君の屍が視える

 
 店に入って席に着くと、彼女は慣れた様子でコーヒーとサンドイッチを注文した。

「あ、じゃあ僕も同じサンドイッチ。……と、あとカフェオレ」
「かしこまりました」

 注文が通った瞬間、僕の向かいでメニューに目を落としていた彼女は、ばっと勢いよく顔を上げた。

 僕が見ると、どこか驚いたような顔で彼女は固まっていた。

 僕、何か変なことを言ってしまっただろうか?

「……コーヒーは、頼まないんですね?」

 店員が見えなくなってから、彼女は内緒話でもするかのように言った。

「え? うん。僕カフェオレが好きだから」
「そ、そうですか……」

 しゅん、としたように視線を落とす彼女。

 そこで、ああそうか、と僕は合点がいった。

 そういえばここへ来る前に、この店はコーヒーが美味しいのだと彼女が言っていた。
 だからこそ彼女はここを選んだのだと。

 コーヒーを勧められておきながら、あっさりとそれを無視する僕。
 忘れていたとはいえ、なんて嫌な男なのだろう。
 これだから僕は友達ができないのかもしれない。

 変な空気のまま時間だけが過ぎて、やがてテーブルの上には注文の品がそろった。

「それじゃ、食べましょうか」

 久方ぶりに彼女が口を開いて、僕は頷いた。

 後ろめたさを感じながら、僕はカフェオレに口を付ける。
 しかし意識は向かいのコーヒーカップに集中していたので、味はほとんどわからなかった。

 そんな僕の視線に気づいたのか、

「……あの。一口飲みます?」

 出し抜けに彼女がそんなことを言ったので、僕はカフェオレを噴き出しそうになった。

「い、いいの?」

 これは、いわゆる間接キスというものになるのではないか。

 緊張する僕の心境には気づかない様子で、彼女はコーヒーカップを僕の方へと押し出した。
 どうぞ、という意味だろう。

 どうやら彼女はこういったことをあまり気にしないらしい。

 僕は一人心臓をバクバクさせながら、勧められるままにコーヒーを啜った。

「美味しいでしょう?」

 鈴の音のような声で、彼女が聞いた。

「う、うん」

 正直、緊張のせいで味なんてほとんどわからなかった。


 


       〇





 それから、他愛もないことをあれこれと話した。
 といっても、お互い持っている話題は少ないので、プロフィールを探り合うくらいでしかなかったのだけれど。

 彼女――橘逢生は、僕と同じ大学に通う二年生で、サークルなどには所属していないようだった。
 実家住まいらしいが、両親はもういないので、祖父母と三人で暮らしているという。

「それで、守部さんは――」
「結人でいいよ」

 僕がそう言うと、彼女はちょっと困ったような顔をした。

「え。でも……」

 年上の人間を下の名前で呼ぶのに抵抗があるのか、迷うような素振りを見せる。

「僕も、逢生ちゃんって呼ぶからさ」
「……じゃあ、結人さん」

 そう、小さく言った彼女は口元に手を当てて、ほんのりと頬を桜色に染めていた。

 そんな女の子らしい反応に、僕はドキッとしてしまう。

 まあ、お互いにもともと顔中が血まみれで、赤く染まってはいるのだけれど。

「結人さんは、何年生なんですか?」
「僕は四年だよ」
「じゃあ、就職活動は……」
「だめだった」

 僕は過去形で言った。
 けれど正確には、まだやろうと思えばいくらでもできる。
 一般の企業ならまだ募集している所はあるはずだ。

 でも。

「僕、教師になりたかったんだ。だから教員採用試験を受けたんだけれど、ついこの間、不合格の通知があって」

 そんな情けない結果を口にしながら、僕は自嘲するように笑った。

「……すみません」

 と、彼女――逢生ちゃんは申し訳なさそうに言った。

「どうして謝るの?」
「失礼なことを聞いてしまったから……」

 デジャヴだった。
 昨日もこうして同じようなやり取りをしたような気がする。

 だから、僕はそれ以上はつっこまなかった。

 昨日みたいに、「僕が勝手に話したのにどうして謝るの」なんてつっこめば、彼女ははまた居心地の悪い思いをしてしまうだろう。

 僕が黙っていると、やがてサンドイッチを食べ終えた彼女は、

「私も……教師になりたかったんです」

 と、呟くように言った。

「なりた、かった……? どうして過去形なの?」

 不思議に思って、僕は尋ねた。

 僕の場合なら、過去形で言ってもおかしくはない。
 すでに今年の試験は終了してしまったのだから。

 けれど、彼女はこれからだ。
 まだ始まってもいない。
 彼女が試験に挑むのは、まだ二年も先のことなのに。

「私……教師になるのがずっと夢でした。父が、教師でしたから」
「そうなの?」

 なんという偶然か。
 実は僕の母親も、教師の仕事に就いていたのだ。

 思わずその事実を伝えたくなったけれど、寸前で僕は思い留まった。
 ここで水を差してしまうと、それ以上彼女の話を聞けなくなってしまう――そんな気がしたから。

「私、最初は……自分はただ教師になりたいだけだと思っていたんです。それが夢だからって。でも、……違いました。私は、ただ教師になりたかったんじゃない。私は、教師になった姿を父に見せたかったんです。この世でたった一人の、私の味方である父に」

 言いながら、彼女はどこか一点を見つめていた。
 視線はテーブルの上に注がれていたけれど、そこに焦点は合っていないように見えた。

「でも今年の夏、父が亡くなって……私の目標は消えてしまいました。もう、見せる相手がいませんから。……生きる目的も、そこで失くしてしまったんです」
「だから、自殺するっていうの?」

 僕が聞くと、彼女は一瞬だけ僕の顔を見上げた。

 けれどすぐに視線を逸らして、

「いけませんか?」

 と、消え入りそうな声で言った。

「うん。いけないと思う」

 僕は素直な意見を口にした。

「確かに、君の目標は消えてしまったかもしれない。これ以上生きていても何の意味もないって、思ってしまうかもしれない。でも、君のお父さんはそうは思わないはずだよ。きっと君のお父さんは、君の夢を応援していたはずだ。教師になってほしいって。だから……今ここで君が死んでしまったら、それはお父さんのためにはならない。お父さんの気持ちを踏みにじって、君が自己満足するだけだよ」

 と、勢いでそこまで言ってしまってから、僕はハッと我に返った。

 向かいで僕の話しを聞いていた彼女は、斜めに視線を逸らしたまま、大きな瞳に涙を溜めていた。
 今にも零れ落ちてしまいそうなそれを、必死に堪えている。

「……ごめん」

 泣かせるつもりじゃなかった。

 けれど、何と言っていいのかわからなくて。

「ちょっと、外に出ようか」

 風に当たれば少しは気分転換になるかもしれない。
 食事も終わったし、ここに長居は無用だろう。

 僕らは秋風の吹く街中へと、二人並んで出ていった。