いつもの暑いの夏の夕方、空中に忽然と巨大な白い球体が現れた。

球体から口が現れ、真赤な舌を大地に垂らした。

異変が起こったのは空中だけではなく、地面でも不思議な情景が現れた。

人々の体からは黒い人影が抜き出てきた。黒い人影は魅せられたように球体の舌をつたって、口の中へと歩いていった。球体は黒い人影を食べ始めた。黒い人影をいっぱい食べるにつれ、変化を起こした。

段々小さくなり、胴体が現れ、四肢は生え、最終的には人型となった。人の姿になった球体はそのままそらに浮かんでいた。

食べられなくなった黒い人影は地面でうろついている。自分の宿主をさがしているのだろう。でも、みつけてももう宿主の体には入れない。

うろついている黒い人影の中を歩いている人々の中にこの異変を気づいた人は誰一人いない。

異変を見た者は誰一人としていない。だった、一人の中学生を除いて。

中学二年を通っているこの生徒の名前は前勝マスオ。夏休みが終ってから、一週間はもう過ぎているのに、懐かしい朝寝坊の日々がいとしいというような溜息を、マスオは吐いた。

放課後の帰り道を歩くと、前で歩いている人の体から黒い人影が出てきたのを見てしまった。マスオは立ち止まって目の前に広がっている画面を見つめるだけだった。黒い人影たちは同じ場所を向かって歩いている。フモトは彼らが向かってる場所に視線を向けた。彼の目に入ったのは空に浮かんでいる大きな白い球体だった。

マスオはその場に立ち竦み、口をぽかんと開けた。

こんなマスオの様子を見た周りの行人は、変な目つきを注いだが、マスオは気にしなかった。気にしなかったより、目の前に広がれたことに気をとられて、他の事に気を配る余裕がなかった。

あれは一体なんだろう!?なぜ、誰も驚いたらり、喚いたり、大騒ぎをしないだろう?と、マスオは思いながら、かろうじて、足を動かすた。マスオの目的地は球体が浮かんでいる真下だ。

しかし、マスオが目的地に近づく前に、球体は小さくなり、どこかへ飛んでいってしまった。人込みと黒い人影に囲まれたマスオは、今更ながら、おぞましい恐怖感を感じた。熱い夕方なのに、冷たい汗が背中をつたって流れた。

マスオは黒い人影を見たくなくて、頭を下げ、冷や汗を我慢しながら、家に向かった。いつも歩いている家路なのに、長く感じた。歩いてもたどり着かない気がした。

やっと家に着いてからも、夕方の情景があまりにも衝撃だったので、脳裏から消すことはできなった。ちょうどマスオのお母さん、前勝フミヨは今厨房で晩ご飯を作っている。

ドアの音に気付いて、フミヨは玄関に出てきた。その後ろには黒い人影がついていた。

「母さん後ろ!」

マスオの叫びに驚いて、すばやく振り向いたが、フミヨの目には何も見えなかったように、再びマスオに向き直った。

「最近はやりの騙しなの?でも、母さんに悪戯しちゃいけないよ」

フミヨは軽くマスオの額を指で突いてから、言葉を継いだ。

「家に帰ったらまず、手を洗ってうがいをすること」

マスオは厨房へもどるフミヨの後ろ姿をずっと見守っていた。黒い人影は母さんの後ろをついて一回厨房へ入ったが、すぐ出てきた。そして、逃げるように壁を通りぬけて、どこかへ行ってしまった。
黒い人影がいなくなって、マスオはほっとした。

カバンを自分の部屋に置いてから、マスオは厨房に入った。

「母さん」

マスオは低い声でフミヨに声をかけた。

「どうしたの?」

「今日、なんか変わったことなかった?」

「何が?」

フミヨは味噌汁の味見をした。

「うん、今日の味噌汁は絶品だよ。マスオ、飲んでみる?」

「うん」

フミヨはお玉で味噌汁を汲んでマスオの口元に運んだ。

「熱いからふーふーしてね」

「僕はもう子供じゃないよ。そんなことぐらい、わかっているよ」

「はいはい、分りました。小さな大人さん」

マスオは味見した。

「母さん、おいしい!」

「よかった。皿やお箸を運んでね」

「うん、分った」

マスオは自分の言おうとしたことをすっかり忘れ、母さんと幸せな夕食の時間をすごした。