
道すがら、あれこれとしつこく身元を尋ねられた。
決して口を割らぬ私たちに、ふと飴湯を買ってやろうと言い出す。
「……そんなことで、騙されたりはしませんよ」
「分かってますよ。私が飲みたくなっただけです」
酉の市の近いせいで、のぼりがあちこちに立っていた。
こんな危険極まりない冒険をしている私たちに、浮かれた通りを楽しむ余裕なんてどこにもない。
そうやって飴湯を買ってもらって、飲んだのはあの店だ。
今年もまたその店先で、同じ飴湯を売っている。
口に含むとあの時と同じように、ほんのりとした甘みが広がった。
「文の中身をそなた達が知らぬことは承知した。だがせめて、送り主の名前だけでも答えられよ」
「この文にはきっと、それらの事情も書かれております。中のことは知らぬ故、何度尋ねられても同じことにございます」
用意した文は偽物だ。
中身はうめの一番下の弟が書いた、絵にもなっておらぬような落書き。
それを父の部屋から盗んだ立派な紙に包んだ。
「……。まぁ、なんだってよろしいんですけどね……」
その人は明らかにムッとしていた。
湯飲みの飴湯をすする。
「この辺りに、お詳しくはないのですか?」
来たのは初めてだと伝えると、気を取り直したのか、今度は本当に町の案内を始めだす。
そんなことに全く興味は無いのだが、一生懸命話しているのを、聞いておらぬのも申し訳ない。
ハイハイと、ちゃんと聞いているような聞いていない返事を繰り返しても、その人はそれに気づく様子もない。
ますますうれしそうに、一人でずっとしゃべっている。
私はただ、帰り道の心配ばかりしていた。
同じ道を通って、ちゃんと帰れるかしら。
「ちょっと、ちゃんと聞いてます?」
「聞いているに決まってます!」
「……。ところで、あなたがたのお名前は? なんとお呼びすればよろしいか」
「私はうめと申します。この子はまつ」
「そうですか」
「あなたは?」
「竹男です」
絶対嘘だ。
松竹梅。
しかしこちらとしても、これ以上深入りするわけにはいかない。
荷車からこぼれ落ちそうなほど、山と積まれた熊手が運ばれてくる。
酉の市ならではの風景だ。
元の竹が見えぬほど色とりどりの賑やかな飾りが、これでもかと揺れている。
屋台の大鍋で唐芋は踊り、粟餅を蒸す蒸気はもうもうと立ち上る。
今ですら人通りは多いのに、祭り当日にはどうなってしまうのか、想像もつかない。
「これが有名な『なでおかめ』というものです。縁起ものですよ」
大きな面が置かれていた。
訪れる人々はみな、この木のお面を撫でてゆく。
「額を撫でれば賢くなり、目は先の見通しを。左の頬は健康で、右は良縁に恵まれるそうです」
その人は、ニッとこちらを振り返った。
「あなたはどのようなお願いをなさいますか?」
「では、賢くなれますようにと」
迷わず額をなでる。
その人は左の頬を撫でた。
「健康ですか? 良縁ではなくて?」
「良縁など、考えたこともございません」
小さな手桶を持つ素朴な風体のこの人は、静かに微笑んだ。
その時の横顔を、まだ覚えている。
「お侍さまなら、先見の明をお望みかと思いました」
「はは、それもよかったかもしれません」
松竹梅の奇妙な行軍は続く。
「お祭りは楽しめましたか?」
ふいにそう言ったあの人は、この時になにを考えていたのだろう。
「えぇ、楽しかったです」
本当はその時だって、私は何も楽しんでなんかいなかったのに……。
慌ただしい通りの向こうに、ようやく寺門が見えた。