1章 鏡の中の異世界

1-1. ドジっ子の危機

 サークルの先輩に言われた方法で鏡の中に入ったら、そこはダンジョンだった――――。


「いやぁぁぁ! やめてぇぇぇ!」

 女の子の悲痛な叫びが洞窟の中にこだましている。

 俺は洞窟の通路を急ぎ、広間をそーっとのぞいた。

 すると、女の子が緑色の異形な生き物たちに組みしかれて、服を破られているではないか。背が低く耳と鼻の尖った造形……もしかしたらゴブリンと呼ばれる魔物かもしれない。俺は初めて見るファンタジーな存在に目を疑った。

「グギャケケケ!」「グルグルグル!」「グギャ――――!」

 ゴブリンたちは彼女の服をはぎ取ると口々に歓声を上げる。女の子は十六歳くらいだろうか? 金髪に美しい碧眼、整った目鼻立ちに透き通るような白い肌……、ドキッとするくらいの可愛さだった。

「やぁぁぁ! ダメぇぇぇ!」

 優美な曲線を描く白い肌が露わになり、女の子が泣き叫ぶ。

 ゴブリンたちは人間の女の子を犯して(はら)み袋にすると言う話を聞いたことがある。何とかしたい……、が、俺は就活に行こうと思っていた学生だ。リクルートスーツ姿で武器なんか何も持ってない。ゴブリンは小柄で力はそれほど強くはなさそうだが、五匹も居る。戦闘経験などない素手の学生が何とか出来る感じではない。どうしよう……。

 俺が逡巡(しゅんじゅん)していると、一匹のゴブリンがいよいよ女の子の両足を持ち上げた。

「やめてぇぇぇ!」

 女の子が暴れてゴブリンを蹴り飛ばす。もんどり打って転がるゴブリン。

「ガルグギャァ!」「ギャギャッ!」

 しかし、周りのゴブリンにボコボコと殴られてしまう。

 女の子が酷い目に遭うのを黙って見ている訳にもいかない。

 このやろぉぉぉ!!

 俺は後先考えずダッシュしていた。

 ゴブリンたちは白い肌の女の子に注意がいっていて、俺に気づくのが遅れる。

 俺はゴブリンが落としていた短剣を拾うと、ゴブリンの脳天に突き立てた。

 ズブリという生々しい手ごたえが伝わってくる。

「グギャッ!」

 緑色の血をまき散らしながら倒れるゴブリン。

 俺はさらに隣のゴブリンの首めがけて短剣を振り抜く。

 が、ゴブリンは腕で避け、致命傷には至らなかった。

「ギャッ!」

 血を流し、怒りをあらわにするゴブリン。

「グギャッ!」「グググガ――――!」「グギャ――――!」

 ゴブリンたちは武器を手に立ち上がってきた。マズい。

 俺はダッシュで逃げだした。

 来た道を必死に走る。

「ギャッギャッ!」「ギャゥッ!」

 二匹ほどが追いかけてくる。

 思ったより足が速い。

 ヘッドライトで照らす洞窟の通路を命がけの必死の逃走――――。

 しかし、ここのところの運動不足で足がもたつき、俺は無様(ぶざま)にも転倒してしまう。

「うわぁぁぁ!」

 カン、カン、カラン……。

 すっ飛んで行ってしまう短剣。

 ヤバい!

 はぁはぁ言いながら振り向くと、ゴブリンが迫っていた。

「ギャギャッ!」

 獲物を追い詰め勝利を確信したゴブリンは、いやらしい笑みを浮かべながら短剣を振りかざした。絶体絶命である。

 何かないかと探したが、武器になりそうな物など何もない。ジャケットの内ポケットに入れておいた小さな殺虫剤の缶しかなかった。

 こうなったら目くらましだと、半ばヤケクソになって俺はゴブリンに殺虫剤を噴射する。

 プシュ――――!

 すると、短剣を振り下ろそうとしたゴブリンは、

「グギャァッ!」

 と断末魔の悲鳴を上げ、ドス黒く変色し……、次の瞬間溶け落ちて行った。

「え……?」

 驚く俺と後ろのゴブリン。

 コンコン……。

 溶けたゴブリンの跡にはエメラルド色に輝く小さな石が転がった。

 俺は何が起こったのか良く分からなかったが、固まっているゴブリンにも殺虫剤を吹き付ける。

 プシュ――――!

「ギャギャッ!」

 すると、二匹目も変色し、溶け落ちて行くではないか。

 なんと、ゴブリンには殺虫剤が効くのだ! 先輩に言われて持っていた殺虫剤。まさかこんな効果があるとは!

「やめてぇぇ!」

 遠くで女の子の声がする。まだゴブリンは二匹残っていたのだ、女の子が危ない!

 俺は全力でダッシュした。

 広間に来ると、女の子は身をよじって必死にあがいている。

「お前らふざけんなよ!」

 俺は叫びながらゴブリンに迫り、殺虫剤を思いっきり吹き付けてやった。

 身構えたゴブリンだったが、殺虫剤を浴びるとやはりドス黒く変色し、溶け落ちて行く。

 コン、コン……。

 エメラルド色の光る石が二つ転がった。

 ひっ!

 女の子はおびえた目で俺を見て、両手で胸を隠す。

「だ、大丈夫だよ。何もしないから」

 俺はそう言って、投げ捨てられた彼女の服を拾い、そっと彼女にかけてあげた。

「うわぁぁぁん!」

 女の子は服で顔を隠し、丸くなって号泣した。

「恐かったね、もう大丈夫だよ……」

 俺は優しく声をかける。

 彼女はすすり泣きながら服をずらして俺のことをジッと見つめる。

「ケガは大丈夫? みせてごらん」

 俺は微笑んで言った。

 すると彼女はいきなり立ち上がり……、

「うぇぇぇん!」

 と、号泣しながら抱き着いてきた。

「えっ!?」

 可愛い全裸の女の子に抱き着かれ、俺は激しく動転する。ふんわりと甘酸っぱい女の子の匂いに包まれ、俺は頭が真っ白になった。

 女の子との接触なんて全くない人生で、いきなり生まれたままの姿で抱き着かれている。一体どうしたらいいのだろうか?

「うっうっうっ……」

 洞窟の広間に響く彼女の嗚咽(おえつ)

 俺はなだめようとそっと抱きしめる。しっとりと柔らかい背中の生々しい手触りは刺激が強すぎるが、それでも大きく息をつき、目をつぶって彼女の心の傷がいやされるように祈った。