山で女の子の黒魂を吸収してから、もう、何時間も経ったというのに、黒魂を一つも見つけることができなかった。ため息が出るのも仕方がない。

これからどうすればいいか分らなくなっていたその時、長月はマスオの家に侵入しようとしていた黒魂の事を思い出した。弱いけど、ないよりマシだ。もし運がよければ今夜、あの黒魂に会えるかもしれない。食べると少しは力が上がる。

こう思った長月は早速、マスオの家に向かった。

マスオの家の近くまできた長月は偶然にも、一緒に歩いているマスオとアツコを見てしまった。

長月はすぐ、アツコが巫女であることを知った。特有の雰囲気とオーラが漂っているから。巫女だからと言って、長月が彼女たちを憎んでいるわけではない。巫女は自分たちの事を敵のように恨んでいるけど。黒魂は悪の存在だから、消す人がいて同然の事だ。しかし、少しは、自分に残してもいいんじゃないか、と心のなかで愚痴った。ただ、この巫女はまだ黒魂を消すほどの力がないことはわかった。

それに、長月はもう一つのことに気づいた。

それは、マスオの周りには前と比べることのできない、強力なお守りの結界がはっていることだ。今の自分はその結果を通り抜けるほどの力はない。このお守りを作った人が、この町の黒魂を消していることは確かなことになった。出会いたくない相手だ。きっと、戦闘になって負傷するに違いない。今まで出会わなかったことがラッキーとでもいっていいほどだ。

ただ、今残念と思っているのはマスオに近づけなくなったことだ。あの結界をみると、半径5メートルくらいはある。つまり、同じ部屋に入ることもできない。でも、あの結界のお陰で危険もマスオの近づけないからという、安堵の念も生まれた。

長月は二人と離れた所で後ろをついて歩いた。三人の目的地はみんな同じだ。マスオの家。

前で仲良く話し合いながら歩く二人の後ろ姿をみた長月の心に、嫉妬の情が少しずつ膨らみあがった。

ちょうどこの時、マスオの家のアパートの入り口についた。アツコはマスオに何かを言って、別れた。

長月はすぐわき道に身を隠した。なぜ自分がこんなことをするか、よくわからなかった。アツコが通り過ぎたのを見届けてから、わき道から出てきた。

アパートを見上げると、結界があがっていくのがみえた。

長月はマスオの家を監視できる建物を探しに行った。見晴らしのいいところで、あの黒魂を待ち伏せしようと思ったから。

見張りのいい建物の屋上でマスオの家を見つめている。結界の力からみては、一ヶ月はもつだろう。その前に、何とか黒魂をもっと食べて、力をあげないと、マスオには近づけない。

闇がすっかり、世界を包んでしまった頃、あいこちの家から洩れる明かりが、夜空で輝いている星のようだった。

待ちくたびれて、欠伸がでそうになった時、狙いの黒魂がついに現れた。思った通り、結界があるため、近づけなくまよっている。長月は黒魂の後ろに伸びている線に目を向けた。正面から戦いをしかけても、前回のように逃げられるから、黒い線の先にある本体に興味をもった。

長月は、気付かれないように、一定の距離をおいて、線を辿り始めた。

追っていると、本体に近づけたらしく、黒い線の数が数十本まで増えた。全部同じ場所から伸びている。

長月は漸く、本体の居場所にたどり着いた。病院の病室に黒魂の本体がある。

長月は病院に入り、問題の病室に向かった。

すると、今まで周囲に散らばった黒い線に繋がられた黒魂たちが、もどり始めた。敵がきたことをしった本体が、呼び戻しているのだろう。

病室のドアをあけると、中には、女の子が一人しずかに、ベッドでよこになっていた。

黒魂が何個あるかはよくわからないけど、全部病室内に集まった。攻撃を仕掛けるようすはないので、長月も何もせず、立っていた。

長月のすぐ前にある黒魂が沈黙を破った。黒魂の声はかすれた低音で、耳障りのように聞こえるが、女性の声だった。長月はすこし驚いたけど、すぐわけが分った。女の子は黒魂を通して話をしている。

「黒魂を食べに来ましたか?」

落ち着いた口調で、長月に問いかけた。

「そうよ」

「やめてもらえますかとお願いしたら、やめますか?」

「それはできないよ。私には時間がそんなにないの。それに、この町には巫女がいて、黒魂を消滅しているの。やっと見つけた黒魂をこのまま見過ごすわけにはいかないよ」

「そうですか、分りました」

女の子の声には抑揚がなかった。

「それにしても、あなたのような黒魂に、巫女が気付かれないはずはないけど。どうやって、目を誤魔化したの?」

「誤魔化す方法はいくらでもあります。気配を消すとか、囮を作るとか」

「あなたなら、囮を作るのに、むいているよね。分身をいくつも作れる力があるから」

長月の誉め言葉に女の子は素直に笑った。綺麗な笑い声が、黒魂の口から流れた。ちょっと不気味にも聞こえた。

「あなたと戦うなら、勝算は私にはいないでしょう」

「なら話は簡単になるけど、大人しく私に食べされる気もいないじゃない?」

「もちろんです」

話が終ると、黒魂は合体した。そもそも、一つの黒魂から分離された固体だから、本体に戻ったといったほうがいいかもしれない。

黒魂は一つになった。黒い線は女の子の額と繋がっている。女の子を胸に抱いた黒魂は窓を破り、逃げ出した。

長月はすぐ後ろを追った。

落ちたカラスの破片に、悲鳴を上げた人がいた。長月はなるべく人目につかないように動いた。

黒魂を追っていると、周りの景色が見覚えのあることに気付いた。山に向かっている道だ。長月は自分は、あの山となんらかの縁があるのではないかと、思い始めた。

木のはえていない広い草地に、黒魂は降りた。そして、女の子をそっと草地の上に置いた。

女の子は動かない。目も開けない。口も動かさない。

「あなたはいわゆる植物人間?」

長月の問いに、女の子は悲しい声で、そうです、と答えた。

「事故があったのは6年前です。6年間、私はあの病室の中で、ずっと寝ていました。意識があるのに、体を動かすことができません。瞼を開けることさえできませんでした。私はさけび続けたのです。でも、誰も私の声を聞いてくれませんでした。こんな私にも運が巡ってきたと思ったのは、先日の事です。私の心の中にある黒魂の存在を知りました。私は自分にもこんな醜い考えがあるとは思ってもみなかったのです。でも、そんなことをしていると、この6年間の空白が埋められそうな気がしてきました」

「他人を覗くことで、6年間の空白が埋められるなんてことは、到底できないよ」

長月は納得いかないというような口調で言ってやった。

「そうかもしれません。でも、心がわくわくしてくるのです。始めて味わった禁果に、私はとても興奮しました」

「知らない人を覗くのがそんないも嬉しくなれることなの?」

「嬉しくなります。最高の気分になれます。最初はただ好きだった男の子の家に行って、どんなふうに暮らしているのかを確かめたかっただけです。でも……そこで、何を見たか知っています?」

長月は答えなかった。男が一人部屋でやれることは大体想像がつく。

「彼はAVを見ていたのです。自分の物を握りながら。それを見たら、私の頭の中で閃いたものがありました。それが、覗きです。あの日から、私はあちこちに黒魂をいかせて、男が自分で解決するのを覗くようになりました」

「それがそんなにいいの?どうせ、あなたは感じられないでしょう、あの体の快感を」

「えぇ、そうです。体では感じられませんが心が感じるんです。本当に最高です」

黒魂で、女の子の心は完全におかしくなったことが、長月には分った。

「ここで話続けても、らちが明かないないから、はやいうちに決着をつけましょう」

長月の言葉が終わらないうちに黒魂が飛びこんできた。

長月は余裕をもって、髪を自分に前に垂らし、防御の壁を作った。黒魂がいくら攻撃しても、長月の髪の壁を砕けることはできなかった。

「あなたに私は勝てないよ」

長月は言った。

「そうですよね。でも、何もしないままあなたに食べられるのも悔しいです」

女の子の声は平淡だ。悲しみや悔しいの音色は微塵もなかった。

長月は髪を横に払った。黒魂は消えたけど、黒い線からまた新しい黒魂が現れた。これじゃきりがないと思い、長月は女の子に近づき始めた。

すると、女の子は次から次へと黒魂を作り出した。

数え切れない黒魂に囲まれた長月は焦ることなく、防御の髪と攻撃の髪を使い分けながら、すこしずつでも女の子に進んだ。

長月はやっと髪で女の子を捕まえる距離まで近づいた。一束の髪を使って女の子を掴もうとしたら、黒魂が自分の体を使って長月の髪をはねかえした。何度も同じ攻撃をしたけど、そのたびに黒魂にじゃまされた。

「簡単には私に食べられてくれなさそうね」

「今はまだそういうわけにはいかないのです」

「今はまだ?」

「誰でもすこしでも長く生きたがっていると思いますけど?」

明らかに何かを隠しているのが、長月は感じ取ったけど、女の子が話さないかぎり、しるよしはない。

それより、なんとかして、黒魂を消さないと、女の子には近づけない。弱い黒魂もたくさんあると、やっかいなことだ。

防御より、攻撃で道を開こうと長月は決心した。

伸びた髪は瞬時に一本の長い髪の鞭となって、周りの黒魂を薙いだり、叩き潰したりした。まだ消せなかった黒魂は集まり一つとなって、女の子を抱き、逃げ出した。

「諦めが悪いよね」

長月は後ろで追いながら言った。

「まだ死ぬわけにはいきません」

「そんな事いっても、本当は死にたくないだけでしょう?」

「自分はいずれ死ぬ運命だとは知っています。ただ、死ぬ前に、見届けておきたいことがあるのです」

「今のあなたのやってることからみれば、ただの言い訳にしか聞こえないけど?」

力が切れたのか、黒魂の速度が段々遅くなってきた。

長月は警戒しながら、女の子に近づいたが、黒魂は抵抗しようとする様子など、感じられなかった。

「もう終りました。私を食べてもいいです」

いつも平淡だった女の子の声に、始めて感情がこもってあった。切なく悲しい感情だ。

「急に考えが変わったの?」

「考えが変わったのではありません。ただ、思い残すことがないからです」

「思い残すこと?」

正直、長月は気になり始めた。

「初恋の人が今日結婚したのです。美しい花嫁と。二人が自分たちの部屋でセックスをするところを見ました。ついさき、終ったのです。これで私は死んでも悔しいとは思いません」

「あんなものみてどこが楽しいの?」

「初恋の人がほかの女と体を絡むことを見てたのしいわけありません」

「ならなぜ?」

「黒魂をあの女の体に入れたのです。そうすると、私が彼とぬくもりを分かちあうようなきがしたので」

「死ぬ間際にも、変態のようなことをするよね、あなたは」

長月の皮肉に、女の子は気にする様子もなかった。

「どういわれてもかまいません。やりたいことをやっておかないまま、死ぬ時に後悔することだけはしたくありません」

「じゃ、後悔することはもうないということだね?」

「はい、もう抗いません。どうぞ私を食べてください」

黒魂は女の子を下した。

長月は迷わず髪で黒魂の体を貫いた。そして、髪一本を女の子の額に軽く突いた。黒魂は女の子の体から滲み出てきて、全部長月の口の中に入ってしまった。

黒魂の力をなくした女の子は倒れた。

長月は女の子と話したくて髪を女の子の額につけた。

「病院に連れて行くからね」

「いいえ、私はこのほうがいいのです。夜風、森の空気、かすかに聞こえる虫の鳴き声。病院では聞こえないものばかりです。ここが好きです。それに、夜空で輝いている星が見えるような気がしました。……黒魂が抜かれたら『月印症』が襲ってくるでしょう。私はそれを乗り越える気力などありません。このままここで死なせてください」

「それがあなたの望みなら」

「はい、私の望みです。もう一度病院へいって、あの冷たいベッドで寝るのはいやです。あのまま何年経っても起き上がらない事はちゃんとわかっています。ここで寝ているほうが、生きていると実感ができます」

長月は何も言わなかった。髪をもとの長さに戻して、山を降りた。

山を降りた長月に一つの問題が生じた。それは、どこで夜を過ごすことだ。マスオのお母さんには帰る家があるといったけど、そんなものがあるはずない。どこか、高いところへ行くしかない。一番月に近いところへ。